2003年WFMHメルボルン大会

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WFMHメルボルン大会にさんかして


2月18日(火)
オーストラリアに着いた。検疫が厳しいと聴いていたので、入国の手続きにびびりながらの飛行機だった。入国できなかったらどうしようと不安だった。降りる前に機内で検疫は厳しいと言うビデオが流れていた。着陸して荷物を受け取るところに行った。かわいい犬がうろうろしていた。隣にいたわかい女性が犬は大嫌いらしく、すっと後ろにちかずいてきたとき、
「きゃう!」
と悲鳴をあげていた。たぶん中国人だろう。その犬は検疫にかかるべき物を捜査する犬だった。僕はもしかすると入国のときに薬を取り上げられるかもしれないとびびっていた。それか、入国できないかのどちらでもいやな結果になると思っていた。でもオーストラリアだから正直に言えば入国させてくれるんじゃないかとなんとなく思っていた。いろいろ融通が利くんじゃないか、人が大まかなんじゃないかと思った。入国カードの
―薬等法で規制されるものを持っていますか―
の欄には
―はい―
とチェックした。入国審査に行くと、係りの人はそのチェックに丸をつけて
「何のための薬ですか?」
ときかれたので正直に
「鬱のためです。」
と答えたら、
「検疫は通らないで緑の出口から出ていいですよ。」
と言われた。その言葉を疑った。というよりなんと言われたかわからなくなった。こちらの思いとしては、てっきり1錠づつ袋からだして、これは鬱の薬で、これは安定剤で、これは副作用止めで・・・、と説明しないといけないと思っていた。すかされた感じがした。でも鬱って国際的にポピュラーなんだと思った。今度はアメリカでもチャレンジしようと思う。


空港のロビーにはロサンゼルスから先についていたビル・コンプトンさんがいた。ビルさんは英語ができるから強い。僕はオーストラリアの英語は苦手。ビルさんも統合失調症なので検疫で薬のことを申告したかどうか気になったが、突然それを聞くのも失礼な話なのでそのときは聞かないでおいた。
一人で旅すると空港からホテルまでの道のりが不安だ。でも今回はビルさんがいるのでとても安心。ロサンゼルスと同じくらい安心だ。空港で、米ドルで200ドルビルさんからもらった。これは今回大会に参加して交流プログラムのことについて発表するのはプロジェクトリターンのメンバーとしての仕事だから公費として食費に使うお金。今回からタバコを吸わないので、お金もかからないでしょう。禁煙3週間目だった。でも成田でなんかわからないけどとても緊張してしまったので、免税のタバコを1カートン買って1本吸った。そのあとかんちゃんに電話して
「全部捨てな」
と言われたので、9箱と19本のタバコを捨てた。そしてメルボルン空港に着いたのだ。


ホテルに着いて一眠りした。ホテルは短期滞在アパートみたいなもので、僕はキッチンのソファーベットで寝ることになった。ちゃんとしたシステムキッチンで10畳ぐらいある。
いま日本は冬だからオーストラリアは夏なんだけどそんなに暑くない。最高気温も23〜4度ぐらいじゃないかと思う。
ビルさんが持参のポータブルDVDが電源を入れても動かないので、ものすごいこわい顔をしていた。ホテルで借りた変圧器につないでも動かない。従業員をよんで、文句をいっていた。
「帰りの飛行機のための充電はどうすればいいんだよ」


と、くってかかっていた。ビルはいつもDVDがないととても耐えられないのだろう。
ちょっと休んだ後、街にでて電気屋をさがした。。オーストラリアで使えるACアダプターを買いに行った。途中でビルがお腹すいたといってピザ屋に寄った。昼の3時だったけど食事にしたのは
「俺はまだロサンゼルス時間なんだよ。人が眠くなるときにおきて、人がおきるときに眠くなるんだ。」
と言いながらピザを二人とも2切れだけ食べた。ビルの感覚では夜食なんだろう。
それから、電気屋に行ってわき腹を出した姉ちゃんが
「これが使えなかったら返品して」
というマルチアダプターを買って帰った。電気屋で姉ちゃんが
「見て!こんなちいさくてもDVDだって」
と言いながらビルのDVDプレーヤーを見せびらかしていた。だから、不安だった。電気屋なのに見たことないものらしい。帰りの道中ビルに検疫で薬を申告したかどうか聞いてみた。ビルは職業欄に精神保健協会と書いてあったのでビルが精神科医で持ち込むつもりに誤解されたといっていた。
「何のための薬ですか?」
と聞かれたビルは質問には
「精神の危機のための薬です。」
と答えたそうだ。


