2007年WFMH香港大会 |
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8月18日 夕方の便で香港に飛び立った。
「OK。ここで座っていてください。5分で着ます。絶対どこにも行かないでくださいね。このシールを肩とスーツケースに貼ってください。」 そこには僕と同様に、心細そうなアフリカンの方がいた。僕もとても心細かったが、ペットボトルの水を買いたかった。でもここから動くと絶対シャトルバスに乗れない気がしたので、ずっとこらえていた。 すると案内の女性が来て、 歩くのがとても早くて、ついていくのが必死だった。案内の女性は絶対に振り向かずに、ずんずん歩いていった。 別のシャトルバスのカウンターに着くと、オレンジ色のシャツを着た背の小さい人がいた。そこに大勢海外から、香港に来た人がいた。今度はそのオレンジ色のシャツを着た小さい人が案内した。 小さすぎてすぐに見えなくなってしまうが、彼も早足でずんずん歩いていって、シャトルバスの出発ロビーに案内してくれた。彼も一回も振り向かなかった。すぐに見失いそうになるので怖かった。 バスの出発ロビーで 「ラマダカオルーン!ラマダカオルーン!」 と叫んでいたので、走ってロビーに行った。間に合った。 バスから見る香港は 高層ビルばっかりで、とてもきれいだった。バスは車間距離をぜんぜんとらない運転手なので、とても怖かった。 汚い繁華街に入っていって、 「ああ、ここ治安悪そうだな。ホテルが絶対この辺じゃなければいいな。」 と思っていたら、そこで止まって、 「ラマダ!ラマダ!」 と運転手が言った。ホテルはまさにこの治安の悪そうな、派手なネオン街の中にあった。 ホテルに着いたのは深夜の12時45分くらいだった。背広やネクタイなど、クローゼットにかけてから、コンセントを探した。 コンセントはひとつしかなく、ベッドのそばにはコンセントがないので、大ショックだった。 でも冷蔵庫があったので、ちょっとうれしかった。ちょっと水道の水を飲んでみた。生水は沸騰させても飲まないようにしようと思った。 睡眠薬を飲んだのは2時を過ぎていた。 ぜんぜん眠れなかった。 8月19日 「当事者が集まる部屋はどこですか。当事者決議をするための部屋です。」 と言ったら、 「おっしゃっている意味がわかりません。」 と言われた。ショックだった。2〜3人にたらいまわしにされて、誰も僕が何を言っているのか理解できなかった。 「当事者の部屋は何のため?」 とか、 「親睦を深めるためですか、それなら、カンファレンスディナーがありますから、そういったときに親睦を深めてください。」 とか言われた。 思わず僕は怒って、 「あなた方は当事者の部屋を用意してないのか」 と聞いたら、大会のレジストレーションにいる、責任者らしき人が出てきた。 「これまで、毎回WFMHの大会では、当事者たちが話し合って、当事者決議を提出してたのですが、今回はそのための部屋は用意していないのか」 と聞くと 「ごめんなさい、今回は用意していないです。」 といわれた。 「全世界から当事者が集まるのに、何の準備もしてないのですか。」 と言ったら、 「今回はそういうことはありません。ごめんなさい」 と言われてしまった。とても悔しい。僕には怒りがあった。そして悲しみもあった。 香港では、当事者は重要視されていないのかと、思った。WFMHももう、当事者を重要視していないのかと、つらくなった。 メッセージボードがあったので、オーストラリアのジャネット・メアにポストイットで、 「ジャネット、当事者決議を決めるための部屋はどこだい。どこに当事者が集まる部屋があるんだい。」 と張っておいた。 オープニングセレモニーが始まる前に、ホテルから会場に一番いきやすい道を探した。 オープニングセレモニーでは、スピーチと、ライオンダンス(獅子舞)が面白かった。スピーチで聞き取れたところは、 「入院は重要な治療法です。治療であることが大切であり、捨てることではないことが大切です。」 と言っていた。
