森田仁さん

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私は、一昨年のこの交流会に参加することが決まっていました。しかし、直前になって、調子を崩しドタキャンしてしまいました。そのあと、二ヶ月入院しました。現在は、大阪府池田市にあるヘルパーステーション「アパラン」でピアヘルパーとして働いています。

ある日、地域生活支援センター「咲笑」の掲示板をみて、今回の交流会があることを知りました。そして、再び夢が膨らんできました。一昨年の事もあるので、だめでもともとと思い応募しました。あとで聞いたところ、きわどい所で当選したそうです。

今回の交流会の前日に、あるイベントがありました。わたしは、シンポジストとして舞台に上がっていました。たくさんの方々から餞別を頂き、いざロスへと向かいました。

飛行機の中で、調子を崩し、あわてて頓服として用意していたリスパダールを飲みました。結局、飛行機の中では一睡も出来ませんでした。

ロスに到着。大きな期待と大きな不安。空港では、秋吉芳美さん、ビルさん、ホゼさんが、出迎えに来てくれていました。

そして、車でホテルまで送っていただきました。そのあいだ、アメリカの景色を眺めていると少しづつ不安はとれていきました。ホテルに到着。とても立派なホテルでした。部屋に入ると、気を落ち着かせるため、とりあえず一度、深呼吸。

夕食は、量の多さに圧倒されました。結局、全部食べることが出来ませんでした。夜は、ぐっすり眠ることが出来ました。

次の日は、ディズニーランドに行き、おもいっきり楽しみました。

翌日の朝、意気のいい日本人女性が経営している店で朝食をとりました。ここのオレンジジュースとフレンチトーストは格別においしかったです。そのあと、サンクチュアリに行き、スピーチのリハーサル日本語でしました。

そのあしで、ハリウッドに行き、ハロウィンの衣装を買いました。ついでに遊び心で帽子を買いました。その帽子をかぶり、ご機嫌な気持ちになりました。

次 の日は、飛行機で一時間ほどかけて、カンファレンスがおこなわれるアリゾナのフェニックスというところにに行きました。そこは、砂漠にできた町だったの で、Tシャツ一枚でやりすごせました。私は、ここに来て少し集中力が落ちていました。スピーチすることだけに気を取られていたことと、ロスに着いてから、 たまっていた、訳のわからないストレスから頭の中がパニックを起していたのです。だから、大会中、スピーチだけしてホテルにいることにしました。さいご に、うだがわさんとKさんが前に出て楽器を使い演奏をしている姿を見て、とても感動し涙が出そうになりました。私は、一生懸命その姿を写真に収めていました。あとで、このカンファレンスに中途半端な気持ちで参加したことに対して、恥ずかしいおもいをしました。

また、ロングビーチに戻りました。

翌日は、ハロウィンのお祭りの日でした。私は、おもいきり楽しもうと開き直り、かなり、はじけたつもりです。うだがわさんから、ゲイのたくさんいる、面白い所があることを教えてもらいみんなでいきました。確かに変な意味で面白かったと思います。

翌 日、英語でスピーチすることになり、とても緊張しました。アンテロープバリーディスカバリーセンターに向かう車の中で、ひとりぶつぶつと原稿を読んでいま した。生まれてはじめての英語でのスピーチ。かなり練習したので、自分としては、よくできたような気がしていましたが、声が小さすぎて聞き取りにくかった そうです。

翌日のパールジョンソンパワーセンターでは、できるだけ大きな声で話そうと思っていました。そのことを意識しすぎたあまり、前よりうまくできなかったのが心残りです。

そのあと、みんな各ホームステイ先にわかれていきました。私のホームステイ先は、エイミーさんという女性のおたくでした。その日は、ボーリングやダンスホー ルに連れて行って下さいました。そして、ステーキもご馳走していただきました。彼女は、フィリピンから来たそうです。フィリピンはまだまだ精神障害者に対 する偏見の強い国だといっておられました。現在、日系四世のグレンさんというボーイフレンドと同居していて、来年には結婚するそうです。翌日は、海を見に いったり、映画を見に連れて行ったりしてくれました。彼女の好意には、とても感謝しています。お別れ会で、みんなと合流して、お別れパーティーがありまし た。帰りの飛行機が飛び立つまで、もっとロスにいたいという気持ちがしました。

今回の交流会で、私が一番消極的な行動をとってしまいました。でも、その中から、大きな何かをつかんだ気がしています。今後の私の人生のTURNING  POINTとなるような・・・。


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