ホテルに帰るとACアダプターが案の定、使えなかった。ビルは
「時間の無駄だった」
と言いながらとても怖い顔になっていた。
「お休み!」
と言って寝てしまった。5時ぐらいだった。
夜9時を過ぎてもビルさんがおきてこないので、
「外に行ってなんか食ってくるけど、行く?」
と聞いたら
「なんか食ってきたら、寝るんだろう。俺は寝てる。寝つづける。むにゃむにゃ」
と答えたので、一人で夜の町に出て行った。ちょっと怖かった。とにかく外に出たけれど、店はほとんど閉まっていた。9時なのにレストランが開いていない国に来てしまったの化と後悔していた。しょうがなく大きなホテルをさがして、ホテルのレストランに入ろうと思った。高そうなホテルの向かいにマクドナルドがあるのもわかった。ホテルのレストランは高そうだし、お酒を飲ませる時間みたいだったので、マクドナルドを選んだ。オーストラリア第1日目の食事はマクドナルドのOZミールだった。


2月19日(水)
今日はビルさんとバスツアーで海に行ってきた。朝7時集合で、洞窟を見たりヘリコプターに乗ったりした。ビルさんは若いころ洞窟でキャンプをしたことがあるそうだ。洞窟は大好きだと言っていた。海は手前が緑で奥が青だった。このすばらしき世界に出てくる空と葉っぱの色だった。


バスに酔ってしまった。運転手のいんちきオーストラリアブッシュ案内人は何でこんなに飛ばすの?と言うぐらい、海岸沿いのくねくね道を右、左、右と飛ばしていた。速すぎたし、ゆれすぎた。気持ちの悪くなった人たちが車内のトイレで吐いていた。エチケット袋が全員分ないからと言って誰にも配らなかったからだ。
「必要な人は運転席にあるから取りに来てください。今日のツアーはよくゆれますから。」
といっていたが、ゆれすぎで誰も取りに行けなかった。

始めはビルさんの隣に座っていたけれど、気持ちが悪いので一番後ろのトイレの隣に座ってシートベルトをしてしのいだ。運転手が
「今日のツアーはゆれますから酔う人も出てくるでしょう。車酔いには生姜がいいですよ。次の停車で生姜の錠剤を買うといいです。生姜が利きます。」
と言っていた。ビルさんとドラッグストアに行って買った。これが本当に効いた。効果抜群だった。


海岸でヘリコプターに乗った。乗り込むときに誰が助手席に乗るかでビルさんと二人立候補した。
「俺は体重が重いから助手席がいい」
とビルさんが言っていたが
「ここではそんなのは関係ない、こういうときはコインで決めよう」
と係りのお兄ちゃんが言ったのでビルさんが20セントコインを出した。
お兄ちゃんが投げて、手の甲に隠した。よくわからなかったので僕は黙ってみていたら、
「あんたが先に手を上げたんだからあんたが決めな」
と言われ、どぎまぎしていると、ビルさんが
「ヘッドかテイルか」
と言ってきたので何も考えずに
「ヘッド」
と言った。ビルさんが出したコインで係りのお兄ちゃんが
「これはあんたのラッキーコインだね」
とビルさんに言いながら返していたので、ビルさんに決定したんだと理解した。


近くに牧場があって牛がたくさんいた。だから、待っている間ハエがすごくてたまらなかった。こんなにハエがたくさんいるところは生まれて初めてかもしれない。
ヘリコプターに乗るときになってビルさんが
「前の方がいい写真が取れるから、健とってね」
とカメラを渡してきた。
「え?俺は後ろじゃないの?ビルが前でしょ」
と言うと
「おまえさっきの賭けで勝ったろ。前だよ」
と言ってきた。ビルさんは笑っていた。よくわからなかった。