「文化としての精神保健」 ということで、西洋と東洋を比べていた。東洋のよさは「家族」と言うことだった。 でも、東洋はすさまじい経済成長の中にあるが、そこで精神病の人たちは捨て置かれているという内容だった。 西洋では当事者の権利が重要視されている。東洋では人権意識が低く、ひどい状態に置かれている人たちがいると言うことだった。 南アジアの精神病院のひどい写真がいくつも出された。大便にまみれて、牢屋の中で横になっている人たちの写真。 精神障害者が裸にされて、体育すわりをしている2003年のタイムの表紙の写真。 インドで起こった寺の火事で、ベッドに鎖でつながれた人たち何十人もが焼け死んだ、焼け跡の写真。 ただの火事で終わるはずだったのに、ベッドに鎖でつながれていた精神障害者が何十人も死んだ。そういう新聞の写真。 インドで、精神病を持つ人が木に後ろ手で縛り付けられている写真。その人は精神病があり、盗みを働いたときに、木に縛り付けられて、見世物になっていた。 とても悲しかった。 アジアは急激な経済成長をしている。そ の中で、捨て置かれた人たちは、日本の自殺者の多さも含めて、アジアの悲しい現状だ。 日本の私たちは、そんなアジアの中で自殺者の多さがトピックとして、 世界的にそれで有名になっている。とても悲しい。 発表者はうつは西洋の文明病だという仮説を昔持っていたと言うことだが、結論としては、文化的に違いがあっても、 どこにおいても生物学的にうつ病があると言うことだった。 講演者は、アジアのうつ病は西洋文化の侵入でおきているのではないかと言う、仮説を若いころ持っていたが、 どの文化の中でもおこりえる、生物学的な病気だと言う結論だった。 たいして面白くなかった。これからの3日間文化の違いを尊重しながら、やっていきましょうと言うことだった。 オープニングセレモニーでジャネット・メアに会った 「健はWFMHの大会に何回目なの?」 と言われたが、何回目か思い出せなかった。思い出せないと言うと、 「健はベイビーのころから大会に参加してるのよね。」 と言われた。僕は昔はベイビーだった。 8月20日 西洋と東洋を宗教や哲学から比べて、ただ聖書やコーランや儒教の本を読んでの文化の違いを挙げるだけだった。 西洋は自律autonomyがメイン、東洋は調和harmonyがメインと言うことだった。 精神保健の中でも、それらの違いが見られると言うことだった。 東洋は森田療法(困難を肯定して受け入れる)、西洋は精神分析(原因を探して現状を変える)と言うことだった。 じゃあ、リカバリーモデルは東洋の中でどう すれば機能するのかが、気になったので、手を挙げて質問しようとしたが、端っこにいたので、さしてもらえなかった。 その後オーストラリアの当事者、ジャネット・メアが講演する青少年のための統合失調症教育の重要性というシンポジウムを聞いた。 WFMHが作った、教育プログラムのコンピューター用CDを普及させるためのシンポジウムだった。 「私は今でも毎日声が聞こえる(幻聴がある)けれど、統合失調症を持っていることを誇りに思っている。 私たち当事者を扱う皆さん、どうか注意深く行動してください。 私たちには何もかもわかっているのです。 もし私がおかしな行動をしたら、ジャネット、行動がおかしく見えると、はっきり言ってください。 私だって、少しおかしいなと気がついているのです。 誠実にそれを伝えてくれれば、私たちは理解できるのです。 そして、私たちのために何かをするのではなく、私たちとともに何かをしてください。 “ために” ではなく、“ともに” です。」 と言っていた。 質疑応答では 「青少年への精神保健教育では、ただ情報を与えるだけ ではすぐにみな忘れてしまうのです。 一番大切なのは、人と人が出会うことです。 私たちの地域では当事者フットボールチームができていて、それが一般のアマ チュアフットボールチームと対戦していて、それが精神保健教育に大きな貢献をしています。」 という意見に対しジャネットが 「はい、私たちの地域では当事者チーム対その他の人々というラグビーの対決をしています。 それから、多くの大学や高校で当事者グループが学生にレクチャーしています。 それから、医療や福祉の大学生に当事者グループがレクチャーしています。」 と言っていた。 その後リカバリーについての分科会に出た。 「リカバリーは起りうる」というテーマで講演があった。 リカバリーの4つの条件が出た。
