古屋 岳治さん

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ザ・ネクスト・ステップ プロジェクト・リターンとの、日米交流の感想
                                    古屋岳治          
 夕方フリーウェイを走りながら、沈んで行く夕日を見ながら万感の思いになった。出発して3日目だったか、こみ上げてくる嬉しさと夕暮れの良い雰囲気の中で、車の後部座席に座っていた僕は、感涙にむせた。サンディエゴまでミュージカルと西海岸の海辺を見ての帰りだった。西海岸の夕日が地平線のかなた沈んで、やがて日本に朝が訪れるのであろうと思い至ったが、感涙にむせたのは23年前病気になって(統合失調症)、まさかアメリカに訪れることが出来るとは思いもしなかったからである。高校生の頃は理想が高く、まず福岡から東京に行き勉強してアメリカに渡って、一旗あげてビジネスを成功させたいなどと大きな夢を抱いていた時代があったのだ。その後は全く海外に行くことなど考える余地がなく、ただいつもの町でなるべく楽に暮らす事を考えていた。国内旅行も体調の波があることから、慎重になりあまり旅行は好きなほうではなかった。
 今回の企画がある事は1年前から知ってはいた。参加者募集の知らせがあり、慌ててスピーチなどの原稿を書き送った。運良く受かったが、出発まで1ヶ月しかなく、飛行機や、着るもの、薬、心構えなどで頭がいっぱいで、仕事はなかば上の空で、心ここに在らずであった。トラベル英会話や、ひとこと英会話などの本を買ってはいたが、身につかなかった。飛行機も20年ぶりに乗るし、11時間のフライトがどんなものかも想像出来なかった。ロサンゼルス国際空港に降り立ったとき、ついに来たのだという嬉しさで、迎えに着てくれたカルフォルニアの当事者の方々に対し、自然と明るさがこみ上げハッピーな気分になった。
 まずは2階建てのホテルにチェックインしたのであるが、僕はセキュリティ、パスポートや現金の管理に神経質になっていた。それは初めての海外であったためでもある。またアメリカが戦争をしている国でもあったためもある。何かしら緊張感が絶えずあった。ロングビーチのアメリカ人は愛想が良かった。成田空港の日本人とは失礼ながら大違いと思った。プロジェクトリターンのメンバーは終始明るく僕らをリラックスさせてくれた。
 ハロウィーンパーティでは博多の格好をした。会場のコリアンタウンのバーでの韓国系の人にとってはあまり良い印象ではなかったかもしれない。砂漠地帯のアンテローブ・バリーでは空が限りなく青かった。観光はそのほか、リトル東京や、サンタモニカ、サクラメントなど等に行った。
 今回の当事者だけの交流会にはすばらしいピアサポートの実感を味わった。まず日本人だけの当事者だけの一行で、大丈夫かなという不安の中、一番に私が被害妄想に陥り、みんなを心配させた。英語がうまく使えなかったせいと睡眠不足のせいだ。だがしかし、同室の仲間やアテンダントの健さんが至れり尽せりで心配してくれた。これくらいの症状は一日ぐっすり寝れば治まると思っていたので次の日の昼まで寝ていた。
 次の日は同室の仲間が寝る前に体調がやばいと言って来たので心配したが、自己コントロール出来る人だったので信頼して眠れた。ラディソンホテルでの分科会のスピーチのあと、日本ではどうしたらいいのかという僕の問いに、背の高い若者が、通訳を通して是非ビレッジを見学してくれと言って来られ、急きょ予定を変えてその建物の運営状況を見学に行った。食堂には銀行があり、金銭管理の習慣をつけられるように設置されてあった。3階建ての建物だったと思うけど、いくつかのグループに分かれていて、仕事を探していくグループや、病気の知識を習得するグループ、アルコールや薬物依存を断つグループ他、いろいろなグループを選んでプログラムに沿ってリカバリーしていくシステムになっていた。そこでは当事者スタッフ、ナース、ドクター、ソーシャルワーカーが横並びで一緒に仕事をしていた。外に向かってはホームレスの人に声をかけてリカバリーへの誘いもしているそうだ。薬物依存からの復帰のための建物。一時的な宿泊施設。   
 どれもこれも建物が大きく。日本で言うところの精神病院はメンタルへルスセンターとなっていて、中に入るのには持ち物チェックが必要であったが、いびつな感じがなく、開放感溢れる施設であった。英会話の限界があって、うまく聞き出したりコミュニケーションをとったり出来なかったが、今回の旅は、日本の医療と福祉に提言する旅ではなく、自分自身が変わるための旅だった。これからの行動に行かせればと思う。


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