でも写真をたくさんとった。よく考えながら撮った。ビルさんのデジカメの電池がほとんどなくなるくらいだった。


ヘリコプターから降りるとビルさんがカメラをチェックして
「健、いい写真取れてる。何枚かはナショナル・ジオグラフィック並だ。今電池ないから後で見せるよ。」
と言ってきた。よかった。
バスに戻るとハエが入っていた。二つ前に座っているテンガロンハットをかぶった男性が雑誌でハエを追っていた。そのうちにだんだん怒り出した。しまいに切れた。ハエ一匹に全身で怒っていた。雑誌を振り回して暴れていた。後ろに座っていたインド系の女性がびびっていた。僕もちょっと怖かった。
「おおお、外人も切れるんだ!切れた!切れた!」
と小声でつぶやいてしまった。


夕方の7時50分にホテルの前でおろしてもらった。ビルさんは
「今日は多すぎた。」
と言っていた。
たくさん観光した。


2月20日(木)
今日はビルさんと午前中に海に行った。桟橋を歩いて桟橋の終わりにあるレストランで食事をしたらまずかった。そのあとホテルに帰って昼寝した。夜は「羊?シルビアって誰?」をビルさんと見てきた。羊を愛して関係を持ってしまった旦那とそれまで幸せな結婚生活をしていたおくさんの夫婦喧嘩にゲイの息子が絡んで、面白かった。終わった後には、なんか考えさせられる演劇だった。

2月21日(金)
今日から大会が始まる。今日は午後に当事者ミーティングがあり、そのあとは開会式とレセプションだけ。開会式は始めにオーストラリアの伝統的踊りを5人の少年たちが踊った。でもどう見ても白人だった。その後、ミニスターと名のつく人が何人かしゃべり、開会宣言をして、でもこの開会宣言をした人が少女に性的虐待をにしたというスキャンダルが持ちあがっていた。最後に少年少女合唱団が3曲歌った。とてもよかった。スピーチの間は眠くてしょうがなかったけれど、合唱になったらとてもすばらしいので本当に感動してびっくりした。とてもきれいな響きだった。

当事者ミーティングははじめ、名前、国、一言を全員が話し、議題は今回の大会での理事会で当事者提案の時間がなくなったことだった。そうしたら、今回の大会について不平不満がいっぱい出て、当事者の提案をどうするか話し合うより、そっちばっかりになってしまった。どうやら当事者とコミュニケーションする気がWFMHになくなってしまったらしい。製薬会社が当事者の野蛮なところを嫌ってWFMHの役員たちが圧力をかけられたと誰か言っていた。おかしな、でもありふれた話だ。


そしてなんとレセプションは製薬会社の展示の部屋でブースの前に食事が並んだ。せめてブースを閉じておくとかそれくらいはしておいてあたりまえだと思った。当事者ミーティングでひとり一言では
「健です結婚しました。」
と言って左手の指輪を見せた。


2月22日(土)
午前中に当事者ミーティングがあって、午後に発表があった。当事者交流プログラムについて話をした。原稿を読み上げたら、大きな拍手があった。ヒューヒューと歓声が上がった。よかった。やっぱり俺ってエンターティナーだなと思った。

そのあと中華料理屋に行って打ち上げをした。ビルが最高の中華料理屋だと本に載ってたと言う店に行ってシンシアとジムとビルと僕で同じコースを頼んで食べた。本当においしかった。でも給仕してくれたお兄ちゃんがとても怒られていたのでシンシアが
「彼って絶対新人よ!」
と小声で言ったのでそれで大笑いをした。それから、入国審査のときどういう風にしているかを話した。僕が
「アメリカに入国するときはいつもうそをついて入るよ。」
と言ったらシンシアが
「アメリカには精神障害があるかどうかって申告書で聞かれるの?」
と言ったので
「うん、書いてあるから、いつも一緒にいく人にはNOって書くように言ってる。だけどそのうちアメリカ大使館に行って抗議しようと思ってるんだ。だって当事者交流プログラムはずっと続けていくんだもん。」
といったらジムが
「俺なんかずーっとうそをついてきたぜ。どこの国に行っても何の薬ですかと聞かれたら。ああ、それはただの常備薬ですって答えてるぜ。普通にうそつきつづければいいんだよ。」
と言っていた。シンシアは
「そのときには精神保健協会としてサポートするからね。」
と言っていた。


