出塩 康代さん

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2004年ロサンゼルス旅行報告記  出塩 康代

 11月29日。LAX空港到着。ビルとホセと旅行を支援してくれている秋吉さんに迎えられる。なんて澄みきった青空なのだろう。ロスは道路が大きかった。ビルはプロジェクトリターンのリーダーで当事者である。ホセもまた統合失調症でピアカウンセリングをするリーダーでピアスタッフだと言った。統合失調症とはスキゾフレニアらしい。

 11月30日。サンディエゴまでラホヤショウを観に行く。フリーウェイがどこまでもまっすぐで大きい車線で気持ちよかった。海と空がどこまでも続いていた。かなりロスからは遠かった。でもミュージカルは大変面白く歌が中心でした。車の中でデニスと話したがやはり統合失調症で学校や公民館に病気の理解を求めて講演をしていてプロジェクトリターンは2千人のメンバーがいてカリフォルニアには3千コものセルフヘルプグループがあると言っていました。帰りの夕陽が地平線に沈む姿は一生眼に焼き付けておこう。フレッドと夕食をともにしたがやはり当事者でプロジェクトの下のグループで働いている。ロングビーチの夜景を観ながらアルコール依存症の人をケアするHARBOR VIEW HOUSEのとなりのハロウィン前夜祭に参加した。100万ドルの夜景だった。

 10月31日。ハロウィンパーティ!!私たちは思い思いの仮装をして、特に私は昨日の前夜祭で買ったパンプキンを身にまとってPRTNS本部に行った。歌を歌ったりしてりんご食い競争などをして楽しんだ。真理子という日系の当事者と仲良くなり話して本部の下に30個クラブがありまたその下に100個グループがあり料理やパソコンの勉強をしているのだそうだ。当事者グループの組織が大きいのだと改めて実感しました。ホセと夕食を食べ、そこでカリフォルニア郡には契約交渉をして病院または病院を出た人を訪れて話し合い問題を解決する仕事があると言った。私の誕生日だったので祝ってもらった。

 11月1日。病院の中にある当事者運営の部屋WELLNESS CENTERを訪れた。病院の中に当事者の活動する部屋が!!なんと画期的なのだろう。入院しながらもう外の活動と触れることは日本では考えられないが必要なことだと思った。地域のTVに出て権利擁護の法律をどうするか話し合う活動があったり、医者が来て討論する薬の管理相談があったり、社会に出るときピアサポートに何が必要か話し合しあったり、パソコンのクラブやスペイン語のクラスがあったり、仕事に就くためのトレーニングがあったりする。すべて当事者が講師だそうだ。なかには精神保健局で働く人もいるそうだ。病気の問題を話し合っていかによくするかというプロカバリィを学んだり病気になりやすい人をサポートするプロケアを学び障害者差別禁止法があることを学んだりしていた。しかしアメリカでも資金不足があるため明日の大統領選挙では年収100万ドル以上ある人の1%を精神保健システムの資金にするというPROPOSITION63に投票しようということだった。午後には再びPRTNS本部にいきプレゼンテーションで日本の5人が話し3人のロスの当事者が話した。その後質疑応答があり日本での池田事件を聞かれたが精神保健サービスが解決に貢献していると答え、任意入院であれば退院できる説明はなかったのか聞かれ今の日本では残念だがない場合が多いと伝えた。今のロスの当事者活動や社会復帰システムを伝えていけば日本でも将来的には保守的な体勢が変わるかもしれないと努力していこうと思った。アジア系の人がなぜ日本はアジアを助けないのかと聞かれたがそれは日本が発展途上にあるのでいまは無理であると伝えたが将来的には可能かも。夕食をホセとともにしたが私が水着を持ってきてないからホテルのプールで泳げないと言ったら安い水着屋につれってくれてなんと一緒に泳ぎました!!私たちと泳ぐなんてなんてフレンドリーなのだろう。

 11月2日。大統領選挙の日。ANTELOPE VALLER DISCOVERY CENTERに訪問する。ロスから遠く砂漠の中であったが地平線がどこまでも続いていた。2000年にプロジェクトリターンが開いたグループでここは当事者運営でスタッフがすべてコンシューマーであった。リカバリーするための当事者グループがいくつもありカラオケに行くグループ、薬物を絶つグループ、ディズニーランドに行くグループがあった。カルフォルニア北部にはこういうグループはなく所長も25歳の若い男の子の当事者であった。経験を分かち合うことができ何もかも当事者がするから楽しくエンパワメントが一番よいから行けなくなるということもないそうだ。BIG CATの動物園を見た後夕食会で所長がギターを弾いて歌ったので私は“THE ROSE”という黒人霊歌を歌い泣いている人もいた。

 11月3日。CASRA参加。この日カリフォルニア州はPROPOSITION63を勝ちとったのでみんなうれしそうだった。でもカリフォルニアではケリーが勝ったのにブッシュが勝ったのはいただけないそうだ。フレッドはBOARD CAREという年に800ドルしかかからない病院じゃないけど家を経営しているそうだ。昼食でMFTという離婚や家庭問題の解決のライセンスを持った人とはなしてメンタルヘルスアソシエイションという組織がありDISABILITY BENEFITSという政府が障害者に資金を提供する法律があることを知った。1987年に権利擁護の法律がカリフォルニアではできた。

 11月4日。CASRA2日目参加。この大会は精神保健福祉協会が主催しており主に健常者である人々によって企画されていたので私たちにとってはなんか胡散臭く感じられどこか作られた感じがした。英語だらけで途中で抜け出しサクラメントのベニスビーチに行く。フレッドが働いていた店を見たがそこはFRESH START CAFEといい自立生活維持プログラムがあり薬物ケアがありなによりも住宅を提供するシステムがある。 

11月5日。午前にカロリーナアイランドを訪れた後Villageを訪問。ここは医者と看護士とソーシャルワーカーとコンシューマー(当事者)が同じサラリーで同じように働く場所であった。医者と当事者が一緒なんて日本では考えられないことだと思ったが理想的でもあるなと思った。病院解体政策によりホームレスとなった精神障害者を連れてきてお風呂に入ったり服を貸したり洗濯をかしたりメールや電話を貸して一般の生活と変わりなく過ごせるシステムDROPPING CENTERがあった。安く食事を提供する食堂がありおよそ1ドルで食べることができて当事者が作っているそうだ。また地域へ行って仕事をできるようにするプログラムもあり実際卒業した人の写真が飾ってあった。当事者で働いている人が優しく紹介してくれたのでとっても嬉しかった。その人に何時間働いているか聞いたら必要であれば駆けつけなければいけないので決まっておらずあるケースワーカーは実際に現場に出ていて留守だった。雰囲気がよく広い建物だった。それからホームステイに入りSignal Hill Parkにいき素敵なロングビーチの夜景を観て感激したものだった。

 11月6日。Naples Islandに行ってKayakをした。けっこう大きい島だったのでおよそ2時間カヌーを漕いでいた。でもこんなに初めてで、できたなんて感激しました。夜はミュージカルを観ました。歌が中心でちょっと長かった。

 11月7日。お別れ会をVillageで。“AMAZING GRACE”をみんなで歌ったり私たちは“上を向いて歩こう”を歌ったりした。いろんなお世話になった人に英語で挨拶を。

 11月8日。いよいよロスを発たなければいけない。このままずっと居たいがまだまだ日本でしなければいけないことがあるような気がした。THANK YOU Los Angeles


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