この4つで、リカバリーは始まると言うことだった。 それから、当事者のピアサポートの起源と言うテーマでは 「もし、リカバリーが可能だと信じるなら、ピアサポートの力を信じなくてはいけない」 と言う言葉がとても印象に残った。 誰かを助ける行為がそのまま自分を助けることになるhelping others helps you. という原理で、リカバリーはおきるということだった。 これらはアメリカからの参加者だった。 それに対して僕は 「リカバリーはとても西洋的な文化の中で起きることだと思う。私たち東洋の人間は、自己責任や選択が苦手だ。 自律autonomyよりも調和harmonyを重視する文化なので、 リカバリーが起りにくい。 しかし日本人の当事者すべてにリカバリーが起ってほしいと思っている。」 と言ったら、 「確かに自己責任や選択は 西洋の文化から出てきている。 でもものの見方を変えることはどの文化でも可能だ。 孤独が人を弱くする。 相互の助け合うこともどの文化でも可能だ。 ものの見 方を変えるということの中には、孤独であるとき自分の内面ばかりに集中してしまう。 それを外のものや人に向けることが大切なのだ。 グループを作ること、人を助けることはどんな文化の中でも可能だ。」 と言っていた。そのほかの当事者も、どんどん意見を言ってくれた。 「自分達だって、完全に独立して何もかもをコントロールして生きてるわけじゃない。誰かに依存しながら生きるのは人として当たり前だ」 とか 「大切なのはひとりぼっちでいなくすることだ。孤独は一番の悪い要素だ」 とか、一所懸命アジアでもリカバリーがおきるために、何が言えるのかを、考えてくれたが、時間切れになってしまった。 人の内面や考え方が革命的に変わることがリカバリーだと言うことは、この分科会全体を通してわかった。 そのとき、精神保健システムの中で、失ってしまった自己責任と選択を模範になる先任者がいることで、回復する。 これが起りえる場所は、ピアサポートグループ。 それが日本には起らない。 日本には自己責任という言葉はあるのか。 自己責任という言葉は、外国で戦争に巻き込まれた人の命を国家が捨てるときに、言い訳として新聞紙上で使われていただけで、日本の中ではその言葉が当てはまることは、ないのではないか。 選択も周りの人や、親に任せることが徳とされるのではないか。 そういう教育をされているのではないか。 周りを見回して、かどが立たない選択をすることが、徳とされると、大人になるとはそういうことだと、暗にみんな知っている。 日本においても、自己責任と選択とは、当事者が精神保健システムを通り過ぎるうちに失われていくのか。 それとも、もともと日本人にはないものなのか。 日本人にはリカバリーという事柄はおきる事がありえないのか。 アメリカ人には二つとももともとあるらしい。 日本でリカバリーをすべての当事者に起こすためにこの二つがない中で、ほかに何ありえるリソースは、なんなのか。 責任と選択はセットだ。自分で責任が取れれば、どんな選択をしてもいい。 薬を飲む、飲まないも、選択の内に入る。責任さえ取れれば、薬を飲まなくてもいい。 日本でそういう態度は前提としてありえない。 どうすればいいのか。結論が出ないまま時間切れになった。 分科会が終わったので、当事者の発表者全員と名刺交換をした。 司会者は香港の家族の人だったが、 「リカバリーモデルをアジアに輸入するにはどうすればいいのか模索しているんですよ。」 と言うと 「それは、絶対今ある西洋のリカバリーモデルとは違うものになるでしょう。」 と言ったので、 「アジアでのリカバリーモデルに必ず必要になるのは」 と言ったら、向こうが 「家族を巻き込むこと。」 と言ったので、 「そう、家族の参加。」 と言って、別れた。 8月21日 午前中は寝ていた。 コンボでの仕事のペースと同じ、2日がんばったら1日ゆっくりする、ということにした。 昼にホテルの並びのベトナム料理屋に入った。 これが、うまいことうまいこと。香港に来て初めておいしいものを食べた。 午後になって、当事者分科会に出た。 テーマは 「スティグマ、それは差別であるだけではない」 だった。2人のアメリカからの当事者が発表していた。一人は 「スティグマを考えるときには外からのスティグマ、たとえばメディア、世論、を考えるだけではだめだ。 精神保健システムのそのものの中にスティグマがある。 専門家や関係者から、スティグマの行為をされることもあるし、当事者同士でもスティグマの行為を持つことがある。 