2月23日(日)
今日は午後に洗濯をして一日すごした。夕方から日本人の飲み会があった。日本人の飲み会に行く前に歩いてチャイナタウンまで行ってお土産やさんでディジュリドゥを買った。一本は250ドル、もう1本は300ドルもした。でも楽器だからそんなもんかと思っていたら飲み会でジャネットに
「ディジュリドゥは北部が本場なのよ。北部で買えば一本45ドルぐらいだわ」
と言われショックを受けた。


2月24日(月)
今日は昼まで寝ていた。ビルは午後から発表があるから午前中からおきていた。午後に日本とオーストラリアの交流分科会があった。政二とジャネットと後大学の教授が二人発表した。まあまあ面白かった。
今日からちょっとホームシックになった。本物のホームシックは初めてだ。これって鬱状態に似ていると思った。だけど、ある瞬間ずいっと落ち込んで、あるときはとてもハッピーなのでちょっと鬱とは違うと思った。


2月25日(火)
今日は11時まで寝ていた。おきたらビルがいないのでちょっと不安になった。でも昼にシャワーを浴びてテレビを見てたらビルが
「今日、俺チョー早起きして8時半から会場に行っちゃった。けん、ひる食いに行くか?」
と言いながら帰ってきた。ちょうどおきてカップラーメンを食べた後だったけど
「おう、いくいく」
と言って、二人で会場に行った。昼食のサンドイッチを3つ食べたらビルが
「健の前からサンドイッチが消えた!おまえ3くちで食べちゃうったんじゃないの。」
と言ってきたので
「そう、おれ食うの早いの」
と言った。

午後からアジアの小さな分科会に出た。琉球大の山本さんが司会と発表、ザンビアからの発表、香港からの発表、イギリスからの発表の後なぜか
「うだがわさんも国境を超えた精神保健の発展に貢献しています。何かコメントや提案がありませんか?前に来てコメントしてください。」
と山本さんが言ったので、びっくりしたが
「皆さん専門家の意見を聞いているといつも予算のことが出てきます。そして精神保健の発展のためにまず専門家が成長しないといけないと誤解をしていると思います。でも専門家ばかり成長してはいけないのです。精神保健は社会全体にかかわる事柄です。ですから家族も当事者も成長する必要があります。」

「専門家が成長するより、当事者のグループ、家族のグループが成長する方がいいのです。そして、当事者として個人的なことを言わせてもらえれば、私たちに必要なのは専門家が使う予算よりも、当事者一人ひとりが回復への希望を持ちつづけることです。もしも地域に回復したの目標になる人がいて一人ひとりの当事者が回復への希望をもちつづけるならば、予算は少なくてすみます。」

「なぜなら回復への希望をもちつづける当事者は決して精神病院に入院しつづけることをしません。そういう当事者は必ず地域での回復を望みます。そして専門家を訓練して入院患者を増やすより、当事者、家族を成長させることで地域でのケアを発達させる方が予算はぐっと少なくてすみます。当事者が回復への希望をもちつづけることが精神保健の発達を促すのにもっとも簡単にできることです。」
と英語で言った。

何も見ずにすらすらいえたのでびっくりした。気持ちが張って、唇がプルプルした。
会場からホテルに帰る途中、ビルに
「俺の英語よかったでしょ」
と言ったら、
「うん、おまえの英語すごくよかった。」
と言ったので
「俺も今はそう思う。」
と言った。
今日はご褒美にこれから日本食レストランに行って、そのあと劇場でミュージカル、キャバレーを見る。


