SCENE9
扉の開く音と共に、見たこともない2人の男が中に入ってきた。
Lはとっさに、近くの机の下に隠れた。
(見つかった?だれだ、あいつらは?私の敵?)
Lは、体を固まらせ息を止めた。二つの足音が、ゆっくりと部屋の中に入ってくるのがわかった。足音は、部屋の中心までくると、やがて止まった。
最初に、若い男の声が聞こえてきた。
「誰もいませんね」
その次に、それよりも低い声がした。
「あぁ、とりあえずはそうらしいな」
(見つかってない?)
男達のいる位置からは、Lの姿は見えなかった。Lも直接は2人を見ることができないが、ディスプレイのわずかな反射を利用して、自分が見つからないよう、慎重に2人を観察した。声や外見から判断すると、一人は若い男でもう一人は中年の男であることがわかった。
「とりあえず、コウ。お前はこれを操作して、発射をとめてくれ」
「わかりました」
「私は、出口を確認してくる。私が出て行った後、すぐにドアをロックするんだ」
「待ってください!一人でやれっていうんですか?」
若い男の方が、泣き出しそうな声を出した。Lには、それは悲鳴にも聞こえた。
「そうだ、私にこれは操作できない」
「一人じゃ、……一人じゃ、心細いです」
「大丈夫だ。何かあったらすぐにかけつける」
「でも!」
一人は弱そうな男であった。めがねをかけていて、頼りなさそうな顔、もう一人の男と離れるのを恐れていた。
(この男なら何とかなりそうだ。弱そうだ。銃を持っているが、不意をつけば何とかなるだろう)
もう一人の男は、髪に白髪が混じり少しふけて見えるが、Tシャツの上からでも、強靭な肉体をもっているということがわかる。無駄な肉がそがれ、鍛えぬかれたものであった。Lには右手に持っているナイフが、とても恐ろしい凶器に見えた。
(この男は強そう。戦いたくない。かならず殺される。怖い)
「コウ、発射を止めるのはお前にしかできないことだ。わかるな」
「しかし!」
「コウ!」
眼鏡の男は、白髪の男の一喝にびくっと体を振るわせる。数秒の間だけ、静寂が存在した。Lの目には、眼鏡の男は、白髪の男に頼らなければ何もできない弱い人間に映った。そして、強そうな白髪の男は出て行き、弱そうな男のみがこの場に残ることになりそうだった。それは、Lにとって最も望ましい形であった。
やがて、眼鏡の男は、ごくりと息を飲み込むとゆっくりと切り出した。
「わかりました。先生もしっかりがんばってください」
「よし、上出来だ」
そう言うと、白髪の男は、めがねの男の肩を軽く叩き、扉の方へと向かっていった。
(よし、あの男はいない。弱そうな男だけになった。とにかく、この場所からいったん出なくては、今何が起きているのかわからない。だけど、あの男がいる)
Lは、物の影から少し顔を出すと、眼鏡の男へ視線を投げた。
(この男が敵なのか味方なのかは、わからない。……いや、味方なはずがない。私に味方なんて)
眼鏡の男は、その場に黙って立ち尽くしている。
(どうすればいい?恐らく気づかれずに抜け出すのが一番だ。でも、外へでるための扉は一つ。それに、自動扉だからどうやっても音は生じてしまう。そうしたら、あの弱そうな男でも気づくだろう。そして、さっきの強そうな男に連絡がいく。もし、やつらが敵だったら私は……)
Lの頭の中に、先ほどの白髪の男の強靭な肉体が浮かんできた。次の瞬間、強靭な腕がLの首を恐ろしいほどの握力で、しめつけるヴィジョンへと変化した。
(あいつさえいなければ)
そう考えると、外へ出ることへの障害となる眼鏡の男は、憎しみの対象へと変わっていった。Lの表情が徐々に変化していき、それに重なるように、体の底からじわじわと熱が沸き起こってきた。
(簡単だ。味方でないのなら消してしまえばいい)
弱そうな男は、ドアを内側からロックすると、バックからノートパソコンを取り出し、ケーブルを介して、基地の端末に接続した。そして、キーボードの上に手をのせると、小さく息を吸い込んだ。息をピタッと止めると、まるで激しいピアノの協奏曲を奏でるかのように、キーボードを打ち始めた。それを操る指は、ピアニストのようにしなやかで流れるように美しく、見るものを圧倒した。だが、弱そうな男は、そのことばかりに集中して他のことに気をまわす余裕はなかった。
