サンホラ考察メモ


■Elysion
〜楽園幻想物語組曲〜
 ├ はじめに
 ├ ループ考察
 ├ 箱舟
 ├ 3-1+1-2
 ├ 盲目のうちに
 └ 肩に座る少女


■Chronicle 2nd
 ├ はじめに
 ├ クロニカとノア
 ├ ルキウスとイリア
 ├ ルキア
 └ 書の魔獣

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「救いを求める貴女にArkを与えよう」

これを言った人物(ソロルにナイフを与えた人物)が誰なのかの解釈次第で内容が大きく変わってくる部分だと思いますが、私は少なくとも監視卿側の人間ではないと思っています。そもそも監視卿(及び彼の属する機関)の目的はなんなのでしょうか。「禁断の海馬に手を加え」、記憶を「ゆめ」と読むことから少なくとも記憶の改竄をしていることが窺えます。そして「被検体」という呼び方、「模型」は「真似て作られたもの」であること、以上から考えてソロルは記憶をいじられることによって「虚妄型箱舟依存症候群」の状態に擬似的にさせられた少女、と考えることができます。

監視卿はソロルがフラーテルを刺し殺す一部始終を見ていました。天を仰ぎ深い溜息を吐いたのはその後、その「結果」に対してだと解釈しています。恐らくこの結果は監視卿や機関の望むものではなく、そしていくつもの同じ結果を見てきたのではないでしょうか。成果の出ない実験への苛立ち、諦め、もどかしさ、それがかつて言われた「箱庭を騙る〜なった心算なの」を思い出させたのでしょう。私は「失った筈の左手の薬指」は妻(恋人)説を推しています。恐らくはもともとこの機関で共に働いていて、しかしこの実験の非人道なやり方に疑問を持った妻は機関を去っていった。もし機関の上層部に殺されてたりしている場合だとさすがに監視卿もここで監視卿をやっていることは無いと思いますので、そういったことは無いと思います。もしくはこの妻が本当の「虚妄型箱舟依存症候群」にかかっているのかと考えたりもしましたが、その場合、「失った」というもう二度と戻らないような言い方はしないような気がします。取り戻す為の実験なのでしょうから。

私は監視卿の属する機関は「虚妄型箱舟依存症候群」のような精神疾患を治すことが目的なのだと思います。新薬の投与実験や効果的な療法の確立の為の実験施設なのではないでしょうか。もし信仰させて進行させることが目的だった場合、監視卿はこの結果に喜びこそすれ溜息を吐くのはおかしい筈です。そして箱舟信仰とは実存するものでもソロルにArkを与えたものでもなく、ソロルが自分の頭の中で生み出したものだと考えています。「症例番号12」ということは他に少なくとも11の症例が存在していますので、その中で箱舟信仰状態に陥るものをこういった病名になったのではないでしょうか(発症はノアの箱舟を知っている者に限られることになりますが)。もし宗教団体のような組織が彼女にArkを与えたのならその目的がわかりません。愛する者と殺し合いをさせることが目的の趣味の悪い団体なのかもしれませんが…そもそも特定の宗教の信者に対して「症候群」と病名をつけるのはおかしい気がします。また、仮面の男がナイフを渡したというのも他のABYSS4曲で少女達の物語に介入していない所から見ると可能性は極めて低いでしょう。

「冷たい言葉の雨」の日から頭の中でソロルは信仰を進め、遂に雪の日に天啓を受けたのでしょう。裏切られたソロルは無意識に「死にたい、死んで楽園へ還りたい」と思っていて(「生者は彼岸に楽園を求め」るので不自然ではないでしょう)、天啓は彼女の頭の中で生まれたものですから彼女に都合よく「哀れなる魂を汝から解き放つ」と応えてくれます。それは言葉通りのまま「肉体と魂を別つ」こと。変わってしまった兄を受け入れられないソロルは相手に過剰な自己投影をしている為に「自分が楽園へ還りたいのだからお兄様も楽園に還りたいに違いない」と思い込み、行けば元に戻ってくれる筈、魂を解き放てば楽園へ行ける、その為に必要なものは箱舟(ナイフ)。そう結論付けたソロルはナイフを手に取り、「お兄様」と共に楽園へ行く為に「永遠に届かなくなる前に」間に合ううちにと刃を向ける。ソロルはフラーテルに対して裏切りからの殺意を持っていたわけではなく、フラーテルの魂を(ソロルなりに)楽園へ導こうとしていたのではないでしょうか。そう考えると「さあ楽園へ還りましょう お兄様」のセリフもしっくりきます。

