堀澄清さん

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日米交歓会について
やどかりの里登録メンバー 堀澄清

 11月6〜10日、アメリカのカリフォルニアの当事者組織プロジェクト・リターンから5名の仲間がやどかりの里にやってきた。このうち出席した6、7、8、9日について思い出すままを書き記す。
 6日 成田空港へ出迎える日だ。やどかりの里本部出発13時の予定だったが、僅かに遅れて出発し、高速道路を走って、ほぼ予定時刻に空港に到着した。そこには通訳の宇田川さん、玉村さんが既に来ていた。
 飛行機は予定時刻より30分程早く到着するも、出口に現れるまでの間を、ずいぶん長く感じた。でもその中に既知のデボラ・ジャクソンさんを見つけ抱き合って再会を喜び、ひとことの歓迎挨拶を英語で言った。そうしているうちに一人の方が、機内に忘れ物をしたので取りに行ったとの事であったが、出てくる迄の何と長く感じられた事であろうか。
 皆が車に乗り込んだ時は、すっかり日は落ち晩秋の日の短さを改めて実感したのであった。途中休憩を入れてやどかりの里近くの“さと”で夕食となる。来日メンバーの方とも鍋を囲み食を楽しみ、日本酒を飲んでいる方もいらして、リラックスしている様子にほっとする。やどかりの里には22時に到着し、寝室・フロなどを案内した後、機内で眠っていない方もいるとの事であったので、早々に引き上げたのであった。
 7日 モダンダンスは楽しく、デボラ・ジャクソンさんなどは自ら踊り出したのであった。踊りを披露した早稲田大の学生さんたちとは英語で会話を楽しんでいたのである。多分踊った中味を話し合っていたのでしょう。その後にエンジュの弁当の会食をして散会となった。
 8日 9時にやどかりの里本部に行く。予定行動の前に両替をする事になり大宮郵便局に行く。これに少々時間を取られ、埼玉県立歴史と民俗の博物館には予定時刻に遅れ、展示案内をお願いしていたボランティアさんが既に来ていて待っていて下さった。
 直ちに見学に移る。展示室では中世武士の鎧やその装束、そして暮らしなどに興味を抱いた様であり、2、3質問もありその説明に頷く姿も見られた。後半部分は時間不足の為にかけ足で見ることになってしまった。
 次は氷川神社に案内した。
 氷川神社では、七五三と重なった為に着飾っている親子連れがあちこちに見られ、太鼓橋の上や袂で親子連れと一緒にカメラに納まっていた。着物姿が美しく珍しかったのでしょう。
 昼食はすぐそばの大村庵で天ぷらそばであった。天ぷらは割合好評だったが、そばには手をつけない方もいた様で複数人の方の好みに合わせる事の難しさを思ったのであった。食後のコーヒーは好評だった様だ。
 午後は近くでのボーリングだ。日米双方とも壮年の方が大部分を占めていたので、これはかなり好評だった。来日メンバーを頭に5チームを編成し、点数を競った。100点を越えるチームがある一方80点台のチームもあって中々盛り上がったのであった。言葉は不自由でもいつの間にか楽しんでいるうちに感情の共有が生まれ知らず知らずのうちに連帯感がう深まったのでありました。
 宿舎に帰った後2時間程の休憩の後パーティーとなる。日米双方からのスピーチの後料理を食べながら交流し、お互いにプレゼントの交換をしたりした。おみやげをたくさん持ってきている方もいて、なごやかに会は進んだ。
 9日 日米精神障害者交流フォーラムは“回復(リカバリー)”を主題に障害者交流センターで開催された。
 第1部:アメリカ側5人の発表はそれぞれの回復について主題に沿ったと考えられる発表ではあったが、どのように回復してきたのかという点では鮮明だったとは言いかねるものであった。内容の多くは、今どのような事をしているのかが語られており、それなりに回復をどのようにイメージしているかをある程度分かる内容であったと思っている。
 第2部は、打ち合わせ段階では、5人の発言から回復をどのように捉えているのか不足の部分を聞き出し、日米での回復のイメージの違いなどを明らかにする事となっていたのであるが。日本側の第1発言者から、最初の発言は自己紹介のみとなっていたにも関わらず、自分の事を語り出してしまい、何を主題として対話をするのかという所から、大きくずれてしまった。後に続いた方も同じ様に自分の事を語りだし主題は拡散してしまい、何を主題とした対話集会なのかがすっかりぼけてしまった。
 5番目に発言順が廻ってきた時に、これを改めようと思い、アメリカ側の5者それぞれに回復のキーポイントとなった事柄を1つ挙げてもらいたいと発言したのだが、その答えは一言ではなく、こちらの質問意図がうまく伝わらない様であった。それで、更に病名を問わず、飲んでいる薬の量を聞き出し、日本の多剤併用との差を明らかにしようとしたのであったが、これもうまくゆかなかった。
 これらの事から、次年度に向けてのいくつかの課題が明らかになったと思うので、それを書き記すことにする。
 1人の方の発言であれば、長い場合でもそれなりの流れがあり、良く聞いていればそれなりに分かるものであるが、多人数がある主題について語るとなれば、その一回の発言は短く、しかも意味明瞭でなければならない。しばしば多人数の場合は主題がぼけ、発言が拡散する危険があるので注意を要する。これは司会者によって発言内容を主題に沿うよう軌道修正する必要がある。ここがうまくいかなかったことが1つ。日本側の5名が主題をそれぞれ自分好みに解釈していて統一がとれてなかった事が2つ目。そして、先にも書いたが、日米双方が1回の発言量が多くて何を云わんとしているかが鮮明でなかった事が3つ目。少なくとも次年度ではこれらの点をしっかり踏まえて、一問一答形式をしっかり保ち主題とした事柄を鮮明に出来る様な集会の持ち方がなされなければならないだろうと考えている。
 折角立ち上げた当事者同志の対話集会なのであるから、発言者が主題に沿わないような発現をしている場合は何らかの規正は必要でしょう。そうして、さいたま市内7ヶ所の生活支援センターと当事者会ウィーズ及び、来日した人々とも可能な限り細部まで打ち合わせて詰めておく事が必要でしょう。対話集会が実り多くなる為に、これは通訳の方の負担をも軽くすることに繋がると考えています。








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