私はうつ病、あなたはアルコール中毒、私のほうがよい。あなたはわるい。という態度を持ってしまうことがある。 スティグマとは精神保健サービスにアクセスすることの障害になる。 スティグマのせいで人が死ぬことがある。 スティグマをなくすには、人としてその人を知ることがとても大切。 スティグマとは何か、1993年にスティグマの定義を決めるために25人のいろいろな分野から来た委員会を作って話し合った。 ものすごくののしりあうような、会議になったが、18ヶ月かけて、スティグマとは何かを話し合った。 そのうちに、お互いが知り合い、お互いの中にあったスティグマが解消されていった。 あなたをよく知らないうちに、何かを前提にしてしまうことで、スティグマは発生する。 スティグマは」 そして、参加者の一人を指して、その人は黄色い花柄のワンピースを着ていたのだが、 「黄色の花柄のワンピースを着ている人は、危険な行為をするものだと、勝手に考えてしまうようなこと。それがスティグマ。 ああ、今ここに、黄色の花柄の人がいる。 ああ、黄色の花柄の人が、かばんの中から黄色のペンを出した。 危ない。何を考えているんだろう。大変だ。と考えてしまうことがスティグマとしての行為につながる。 もともと、スティグマという言葉は辞書の中では、罪を犯した人の顔に危険な人物のしるしとして、焼けた鉄で押された焼印という定義がある。 スティグマをなくすには水平なレベルの関係を追及する必要がある。 当事者の参加が大切だ。 精神保健におけるスティグマの定義は、大まかに言えば、精神保健サービスにアクセスするのに障害になるもの。 何かを前提としてしまった態度または信念であり、人から力を奪いよい関係を作るのを引き下げてしまうもの。 その人をよく知って、関係を持つことが大切。 スティグマは知識ではなく、スティグマ的な行為をしたか、しなかったかと言うこと。 スティグマをなくすためには、精神保健の教育とその人に会って話を聞くことが大切。 そして、常に聞くこと。聞き続けることがスティグマを解消する鍵になる。 私がスティグマをなくすためのワークショップを開くと、多くの専門家が、自分はこんなにスティグマ的な行為をしていたのかと驚いたとか、自分を省みてみると話を聞くのがつらい、もう家に帰って反省したい。とかいう感想が出た。」 と言っていた。 そしてもう一人、カーミンという女性は 「外からのスティグマ。メディア や世の中からスティグマをなくすために、私達のピアサポートグループでは、1990年から地域のあらゆる集まり、たとえば、小学校、中学校、高校、大学、 ソーシャルワーカーの大学、ロースクール、メディカルスクール、地域のクラブ、女性サークルなど、ありとあらゆる所でチームを作って訪問し、講演をしてきた。 延べ1250回 を数える。 基本的には何人かの当事者が行って、自分のストーリーを話す。 チームを作るときにはバランスよく作った。 病名の異なる人を必ず入れた。 聞く人たちの立場に適した話をした。 チームの身なりも気をつけた。 基本的には私達は建設的な人間だと言うことをわかってもらうための話をした。 いろいろな場所で話をするうちに、ピアサポートグループは大きくなり、地域で話をする機会も増えていった。 話の内容は基本的にはいいことをはなす。 また、参加者にとって脅威 にならないような、質問を多くして、参加している感覚を持ってもらうようにした。 話の内容は、本当のこと意外は話さないようにした。 会場の雰囲気をよくした。講演ではプロジェクターを使って、わかりやすく話をした。 当事者が話をすることが、スティグマを減らしていくのには一番力がある。 よく知ってもらうことが、大切なのだ。 また、質疑応答がとても役に立つ。 しかし質疑応答の中では、差別的な発言があったりしたこともある。 あなた方は、朝早くおきての午前10時から講演をできるのに、なぜ働かないのか、働けるじゃないか。という質問があったこともある。 そして、講演をすることがきっかけで調子を崩してしまうメンバーもいた。 しかし、大切なのは知ってもらうことだ。」 と言っていた。 質問で僕が 「日本でもスティグマのワークショップを作りたいが、当事者は何を話せばいいのか。 スティグマを受けた経験を話すのか、リカバリーの経験を話すのか。 