(今のうちに、後ろに回りこまなくては)
Lは弱そうな男の目を盗んで、ゆっくりと移動を始めた。
「よし、いいぞ。何とかなりそうだ」
弱そうな男は、事が上手くいきそうなのがわかると誰に伝えるわけでもなく言葉を発した。
(奴は今、あっちに集中している。今がねらいだ)
Lは、男が操作しているパソコンをのせている長い机の横まで接近していた。男との距離は数メートル。息を潜めチャンスを待つ。
Lは、その机からわずかに顔を出すと、舐めるようにじっくりと男を確認した。
黒い髪に黒い瞳で、どちらかといえばすっきりした顔立ち。Lにはこのような特徴を持つ人間を見ることは、とりわけ珍しいわけではなかった。どこにでいる人間。そう考えると胸の底のほうから、黒い感情がこみ上げてきてた。黒い感情は、血液の流れにのって全身に行き渡りLのすべてを支配した。その男は、もはや人間ですらなく、ただの標的となった。
(銃は机の上に置いてある)
Lは、男の起こしそうな行動をすべて予測した。そして、そのリアクションがどんなものであっても、絶対に自分が傷つかない行動を選択できるように、あらゆるシミュレーションを行った。それはわずか数秒のうちに終わった。
そして、Lはその瞬間を見逃さなかった。弱そうな男が、長い息を吐きながら自分の後方にあった椅子にどっかりと腰をおろしたのだった。
(いまだ!)
Lは弱そうな男に向かって突進していった。Lのその小柄をいかしたスピードは、常人のそれとは桁違いに素早く、またあまりの唐突な出来事に男の脳は、状況を把握することすらできなかった。
「ん、うわっ!」
Lは男を、座っていた椅子ごと横に倒した。
「いてっ!」
即座にLは、倒れこんだ男に馬乗りになって、首をしめる。Lの細くて形のよい指は、確実に男の喉元を捕らえた。男は言葉ににならない声を発する。
(死ね。死ね。死ね)
それらの突然の出来事は、男を混乱状態にさせるのに十分であった。
いきなり自分が、横になっていて、体が重くて、上に乗っているのは?上に乗っているのは……赤と薄いピンク色の小奇麗なスカート?清潔感を与える真っ白なセーター、それに加えて、白い肌、形のいい輪郭小さい口、目は、……目は前髪でよく見えない。髪は薄茶色のセミロング。このような場所には、似つかわしくないような女であった。
そのうち、男の顔が赤から、青くへと変わっていった。Lは左手にさらに力を入れた。Lの左手の親指と中指は、男の首の肉にゆっくりと沈んでいった。Lは、男の口から言葉になっていない言葉が囁かれたのを確認すると、右手をゆっくり男の首から離し、机の上にある銃をつかんだ。
男の脳には、物事を考えるのに必要な酸素は供給されていなかった。しかし、自分の額に、冷たいものが当たるのは感じることができた。銃であった。男は力を振り絞りそれを拒もうとする。しかし、すでにLは男の頭を完全に射程に捕らえていた。
Lは、トリガーに力をこめる。カチリと短い金属音と共に、わずかにトリガーがへこんだ。
(私は生き残る。そのためにお前は死ぬ。必要なこと)
Lはさらにトリガーに力をこめた。
(死ね。お前が悪い)
トリガーはさらに少しへこんだ。弾はまだでない。Lは右手人差し指に渾身の力をこめ、次の瞬間顔を外に向けた。弾が直撃する瞬間は見たくないからだ。
が、いくら力をこめても弾は発射されなかった。
(私はためたっているのか?こんな男死んでしまえばいいのに)
Lは、銃に目をやると、あることに気がついた。
安全装置がかかっていたのだ。
それに気づくと、安全装置を切るために、男の首をつかんでいた左手を放した。しかし、その瞬間、男は力を振り絞りLを体の上から跳ね飛ばす。軽いLの体は、大きく飛ばされた。
Lは頭から地面に落ち、小さな声をもらした。男は呼吸が乱れながらも、目の前にいる女に問う。
「一体?……何?……君は?」
男は、Lが起き上がる前に、Lの両手を後ろへ回してしっかり固定し、うつぶせにする。そして自分の全体重を加える。さすがのLも、こうにもがっちりと固められ、成人した男の体重がかけられると見動きがとれない。いくらもがいても、束縛は揺るがなかった。
