SCENE7



  
「まだ追ってくる」
「スタングレネードを使う。絶対に後ろを振り向くな。そのまま走れ!」
 男は、腰についていたスタングレネードを取り出すと、馴れた手つきでピンを抜き後方へ投げる。その方向に広がる暗黒の中では、巨大な物体がうごめいていた。その物体は、金属同士が触れあうような冷たい音を発しながら、目の前の二つ獲物を追っていた。男の手から放たれたスタングレネードは、その闇の中へと吸い込まれていく。
 数秒後、激しい爆発音と光を放出しながらスタングレネードが炸裂した。
 スタングレネード。元は、暴徒や犯罪者鎮圧を目的として作られたもので、円柱状の缶の中に込められた酸化鉄とアルミニウムの混合物に着火することにより、耳を劈くような激しい大音量と200万カンデラを越す光を発する。
 そこから放たれた激しい大音量と光は、追跡者達を怯ますには十分すぎる威力を持っていた。
 そして、激しい光はもう一つの役割も果たした。
 その強烈な光は、巨大なありの姿をはっきりと浮かび上がらせた。
 それは紛れもなく蟻なのだ。
 突然、嗅覚と視覚を同時に奪われた蟻達は、己の体を制御できるはずはなかった。まっすぐには進めず壁に激突する者もいれば、その場でへたり込む者もいた。足止めされた最前列のあり達に、次列のあり達が衝突して、さらにその後ろの列にいたあり達がそれに衝突して……そのような連鎖が次々に起こっていった。
「やりましたね」
「一時的なものだ。奴らは回復すれば、必ず追跡をはじめる。何か方法を見つけないと必ずつかまる」
 今、二人の男達が地下のトンネルを走っている。
 トンネルといっても企業と企業を結ぶきちんと整備がされていて、マップにのっているようなトンネルではない。
「目的地までは、後どのくらいだ?」
 中年の男が言う。
 身長が180cmくらいのその男は、服の上からでもわかるくらいの筋肉質である。普段なら、すこし白髪のまじった髪はきちんとセットされているのだが、今はずっと、ありから逃げてきたために、少し乱れている。口元にある立派なひげは、形よく切り整えられており、ほりの深い顔のつくりによく似合っている。このような緊急事態ではなく、スーツでも着ていれば女性の言ういい男の部類に入るだろう。
「えぇ〜と、今は……、えぇ〜と、あれ、今どこだ?」
 目的地までを尋ねられた男は地図をチェックし直す。地図といっても市販され、どこにでもあるようなものではない。今、2人の男達がいる場所は数十年も前に放棄された区画である。もしそこが企業間の連絡通路などであって、もしそこにいる人間が携帯端末などをもっていれば、地図など使う必要がない。通路の天井につけられている発信機の信号を携帯端末が受信し、その人間のいる位置が即座にわかる。今、男達がいる場所には、そのような発信機は存在せず、また、地図は正規のものではない。数十年前の地図を取り寄せて使っているのである。
「さっき、壁にA−7と書いてあったろう」
「と言うことは、えぇ〜と、まっすぐ行くと十字路があるはずでが……多分」
「多分じゃ困るぞ。それにどうみてもT字路だが」
 数十メートル先にあるのは、紛れも無くT字路であった。なさけない答えに中年は苦笑いする。
「いや、違う。見かたが反対でした。ちょっと待ってください。……わかんない。え?違う。どうしよう」
 地図をみている男は、パニック状態である。
 この男、何もしていないときは、地味ではあるが清楚な雰囲気を漂わせる好青年のように見える。しかし、一旦言葉を発したり、何かすると突然幼さが現れて、10台半ばの少年のようにもみえる。身長は170ぐらい。体格はがっしりとはいえず、といってもやせてるといわけでもない。はっきりとした輪郭に、少し高い鼻がついていて、いつも緩んでいてにこにこと笑っているように見える口。紺色をした横長フレームのめがねの上にある黒い力強い眉毛は、なにかあるごとに、困っているように見える八の字になる。黒い髪の毛は、起きてから手入れをしていないのか、それともそのようにセットされているのかわからないような乱れ方をしている。全体的な印象について、初対面ではみんなが口をそろえて、頼りなさそうという。
「貸してくれ」
