そおおおおお
昔のぼった山の記録と写真です
山のアルバム 4

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広川原で
1974-4-28~5-3 三伏峠~塩見岳~千丈岳、春合宿合流
1974.4.29: 新宿 3:20伊那大島着
1974.4.30: 8:00発、 8:50塩川、1:40三伏峠
1974.5. 1: 7:25発、11:00塩見岳、3:50熊の平小屋
1974.5. 2: 停滞
1974.5. 3: 6:30発、8:30三峰、9:15野呂川乗越、12:00横川岳、
       1:00高望の池、2:30伊那荒倉岳、3:30幕営地
1974.5. 4: 8:30発、9:25大仙丈、10:10仙丈、11:20小仙丈、

   その後はベースキーパー
   蕗の薹を摘んで、料理作り

4年目の春合宿は南ア 甲斐駒周辺
 (1974年4月28~5月6日)
BCは北沢峠周辺
伊那大島から三伏峠~塩見岳経由で
合宿に合流 P吉野 渋谷
塩見岳
折立〜太郎平〜高天ガ原〜鷲羽岳〜槍ヶ岳〜槍沢
 (1974年8月28~5月6日)
折立〜太郎平~高天原、槍ヶ岳、槍沢(涸沢夏合宿)
トラブルで涸沢夏合宿には不参加 キレット越えで
涸沢に入るつもりが,,,,,,,,
 ★高天原では温泉に入りました。
高天が原 右後ろは薬師岳
巻機山
 (1974年9月)
割引沢〜ヌクビ沢〜巻機山〜井戸尾根
4年目の冬合宿は北穂高
 (1974年12月30~75年1月3日)
一応リーダーで参加
1/1 AM8:25 西穂P
一人だけ帰りは新穂高温泉に下り、高山へ
阿弥陀岳 北西稜
 (1975年3月)
今回はフランケでなく
北西稜を登攀。
西穂高
 (1974年10月)
滝谷登攀のサポート予定で西穂〜
奥穂経由で涸沢に入る予定だったが、
西穂で引き返す。

西穂の登りで後ろから追いかけてきた
女性、二言三言言葉を交わす。
滝谷登攀とのことだった。仲間も滝谷登攀
と伝えた。
(その後の話)その女性、サポート予定の
仲間とも滝谷で会って言葉を交わした
のだが、登攀中滑落してしまった。
黒斑山
 (1975年6月7・8日)
車坂峠から。
 帰りは外輪山内側の草原を下る。
早月尾根から剣岳(夏合宿)
帰りは梯子段乗越から黒部ダム
 (1975年8月9〜15日)
早月尾根から剣岳 剣沢へは
長次郎雪渓経由

早月尾根で 8/9
剣岳P 8/10
梯子段乗越を越え
へとへと
黒部丸山東壁をバック 8/15
新穂高温泉〜中崎尾根〜槍ヶ岳〜横尾尾根
(冬合宿)
 (1975年12月27〜76年1月1日)

前穂北尾根〜北穂〜重太郎新道
〜涸沢BC    (春合宿)
 (1976年4月29〜5月4日)

前穂北尾根の取り付きで雨天で2日
停滞。
12/28 新穂高温泉~中崎尾根(幕)
12/29 中崎尾根~槍ヶ岳冬季小屋(幕)
12/30
12/31 槍ヶ岳~中崎尾根~横尾(幕)
八ヶ岳 
 (1978年3月18日)

小出~枝折峠~駒ケ岳~中岳避難小屋(泊)
中岳避難小屋~八海山~大崎
越後三山
 (1980年9月13日〜15日)

白毛門からの谷川岳
白毛門〜笠ガ岳〜朝日岳〜清水峠〜十五里尾根
(1980年3月)
天神尾根
肩の小屋手前
マチガ沢
西黒尾根途中
奥多摩御岳山
 〜鳩ノ巣渓谷
(1980年3月)
マチガ沢から谷川岳
 (1980年3月)
下りは天神尾根
駒ヶ岳から中ノ岳の稜線(五竜岳より)
駒ヶ岳(中ノ岳小屋より)
後ろは駒ヶ岳?
西穂の小屋のそば
子連れハイキング
蓬峠経由で土樽に下る予定だったが、
裏妙義  
 (1975年11月?)

巻機山
 (1974年10月27日)
市岳連バスハイク
那須 茶臼岳〜三斗小屋温泉
茶臼岳
朝日岳
三本槍岳?