「君は……一体何者?」
男は、まだ呼吸が乱れている。全身から噴き出した汗は、男が内側に着ているシャツをぬらし、違和感を与えるには十分な量であったが、今はそんなことどうでもよかった。
Lは口をつぐんだ。
「黙ってたんじゃわからない!」
男は、そんなLの態度に少し強い口調で言う。
Lは、何も言うつもりはなかった。というより、何も言えなかった。自分がなぜこんな状態なのかは、教えてほしいぐらいだった。また、Lにとってお前は何者という質問は、何よりもつらい質問であった。自分がなにものであるかは、まったくわからないからだ。
「いいから、答えて!」
しかし、Lは何も言わなかった。何も答えない自分に、この男は、痛みをもって口を割らせるだろうとLは思った。Lは、その痛みを想像すると、背筋に冷たい電流のようなものが流れる感覚を得た。だが、男は束縛を止めることはなかったが、口調をやわらかにし再び質問をした。
「なぜ、僕を襲ったの?君がミサイルを発射させたのか?」
(ミサイル?じゃ、あの表示はやっぱり……ますます、意味がわからない。ここはどこ?なにが起きてるの?)
男の呼吸は、徐々に正常に戻りつつあった。
男は、何もいわないこの女にいらいらしたが、暴力で口を割らせるのはいけないと思ったし、他人を傷つける勇気がなかった。それに、普段、女性とあまり接触がなく、免疫のない自分が今していることに驚きを感じた。おまけに、その顔をよく見ると、目は少し鋭くてきつい印象を与えるが大きくて綺麗な目をしている。それに加え、色の白く整った輪郭。その容姿は、誰が見ても好感を持てるものであった。
男は、故意にその力をわずかにゆるめた。それに気づいたLは、少し驚いた。そして、初めて口を開いた。
「私を、叩かないの?」
男が予想した声より、かすれた声であった。そして、語尾に鼻のかかったような甘さを残した。男はその声に恐怖がこもっていることを感じた。それを裏付けるように薄茶色の目は、上目遣いするように男を見ている。男は、首を小さく左右に振ると、静かに答えた。
「ん?うん。それはできないよ」
「なぜ?」
「人をむやみに傷つけるのはよくないよ」
(なんだ、こいつ。なぜ、そんなことをためらう)
「じゃ、私を放して」
男はいきなりの注文に戸惑った。さすがにそうすることは、危険だとわかっていたので、違うアプローチをとることにした。
「でも、その前に教えてよ。そうだな。僕はコウっていうんだ。君の名前は?」
Lが、今まで生きてきた中で初めてされた質問だった。
「私の名前……私の名前は……エル」
Lは、初めて自分の名前を人に伝えた。
「エル?……へぇ、きれいな名前だね」
Lはその言葉が、体を通り抜けるのを感じた。
「……きれいな名前?」
そして、今まで感じたことのない感覚が襲ってきた。痛いようなかゆいような、なんともいえない気分になった。それが、初めて感じた感情なので、どういう風に処理してよいかわからなかった。今までなら、例えば心が汚されたときは、怒りを表せばよくて、痛みを受けたときも怒りを表せばよくて、深い絶望感に襲われたときは悲しめばよくて、これから嫌なことがおこるとわかったときも悲しめばよくて、しかし今回は違ったのでよくわからなかった。
「あ、う、ぅ……」
言葉にならない声が出てしまった。
「じゃあさ、とりあえず答えてよ。ミサイルを使ったのは君?」
すっかり呼吸が正常に戻ったコウは、やさしく問う。
「それは、違う!私は気がついたらここにいて、私は養子になるはずだったのに、なぜかここにいて!」
Lは、それはどうしても分かってもらいたかったことなので、声を張り上げた。しかし、初対面の人間に理解してもらうには、その言葉は十分ではなかった。コウは、Lの言ったことの大部分が理解できなかったので、きょとんとした表情になった。そして、Lの言った言葉をつぎたし、一つだけわかったことを確認する。
「じゃ、とりあえずエルは、ミサイルを使ってないんだね」
「そうだ」
「なるほど、じゃ、エルはどこの企業に属しているの?」