「崩壊」「因果」とあるソロルとフラーテルの視点と思われる歌詞は、恐らく因果と呼ぶからにはフラーテル視点の方が時系列としては先なのでしょう。そもそも裏切りを受けて箱舟信仰に至るわけですし、六月の雨の日→二月の雪の日、ですね。気になるのはフラーテル視点の歌詞、「最期の瞬間に廻った〜」の部分、ここは「最後」ではなく「最期」ですし明らかに殺される瞬間です。少なくとも六月の雨の日ではない。では六月の雨の日の「因果」は何かと言うと「あの日嘘を吐いた」の部分になるかと思います。「信じてた〜進行という凶器」はナイフを握るソロルを前にした時の思考でしょうか。自分をその人、という言い方はあまりしないかもしれませんが、ソロルのことも少女と呼んでいますし、「Baroque」でも「不思議と客観的なものでした」って言ってますから、切羽詰った時ほど客観的になるのかもしれません。

このことから「六月の雨の日」は歌詞の一部分であることがわかります。ということは「二月の雪の日」もそうである可能性が高いです。まず「ねぇ何故〜ナイフを握って」は現在進行形で殺そうとしている箇所なので記憶ではありません。次に「思い出まで裏切った」日が「六月の雨の日」なのでしょう。「冷たい言葉の雨」とかかっているのだと思います。残るは「我々を楽園へ〜銀色に煌いた」ですので、ソロルは雪の日にナイフを手に取ったと考えて良いのではないでしょうか。恐らくその直後に「ねぇ何故〜」の可能性が高いと思いますが、葛藤の期間が無かったとは言い切れませんし殺害当日の天気の描写がないのでなんともいえません。

記憶を「ゆめ」と読む以上、やはり実際の記憶ではないと考えるべきです。しかしどこまでが「海馬に手を加えた」記憶なのでしょうか。ソロルの視点、「我々を」〜「ナイフを握って」全てとした場合、フラーテルを殺害したことすら嘘の記憶ということになりますのでそれはないでしょう。少なくとも殺害はしている筈です。フラーテルの「雨の日の記憶(ゆめ)」が「雨の日にソロルを裏切った記憶」だった場合、ソロルの「裏切られた記憶」もゆめになります。裏切りがゆめだということはその因果である「歪な愛」や「赦されぬ想い」もゆめである可能性があります。そしてそれがゆめであるなら、その始まりである「同じ心的外傷」までゆめだということになるでしょう。実験にかかる手間の削減等を考えれば、せっかく海馬に手を加えるのですから一番肝心なところまで、即ち精神状態が発症に至るようになるまで記憶を操作するのは自然です。

限りなく同一に近づける 追憶は狂気にも似た幻想
求める儘に唇を奪い合い 少しずつ楽園を追われてゆく
同じ心的外傷重ねれば響き合う けれどそれ以上には...

この歌詞の間中、ムチの音や何かを殴っているような音があります。イヤホン等で聞いていると最初に左、次に右で聞こえるので2箇所でそれが行われているのだと思われます。「同じ心的外傷」がこれだとすれば、ソロルとフラーテルは共に虐待や折檻を受けていたという「記憶」を植えつけられているのでしょう。この共通のトラウマがあるからこそ「過剰投影」状態になると思いますので大変重要です。

ここで問題になってくるのは、「海馬」は記憶を司りますが、恋愛などの感情を司るのはその隣の器官「扁桃体」だということです。偽の記憶を植えつけられると言う経験をしたことが無いのでわかりませんが、愛し合っていた「記憶」だけがあったとしても感情が動かないことがあるかもしれません。ですので私は最初から全てを植え付けたのではなく、感情を起こさせながら段階的に記憶を改竄させていったのではないかと考えました。

まず最初に同じトラウマの記憶(兄妹で親から虐待を受けているような記憶)を植え付けて様子を見る。お互いに傷を舐めあうような愛情が芽生え始めたら次の段階の、兄妹で愛し合った記憶を植えつける。そしてフラーテルがソロルとの関係に悩む素振りを見せ始めたところで裏切りの記憶を植えつけて完成です。これなら記憶は嘘ですが感情は本物になると思いますし、何故「虚妄型箱舟依存症候群」模型のソロルだけでなく、フラーテル側にも記憶の改竄が必要だったかの説明がつきます。また、少しずつ記憶の改竄を蓄積していくので「少しずつ楽園を追われてゆく」という歌詞にも当てはまります。