それとも精神保健システムの中での経験を話せばいいのか。 当事者はどんな内容を話せばいいのか。」 と質問すると 「経験したストーリーを話せばいいのよ。誠実にストーリーそのものを話すことよ。」 と言われた。 僕の地元のグループのとにかく話そう会では、よく看護大学や福祉大学で話をみんなでするが、これもただのアルバイトじゃなくて、精神保健システムの中でのスティグマをへらすのに役立っていると思う。 また、去年は三鷹の中学校で話をした。それもいいことだと思う。一人ではなしをしに行くのではなく、チームで行くのがポイントだと思った。 8月22日 今日は、午前中は寝ていた。 午後2時15分からメトロポリスホテルで、当事者ミーティングが開かれるので、それまで休んでいた。 メトロポリスホテルに行こう と、道がわかるんじゃないかと思って、会場の香港理工大学に行ったら、昨日のカーミンというスティグマ関する分科会をやった当事者に会って、メトロポリスホテル へ一緒に行ってくれることになった。 メトロポリスホテルでは、当事者が8人集まり、閉会セレモニーで発表する当事者決議を話し合った。 台湾から来た若い女 性の当事者のスカオさんと僕が、発表することになった。 内容は 「当事者同士が集まる場所が必要であることを、忘れないで欲しい、誰が当事者か、わかるように して欲しい。 これから、多くの当事者に大会に参加してもらうために、各国の全国規模の当事者団体をWFMHに対して、投票権のある団体会員として認めるこ とを推奨して欲しい。 リカバリーを世界のどんな場所でも可能であるというメッセージを当事者からも、専門家からも発信できるようにして欲しい。」 という内容 だった。 みんなで楽しく話し合い、5時頃にはアジアからの参加者が前に出て発表することが望ましいという全体の同意があり、僕とスカオの2人が明日の閉会 セレモニーで発表することになった。 みんながとても喜んでいた。 僕たち2人は英語を母国語としない2人であり、アジアで生きている当事者であり、この二人 が明日前に出て発表することはとても意義あることだと思う。 そして、当事者が顔合わせができるように、明日の昼食の場所は、メイン会場から少し離れたとこ ろになるが、そこで当事者が集まり、お互いに自己紹介できる場所が確保された。 初めて来て良かったと思った。 アジアは当事者を大切にしないのかと、少し
怒って、少し悲しかった。 8月23日 午 前中は休んでいた。 昼食で当事者のミーティングがあった。 昨日発表すると言っていたスカオさんは、午後には台湾に帰らなくてはいけないと言うことで、閉会 セレモニーには参加できないことがわかった。 当事者ランチミーティングでは、20人くらいの当事者が集まった。 やっぱりアメリカ合衆国と、オーストラリア の当事者が多かった。アジアやアフリカからの当事者の参加がとても少なく、これではWFMHは良くない方向に行くのではないかと、心配になった。 でもアフ
リカからの当事者が1人いて、台湾からスカオさん、香港から2人の当事者が当事者ランチミーティングに参加していた。 自己紹介を各自がしていった。 ほとんどみんな知り合いだったが、香港から英語の話せるオルフェスという男性の当事者が新規に参加した。 オルフェスに 「当事者決議案を一緒に読もう」 と言った。彼は 「僕が所属している団体からお金を出してもらって、スタッフとして参加しているので、僕が当事者として前に出ると問題が発生するかもしれない。 やりたいけど、団体の都合があるから。僕はどうだかわからない。」 と言っていた。ああ、アジアは何でこんなに保守的なんだ、と思った。ランチでは自己紹介で 「日本から来た宇田川健です。僕の団体では、当事者向けの雑誌を発行していて、毎号表紙にはにこやかな当事者の写真を載せています。 これは、日本ではとても革命的な雑誌になっています。」 と言ったら、みんな拍手してくれた。 当事者ランチミーティングでは前WFMH会長の南アフリカのショーナさんが参加していた。彼女は当事者ではないが、当事者フレンドリーな人だった。 ランチミーティングでは当事者決議案を読むリハーサルをした。 オルフェスはリハーサルに参加しなかった。 オーストラリアの当事者ジャネット・メアと2人でみんなの前で読み上げた。 読む時間は新しいWFMH代表のジョンさんがプレゼンテーションを短く切り上げて、5分間を僕たち当事者にくれることになった。 代表とコネクションがあったのはジャネット・メアで、彼女が時間を確保できるように、ジョンに働きかけてくれたのだ。 午後2時からは当事者分科会でプレゼンテーションがあった。 香港からの当事者のアリスさんが香港の当事者や回復者がどれくらい差別を感じているかという調査 を発表した。 それから、オーストラリアの二人の当事者が当事者職員として精神保健システムの中で働いていることを、パワーポイントを使って発表していた。
