サンホラ考察メモ


■Elysion
〜楽園幻想物語組曲〜
 ├ はじめに
 ├ ループ考察
 ├ 箱舟
 ├ 3-1+1-2
 ├ 盲目のうちに
 └ 肩に座る少女


■Chronicle 2nd
 ├ はじめに
 ├ クロニカとノア
 ├ ルキウスとイリア
 ├ ルキア
 └ 書の魔獣

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そもそも終焉の魔獣とはどういった存在なのでしょうか。書の魔獣、書に刻まれし魔獣、といった表現がされていますが、予言書を書いたノアやその原典のクロニカが生み出したモノだとすると、アルヴァレスの歴史の修正を直接殺害すると言う方法しか取れなかった黒の教団にそんな力があるのかという疑問が沸いてきます。

「雷神の右腕」に「邪悪なる神々」という歌詞があります。神々ということは少なくとも2体以上いる筈です。2ndの邪神、魔獣関連の歌詞をよくよく読み返してみると確かにどこにも魔獣が1体であるという記述はありません。1体だけならクロニカやノアが自分の持つ力を振り絞って造ったと考えることも出来ますが、複数体いるとなるとそう考えるのも難しくなってきます。そんなに造れるのならわざわざ復活させなくてもまた造ればいいだけのことですし、そんなものを造れるのならこんな閉じた世界に拘る必要も無くなってくるわけで、やはり魔獣は黒の予言書とは別に存在するのではないでしょうか。

では何故「書の魔獣」なのか。「邪神」と「魔獣」はイコールであると考えていますが、この呼び方の違いは大きなものです。邪神は邪悪であっても「神」であるのに対し、魔獣は「獣」と動物呼ばわりです。これは黒の教団がクロニカを「唯一神」と崇めていることからだと思われます。唯一神教はその名の通り自分達の信仰する神が唯一であるとしているので、クロニカ以外に神が存在しては困るのでしょう。ですので黒の教団では信者達に「魔獣」と教えているのではないでしょうか。そして同時に「書の魔獣」「書に刻まれし魔獣」というのも黒の教団がそう教えているだけとも考えられます。書の魔獣と呼んでいるのはノアですし、書に刻まれし魔獣と歌っているのはルキアです。ルキアも勿論黒の教団で育ちましたのでそう思い込んでいてもおかしくありません。書の魔獣も予言書の下僕であるとでも教え込めば信者達にとって唯一神クロニカは絶対的な存在になるでしょうしね。

「歴史を変えられると思い上がっているのなら...いつでも掛かって御出でなさい...」

掛かっていく、というのが物理的になのか予言書に逆らおうとする行為の比喩表現なのかはわかりませんが、そう考えればノアに掛かっていったところで無意味なのは明白です。ハジマリを求めるルキアがノアという見当違いな方向に敵対心を抱く時点で教団の教えに囚われていることになり、運命に踊らされているだけに過ぎません。

「君ならば書の真理が理解できると思っていたのだがねぇ...」

思い切って言います。ルキアが理解すべき書の心理とは「黒の予言書なんて嘘っぱちだ」ということです。歴史の改竄に合わせて書き足し、修正を行うような予言書が本物である筈がありません。クロニカの未来を見通す力は本物でしょう。書の記述はほとんど当たっているのでしょう。しかしそんなことはどうでも良いのです。真に倒さなければならないのはノアでもクロニカでもなく「邪神」であって、書の記述に足掻こうとしている時点で大間違いなのです。矛盾しているとは思いませんか?結局最後は「その闇に屠られてしまえば存在など虚構も同じ」なのにわざわざアルヴァレスを殺害する必要があるのでしょうか?どんなに生きたって寿命が来れば亡くなるでしょうし、魔獣の脅威になるとも思えません。黒の予言書は永遠の命を持つ彼等の退屈しのぎに過ぎないのではないでしょうか。「銀色の死神」の黒の教団信者の声はノアよりも高い声なのでノアではないでしょうから、案外「書の記述」に狂いなく従おうとしているのは信者達だけなのかもしれません。無論ノアがそうなるよう信者達を教育したのでしょうが。

どんなに運命に抗っても予言書の頁が増えるだけ。それをルキアに歴史を見せることで解らせようとしたのではないでしょうか。直接言葉で言えばいいだろうとも思いますが、それは歴史の改竄になるのでヒントを与えるだけが精一杯の譲歩だったのでしょう。ノアは既に諦めているようですしね。魔女と雷神の血を引く最後の希望であるルキアが真の敵に気付いた時、白鴉は魔獣を消し去ることが出来るのかもしれません。

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