フラーテルは多くの方のご指摘の通り、1076、1096と番号が離れているので実の兄である可能性は低いのではないかと思います。それが何故兄妹と記憶を刷り込まれたのかと言うと、実験に(恐らく)不可欠な「裏切り」の形を作りやすかったからではないでしょうか。実の兄妹がそんな関係になれば短期間でどちらかがおかしいと思い始める可能性は高く、そうなれば実験を先に進められます。ついでに監視卿側は発症するのはソロルでもフラーテルでもどちらでもよかったのではないかと考えています。ソロルが先に背徳感に負けてフラーテルに別れを告げていれば殺害されたのはソロルなのではないかと。それにしてもこの解釈だとフラーテルが完全な被害者で哀れです。エリ組でまともな男性はフラーテルと天秤の使用人くらいではなかろうか。

さて、はたして愛する相手が嘘の記憶から作られていた場合でも楽園パレードへの参加条件を満たすのかという疑問が沸くのですが、パレードの参加者は「心に傷を負った者」「心に闇を飼った者」と記憶ではなく感情を基準にしているようなので問題無しとしておきます。偽りの記憶でも本人にとっては真実以外の何者でもありませんしね。

最後に。箱舟という共通するキーワードがある為にArkとクロセカは繋がっているという考察をよく目にするのですが、個人的にはArkと黒の教団と直接の関係は無いと考えています(あくまでも私がそう思うだけで関係あるという説を否定するものではありません)。もしソロルが仮面の男に連れ去られるところまで黒の予言書に書いてあったら面白いですし、関係があったらいいなとは思いますけど、まず気になるのが「症例番号12」が「虚妄型箱舟依存症候群」であることです。全部でいくつ症例があるのかはわかりませんが、恐らく他の(少なくとも11個の)例は箱舟信仰ではないということになるので黒の教団との関わりが薄くなってきます。それにノアとこの実験がどうしても結びつかないのですよね。彼らがこんな病に興味を持つでしょうか。箱舟を信仰させるまでならするでしょう、しかしその後狂気を進行させ、ナイフまで与えて愛する者を殺させることは黒の教団に何か得なのでしょうか?確かに「箱庭を騙る檻」「創造神にでもなった心算なの」はノアにも符合する言葉です。ですが肝心の「禁断の海馬に手を加え」るようなことはしないと思います。ソロルと同じ施設にいたのではないかと言われるルキアの記憶が改竄されている様子は見られませんし、もし改竄されているのならルキア視点からの曲(黒の予言書と書の魔獣)の考察をひっくり返さなければならず、クロセカの物語の根本にも影響してくることになります。クロニカもノアも運命の傍観者、歴史に積極的に介入するのは「改竄されかけた」時のみです。そのノアがわざわざ記憶を改竄させた実験をするというのは自己矛盾も甚だしいと思うのです。

ただ、こうやって考えてみると虐待を受ける毎日の中でお互いだけが心の支えだった兄妹が愛し合い、どちらかが相手を裏切ったという状況は、実の兄(妹)だという禁忌すら突破出来る程の正常ではない精神状態にあるわけですから、別に箱舟信仰に陥らなくても相手を殺す可能性は無いわけじゃ無いですよね。寧ろエリ組的にはそれだけで殺しても問題ない筈です。特徴的なのが箱舟信仰だけであるならわざわざ海馬をいじってまで人体実験をする必要も感じられません。何故この物語の中でソロルを「虚妄型箱舟依存症候群」にしなければならなかったか。これは黒の教団と関連付けて欲しいということなのでしょうか。組織=黒の教団説をもう一度考え直してみる必要があるのかもしれません。確かに記憶を操作出来れば歴史の修正に役立つかもしれませんし。でも黒の教団がソロルとフラーテルで何を実験したかったかが見えてこないんですよね。ナイフを渡したのなら殺害させたかったのだとしか思えず、殺害したことが実験の成功だったのだとしても、殺すだけでいいならアルヴァレスのように時の凶弾でやればいいわけです。ソロルが仮面の男に連れ去られたということはエリ組の世界がクロセカの世界になってしまう可能性もあるわけで…仮面の男が地平線をも移動できるなら話は別ですが。うーん難しいです。

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