最後に僕が 「専門家はリカバリーを提供できない。専門家が何もしない時にリカバリーは始まる。必要なのは当事者に対して信頼を持つこと。責任を委譲すること。仕事を与えること。」 という内容の経験を話した。その分科会が始まる前にオルフェスが 「当事者決議の原稿を見せてくれるかい。僕はどこを読めばいいんだい。」 と言ってきたので、僕の担当する部分の後半3分の1を読んでもらうことになった。ジャネットも、オルフェスが読むことを励ましてくれた。 分科会が終わって閉会セレモニーの会場に行った。するとアメリカの当事者のアンさんが 「ジャネット、時間が確保できたわ。5分よ。でも壇上にはあがれないの。フロアからの発言しかできないということよ。」 と言ってきた。ジャネットは 「なぜ壇上にあがれないの。ジョンとは壇上からと言うことで話は付いているのに。」 と言うと、アンが 「会場責任者が警備上の理由から予定されていない人は壇上にあがれないと言うことだったわ」 「なにそれ、信じられない。おかしいじゃない。」 と僕とオルフェスとジャネットは憤慨していた。ジャネットは 「ジョンが私たちのことを忘れていなければ、時間がもらえるんだけど、彼がプレゼンテーションに夢中になって、忘れなければいいんだけど。」 とすこし冷静だった。 閉会セレモニーが順調に進み、なぜか香港でオーディションをして選ばれた自作の歌を歌う人のパフォーマンスや、手を使って、蝶が成長する物語をするパフォーマンスなど、精神保健と全く関係のないパフォーマンスが続いた。 日本のテレビの仮装大賞のようなレベルのものだった。 新しい会長のジョンさんのプレゼンテーションが始まり、ジャネットが 「アーユーレディ?」 と聞いてきた、いよいよだと思った。 会場を見渡すと、閉会セレモニーまで残っているのは200人ぐらいで、これぐらいの人数の前なら発表するのはたとえ英語だって、緊張しないぞと、言い聞かせた。 ジョンのプレゼンテーションは 「それでは、これからコンシューマーのコメントがあるそうですので、マイクをお渡しします。」 ということで終わり、僕たちの番になった。前に出ると、 「フロアからですよ、フロアですよ。」 と会場スタッフがしつこく言ってきた。嫌な思いがした。 前に出ると、ジャネットがアジアの僕たち二人を紹介してくれた。 また、会場にいる当事者の人は全員立ってくださいとジャネットが言ってくれて、数人が立ち上 がった。 当事者決議の原稿をジャネット、宇田川、オルフェスの順で当事者決議を読み上げた。与えられた時間は5分しかないのに、 「後5分です」 「時間切れです」 とパネルで会場係が出してきた。とても嫌だった。 3人で読み上げて、会場の当事者と一緒に、最後に 「リカバリー イズ ポシプル!(リカバリーは可能だ!)」 と叫んで、終わった。 終わって、席にかえってオルフェスに 「君は本当に勇気がある。すばらしい。」 と言ったら、とても喜んでいた。ジャネットも 「みんなすばらしいわ。ちゅーしたいくらいよ。」 と言っていた。閉会セレモニーが終わった後に、3人で抱き合って、健闘をたたえた。 「ジャネット。僕はもう疲れすぎたから、ホテルに帰るよ」 というと、 「健、あなたのメッセージのおかげで、こういうことができたわ。あなたが言い出さなければ、これはできなかったわ。ありがとう。」 と言われた。オルフェスにも 「君はこれからのWFMHの当事者の次の世代をになっていくことになるんだよ。一緒にやっていこう。連絡を取り合おう。」 と言って、わかれた。これで終わった。とても疲れた。でも最後には友達ができた。 |
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