 中年の男は、めがねをかけた男から地図を半ば無理やり取った。
「ここから、まだ少しあるな」
 中年の男は、声のトーンを落とした。それが何を意味するのかを十分にわかっためがねの男は、さきほどの混乱が嘘のように急激に落ち着きを取り戻した。
「キザワ先生、やつらを振り切れますかね?」
「コウ。それは少し、厳しいな」
 キザワは片方の頬を吊り上げて言う。コウはその顔をみて同じように頬を吊り上げた。
 世界が核汚染された頃、自然界は大打撃を食らった。自分で自分にあった環境を作りだせない種は、ほとんど滅んでしまった。そんな中、なんとか生き延びることができたのは、土の中で生活する昆虫達であった。特に、皮膚の硬い生物である。そして、いまでも最も栄えているのは社会性を獲得している蟻である。蟻は女王蟻を中心として、仲間同士で協力して生活することができるのである。この点では、人類より賢く、すぐれた遺伝子をもちあわせた生命体であるといえる。
 そんな小さな蟻がいつのころからか、巨大化してしまったのである。原因は核の影響やら、食用のために培養した蟻が逃げたしたとか色々とさわがれたが、結局のところわからないのである。そして、大きくなった蟻達にとって、人類は、貴重な食料となる。蟻は、基本的に雑食で、哺乳類などの死体に群がることがある。いままで、ちいさな蟻達は人間を襲うにも、勝ち目がなかったので人間を襲うようなことをしなかっただけであった。巨大化した蟻は人間に勝ち目を確信したので、えさとして認知し、襲いだしたのである。
 もちろん、人類もそれに対しての策は十分講じてあった。企業間トンネルには、昆虫達の嫌いな信号を発信する発信機がトンネルに付けられていて、トンネルの中はもちろん周囲30メートルはその効果がある。そのために企業間のトンネルの中で虫に襲われるなど、ほとんどない。しかし、今は何度も言うように昔に作られた区画を進んでいるのだ。
 当然そんなものはない。
「なんか、ついてないなぁ」
「あぁ、まったくだ。こんなことなら、違反をしてでももっと重装備してくるのだった」
 キザワは軽く舌打ちをした。そして、本社に戻った時に文句を言う人間のリストを頭の中で作成した。そのリストには、この仕事を拒否をしたキザワに対して、無理な命令をした人間達で占められていた。
「先生、他に武器はないんですか?」
「上は危険な仕事だとわかっていたはずなのに、重装備を認めなかった。今日は護身用の小銃と合金ナイフだけだ。お前には銃を渡しておく。あまり弾がないのだから、無駄打ちはするなよ」
 キザワは、内ポケットに入っていた小型の銃をコウに渡す。
「安全装置は外れている。トリガーを引けば弾はでるようになっている。訓練は受けてたよな?」
「はぁ、でも訓練以外では使ったことないですよ」
 コウは眉の端を下げながら言う。
「大丈夫だ。相手は虫なんだ。殺したところで、なんの感情も生まれてこないはずだ」
「まぁ、それはそうですけど……って別に僕はそういうことを気にしているんじゃなくて、ただ銃を持つことが怖いってだけで……」
 コウのその言葉は、つぶやいたように小さく、キザワの耳に入るには、十分な大きさでなかった。しかし、コウは急にあることに気がつき、大きな声をだす。
「って先生は、ナイフだけで大丈夫なんですか?先生が銃を持ったほうが、効率がいいような気がしますが」
「虫達と本気でやり合うなら、ナイフだけじゃかなり無理な話だ。だが、丸腰よりは遥かにましだ。牽制くらいになら使えるだろう。一番怖いのは丸腰のおまえが、蟻達につかまって、ごたごたする場合だ」
「うっ、足をひっぱらないように気をつけます」
 男達は、再び薄暗いトンネルを進んでいく。
 


 その薄暗い空間の中では、二人の足音が最も大きな音であった。時折、外へと通じる排気口から生暖かい風が流れ込んできて、二人に不快な思いをさせた。
「あり達追ってきませんね」
「それにこしたことはない。スタングレネードで完全に俺達を見失ったんだろう」
 力強く言い切ったキザワであったが、その言葉に確信は持てなかった。
 本当は、キザワはありの恐ろしさを誰よりも知っていた。どんなに仲間が倒れても、次々と恐怖心がないかのように襲ってくる軍隊。キザワが蟻達に襲われたことは、一回や二回ではなかった。そして、目の前で同僚が腕を引き千切られた光景は今でもよく覚えていた。