「私の属していた企業?」
(私の属していたあの憎い企業。私に殺しをさせていた企業。私の心をさんざん踏みにじった企業。でも名前なんか聞いたことない)
「わからない」
「わからない?なぜ?じゃ君は一体どこにいたの?」
「私は、私は、どこかの企業のごみ捨て場で過ごしてた」
Lは悲しそうに言い放った。コウは、非市民(IDを持たない者)のことを聞いたことがあった。コウには、悲しみの感情と同時に、目の前の女に対する哀れみの感情が生まれた。
「私は、その企業に何もしないと2週間で死ぬ注射を打たれたんだ!」
コウは、言葉を失った。
そして、Lは続けた。
「命を延ばすためには、その企業が命令したことを、やらなくてはいけなかった。命令をきかなければ、その場で殺されるし、逃げ出しても2週間しか生きていられない。命令を実行中に死ぬこともある。でも、私はいくら嫌な命令でも聞いてきた。たくさん人を殺した。男、女、子供、悪い奴、悪くない人」
Lは、目じりの熱に気がついた。いつの間にか涙を流していたのだった。両手をコウにつかまれているので涙をぬぐえなかったため、目から溢れ出した涙は、顔をつたい、そのまま床に落ちた。
コウは何をいっていいのかわからなかった。どんな言葉もそこでは、Lの傷をさらにえぐることになりそうだった。
「でも、しょうがないんだ。仕方がなかったんだ。私は死にたくない。死ぬのは怖い、生きていたい」
Lの顔の下の床は、水溜りができるほどだった。そして、Lは気づいた。赤の他人のであるこの弱そうな男に、自分の気持ちを、自分の味わってきた黒い感情をぶつけていることを。それは、あまりにも奇妙なことで、すべてがわからなかった。
(なぜ、私はこんなことを話しているの?こんな奴に。どうともなるわけではないのに。でもわからない。この気持ちは何?悲しいはずなのに痛みがないのは、なぜ?)
その時、場内アナウンスが鳴った。
「ミサイル発射準備まで後、1分。準備完了後、自動発射されます」
「忘れてた!」
コウは、Lを抑えていた手を解くと、ノートパソコンの方に向き直った。10本の指がノートパソコンの上で、長いソナタの曲のもっとも盛り上がる場面を弾くピアニストの指のように、しなやかに激しく動き始めた。
「よし、最後!」
コウは、最後の一音を弾くかのように勢いよくEnterキーを押した。
「発射延期を確認しました。再発射のためには、コードを5分以内に入力してください」
「よし!」
コウは、発射を食い止めたのだった。しかし、予想もしなかったことが起きた。自分の頭に硬く冷たいものが、触れたのを感じたのだった。
「動くな」
それは、押し殺すような低い声だった。
「えっ?」
「動くな。今度は安全装置をはずした」
「冗談でしょ?僕たちは争う理由はないはず」
「お前はなんなんだ?わからない」
「ぼ、っ、ぼ、僕は、ここを調査しにきただけで、来たらミサイルが、ミサイルが発射されててね。そ、それを、止めようとして、い、今それができて、もう安心で、で、宮浦の所属で……で、だめ?」
動揺して声が震えているコウと反対にLは冷血な態度をとる。銃が完全にコウを捉えていることを示すために、頭の後ろを銃でゆっくりとなぞる。
「お前は一体?」
Lは正直戸惑っていた。
それは、この初めて植え付けられた意味のわからない感情のためだった。そして、このわけのわからない感情を植え付けたのは、他でもなく目の前で銃をつきつけられおびえている弱そうな男だった。Lは今まで会ってきた男と、目の前の男が、あまりに違いがありすぎるのを確認した。Lが、今まで見てきた男は、Lにいつも嫌な仕事を要求するあの企業の男達、自分にわけもなく暴力をふるう男、自分を性の道具だけにしか利用しない男、嫌がる自分を無理やり犯すことを楽しむ男、二度と思い出したくない人間達ばかりであった。
今回、Lにとっていろんなことが初めてだったのだ。
(こんな弱い男がなぜ?わからない。わからない)
そのとき、扉が大きな爆発音とともに吹っ飛んだ。
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