2月26日
今日は午前中は買い物に行った。昼寝をしたあと、午後になって閉会式に出た。オーストラリアのシン教授の閉会式の発表がよかった。わかりやすいし、話の展開が早くてよかった。これからWFMH会長は合衆国のパットと言う女性(MHA元会長)になる。そして、MHAの会長にシンシアがなるそうだ。シンシアは面白いおばちゃんだ。閉会式の後イタリアンレストランでスパゲッティを食べて小さな劇場に行った。オーストラリアの劇をまだ見てなかったので、オーストラリアの劇団を見に行こうと言う企画だった。まったく面白くなかった。ビルと二人で劇の途中で
「健、かえりたくない?」
といわれたので
「うん」
と答えて帰りがけに二人でさんざん
「オーストラリア全部がそういうわけじゃないだろうけど、怖くもないし笑えるわけでもないし」
「話の内容があさはかなんだよ」
「役者も悪いし、だいたい役者は日焼けしてちゃいけないんだよ」
「まあとにかく健が見た中で最低の劇じゃないの?」
「うんそうだね」
という風に劇の悪口を言った。


2月27日
昨日は、ラフターセラピィについて話を聞いた。グエンの友達の精神科医が
「あなたの国には笑いセラピィはないの?」
と聞いてきたので
「聞いたことない」
と答えた。

そうしたら
「練習しましょう」
と言って、お互いに合掌して直立して立ち、目と目を見つめあって黙っていたら片方が笑い出したらもう片方も笑い出して、そのうち見ていた僕まで笑い出して、だんだん人が集まってきて、笑いが感染してみんな大笑いしたり写真をとったりし始めた。


「ほら、笑いは感染するのよ」
と彼女が言いながら笑いつづけていた。よくよく聞いてみると、パッチアダムスの原型になったのはその笑いセラピィをしている精神科医たちだそうだ。ポイントは目と目を合わせること。何もなくても笑ってしまい、仲良くなった。正次も笑っていた。

今日は午前中に街にお土産を買いに行った。いろいろ買ってもう何も買わなくていいと思う。昼は中華のバイキングでたっぷり揚げ物を食べてしまった。今回とても太ってしまったと思う。


午後になってホテルで明日帰りの荷物を詰めて、タクシーの予約とモーニングコールの予約をした。そのあと何もすることがなくなってしまったので、川に行った。ヤラ川という川で、無料の周回ボートがあったが、それには乗らずに、かわらでのんびりしていた。

ベンチに座ってボーっとしていたら、何か悟るかと思った。結構長い時間ボーっとしたけれど悟らなかった。まわりではみんな昼ご飯を食べていた。

今回の旅で面白かった発表はそういえば教育プログラムについてだ。家族と当事者とセットで同じ時間に同じ内容を質問する。例えば、薬の副作用は何があるかとか、病気になった時の気持ちの変化とか。

それを家族と当事者を別の部屋で行い終わった後に大きな部屋にひとつに集まって意見の集約をする。これはお互いの理解にもつながるし、両方の教育になって、いいものだと思った。カリキュラムをもらったので後で詳しく見てみたいと思う。

今日午後はあまりヒマだし、川を見ていても何も悟らなかった。ふと右手を見ると水族館があった。何もしないよりまず行ってみた。一番の面白いのはさめ類のプールだった。ガラスのプールで高さは1メートルぐらい。小さいといっても70センチぐらいあるさめとエイが泳いでいた。

中ぐらいエイがの手の届くところに泳いでいるので隣にいた中国人の女の子はちょいちょい触っていた。エイが水面から目を出してひらひら顔を見せていた。ひらひら具合がとてもかわいらしいかった。上から見たら目が笑っているみたいに見えた。さめは背びれを出してすごくそばまでくるので触りたかった。けれど隣の女の子が触るたびに
「さめに触らないでください。さめをどうぞ尊敬(リスペクト)してください」
と係員の女性が言っていた。僕は触らなかった。そうしたら顔を出しているエイがガラスの壁面にお腹をあてた。しゃがんでみてみたら、エイのお腹は笑顔だった。たれ目に見えるのはえらだろうけど、口はわらっている形だった。
これから夜にビルさんとワイルドゼブラという中国のバレエを見にいく。そして明日日本にかえる。


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