「めずらしいですね。先生はいつもありの嗅覚を侮るなって言っているのに」
 付き合いの長い二人の間では、気の迷いははっきりと伝わってしまう。
「そうか?」
 キザワは、できるだけ明るい声で反した。それだけ状況は、芳しくなかった。あり達は、すでに自分達を取り囲むように展開しており、どのような進路をとっても逃げ道はふさがれている。キザワはそのことをわかっていた。だが、コウにそのことを伝えるのは、まだ早いと思っていた。それは、不安になると簡単なことさえおぼつかなくなるコウの性格をしっているからである。
「なら、いいんですけど」
 コウが、すっきりしない言葉を返した時、それは起きた。
 男達の目先の天井の一部が、崩れ落ちたのだ。
 最初は、それは自然現象的なものだと思った。長い間放置されたトンネルの外壁が、風化などの影響を受けて偶然に崩れ落ちただけだと思った。しかし、それが意図的に行われたものだとわかるのに、そう時間はかからなかった。
 抜け落ちた天井の穴に微妙にうねうねと動く黒い物体達が、びっしりとうまっていた。
 コウは目をこらしてよくその動く物体を見極める。それらは黒い光沢があり、ぎしぎしという何かをこすり合わせたような嫌な音を発している。
「蟻だ。全部ありだ!」
 蟻であった。あまりにも大量の数が、固まっていたのでわからなかった。2人は無我夢中で、前方に走り出した。蟻達は天井から次々と降りると、2人のほうに向かって詰め寄ってきた。
「なぁ、コウ。しってるか?」
「なにをですか?」
「はたらき蟻って、みんな雌、つまり女性。あんな大勢の女性に追われて光栄だろ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
 コウの脳は、物事を整理できるほど正常に働いていなかった。脳は、前方に走ることのみを命令した。しかし、不幸というのものは連続して起こる傾向にある。前方に黒くちかちか光ったものがあった。その物体の一部が、かすかな光に反射してちかちかと嫌な輝きを二人に投げかけた。
 蟻である。
「先生!前にも。もう、駄目」
「コウ、とにかく走れ!」
 キザワはそう言った瞬間、足の筋肉に意識的に力を入れる。そして、コウを風のように抜き去ると、前方のありへと猛烈に突進していった。
「先生!」
 キワザは、コウの声を後ろから感じながら、ナイフを取り出した。
 それに気づいた蟻は、鋭いあごをキザワのほうに向けた。しかし、キザワは怯まなかった。それどころかキザワは、さらに加速した。たゆまれないトレーニングによって作られたキザワの筋肉には、無駄というものが存在しなかった。そこには、ボディービルダーのような不自然なたくましさではなく、戦場で生き残るために必要なものだけが存在した。そして、そこに秘められたエネルギーは普通の人間のそれとはかなりの違いがあった。
 キザワは一瞬で蟻の懐に飛び込んだ。そして、次の瞬間蟻のはらにナイフを突き刺し、自分の体の2倍はあろう蟻をそのまま上に押し上げ、横に投げ飛ばした。
「先生!」
「よし。走れコウ!」
 キザワがそう叫んだそのときであった。突然、まわりの空気をも揺るがすような振動が伝わってきた。
「うわっ、なんだ。今度は何?」
「これは、一体?」
 最初はゆるやかに、そして時間が立つにつれそれは激しくなった。人間は立っていられないくらいであった。二人はその振動に耐えられずにその場に倒れこんだ。
 これは、蟻達も予想していたことではなかった。あたりをきょろきょろうかがっている。コウはその振動が下から上に伝わってくるのを感じた。
「なにかが、下から、込みあがってきている」 
「まさか、ICBMが発射されたのでは?」
「ええぇ?」
「しかし、この振動、それしか考えられない」
「そうですが」
 数秒後、2人は外壁の温度が上がっているのを感じた。そして壁のはるか向こう側で、なにかが通過したのを振動で感じ取った。
「コウ、アリたちも戸惑っている。今のうちに、戦略ミサイル基地に急ごう」
 



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