昔のぼった山の記録と写真です
山のアルバム 3
3年目の春は白馬岳のとなり杓子岳
A尾根、C尾根 (1973年5月1~6日)
合宿前に吉田と白馬岳主稜も登った。
杓子岳
A尾根終了後?
杓子岳 Pより バックは白馬岳
小日向のベースキャンプから
3年目の夏は再び剣岳
今度は岩登り (1973年8月11~18日)
合宿前に黒部下の廊下から阿曽原経由で
裏剣を周ってBC予定地の剣沢へ。
途中黒部ダム寄りは、スノーブリッジの通過
などあり。スリル満点。
5/1 白馬主稜
5/4 杓子A尾根
5/5 杓子C尾根
十字峡
黒部下の廊下
(1973年8月11日)
裏剣 仙人池より
(1973年8月12日)
仙人池に映る
裏剣
長次郎雪渓より八ツ峰
(1973年8月13日)
6峰Aフェース
6峰Aフェース
中大ルート ここを登った
6峰C、Dフェース
本峰北壁(6峰より)
八ツ峰(本峰より)
剣本峰にて
小窓王
チンネ左稜線の取り付き
から ジャンダルム
チンネ左稜線の終了地点から
杓子岳C尾根の登攀でベルグ
シュルンドを踏み抜いて、滑落。
幸いすぐ下のテラス状のバンドで
止まって命拾い。
少しの擦り傷で済みました。
3年目の冬は遠見尾根五竜岳から唐松岳
への縦走
(1973年12月30~74年1月3日)
白岳で これから出発
根子岳 (1974年1月27日)
スキーハイク
白毛門 (1974年4月13、14日)
稲子岳 (1974年2月2・3日)
南壁 大凹角ルート
稲子湯より入山、南壁中央部エギィユ左の
凹角を登攀 4ピッチ。
取付:9:00 終了:10:50
下降ルートは左カンテアプザイル2P
屏風岩 東壁雲稜ルート
(1974年3月21〜24日)
天気が悪く、降雪の中の登攀T4尾根の
取り付きで表層雪崩発生。
これからいざ登ろうとアンザイレンしていた
ので、全員雪の中から這い出せた。
結局敗退。
前日は暗闇の中、梓川沿いの樹林帯で
リングワンデリングしてしまい、結局
時間切れで設営。朝起きたら新村橋
の傍だった。 いいことなし。
ただ、雪がやんだら星空がきれいだった。
市岳連山スキー講習会(1974年2月10・11日)
和田小屋付近から神楽峰往復。
新雪でザックを背負っての滑降は大変。
阿弥陀岳北西稜(1974年2月16・11日)
16日誤って西稜に取り付き引き返す。
17日北西稜に取付、馬の背状の岩稜に出てコンテ150m2Pスタッカット
(35m、30m)にて正面にクラックの入った第2岩峰取付、岩峰を左より
トラバース2P(20m,30m)、にてフランケ取付、左隅のクラックより取付、
人工6mで小テラス、さらに凹角状を5m人工、上部の人工からフリー
に移る所がかぶり気味で抜け出せず、退却へ。
途中振り子トラバースを含めA.P6Pで第一岩峰に出る。
あとフリーで下降、途中2PA.P
※1974年は寅年で御柱祭りで、帰りのバスがありませんでした。
美濃戸から途中、山出しの列を見ながら茅野まで歩きました。
谷川岳 一の倉沢
烏帽子奥壁変形チムニー
(1973年5月19・20日)
丹沢 新人歓迎
(1973年5月27日)
奥多摩 越沢 バットレス
(1973年6月3日)
北岳 バットレス
四尾根上部フランケ 中央稜大
ハングルート
(1973年7月8日)
丹沢 ボッカ訓練
(1973年7月8日)
プロパンガスが重かった
前穂 奥又白
(1973年7月)
宝の木を目指してブッシュこぎ
奥又の池で幕営
三峰正面登攀寸前にツエルトが
風であおられパートナーが焼けど
登攀はあきらめる。
幽ノ沢 V字右ルート
(1973年7月23日)
幽ノ沢 V字左ルート
(1973年9月1日)
一の倉 凹状ルート
(1973年9月30日)
敗退
奥多摩御岳山
(1973年10月21日)
谷川岳 (市岳連岩登り講習会)
(1973年10月28日)
富士山 (雪上訓練 好山会)
(1973年11月23〜25日)
八ヶ岳 赤岳
(1974年3月2〜3日)
三つ峠
(1974年3月17日)
八ヶ岳 小同心
(1974年4月6・7日)
外傾テラスからのボロボロ
の岩壁 残置ハーケンが遠く、
ふんぎりが付かなかった。
敗退
阿弥陀岳
美濃戸口から
8/11 黒部ダムから入山~阿曽原小屋(幕)
8/12 仙人池経由で剣沢BC
8/13 Aフェース P渋谷 大森
8/14 北壁BバットレスL1
8/15 事故の救出搬送(室堂まで)
8/16 中央チムニー,Gチムニー,
C,Dクラック P渋谷 吉田
8/17 チンネ左稜線 P渋谷 吉田
8/18 室堂より下山
新人女性の足慣らしに
これから白馬主稜へ 5/1