SCENE5
宇宙開発第三ステップが終了し、火星への移住(テラフォーミング)が可能になった。火星にはすばらしい環境が整い、地球は温暖化や大気汚染や海洋汚染などの人類の犯した罪によって、人類の生存は見切りがつけられようとしていた。
その頃、地球で最も力のある国に対して、大規模な攻撃が行なわれた。攻撃を仕掛けられた国は、この攻撃はある一部の過激派集団によっておこなわれたものであると判断し、ある集団を犯人と特定した。攻撃を仕掛けられた国はその集団に対し、他の国と連合して報復の準備をすすめていた。その報復の規模は、歴史上最大のもので、すさまじい数の兵器と人員、そしてお金が費やされた。
報復攻撃が今か今かとなっていたころ、最も力のある国に更なる大規模な攻撃がくわえられたのであった。その攻撃はすさまじいものであり、大陸の全土にまで衝撃が走った。そうなると、連合軍は一気に敵の集団に対して攻撃を仕掛けた。たくさんの爆撃機を使い、強力な爆弾をたくさん落とし、徹底的にその集団の生息する拠点を攻撃していった。その攻撃が数週間続いた後、その集団は形の上で本当に壊滅した。彼らの根城は塵となり、投降した捕虜を除き、生存者はいないとされた。
世界はこのことを二度と繰り返してはなるまいと、さまざまな条例がつくられ、人々はこのことを忘れまいと一人一人の心に刻み込んだ。また、世界のさまざまな場所で、大規模な攻撃が行なわれた場合に対処すべく、どんな兵器でも破壊することのできない大規模な地下シェルターが建造された。
しかし、世界がそのことを忘れかけたころ、また大規模な攻撃が行なわれた。今回は前と違う数箇所の国に、しかも同時に行なわれたのである。大きな領地を持つ国、その近くにある争いに無縁とされていたちっぽけな島国、たくさんの人が住む国、寒い国、熱い国。
そして、その攻撃は更なる悲劇を生み出した。社会的不安定国家の報復用核ミサイルを作動させてしまったのだった。混乱の渦中にある各国の主要都市に、次々と核ミサイルが降り注いだのだった。迎撃ミサイルやイージス艦や戦闘機によって、なんとか迎撃に成功した国もあれば、失敗した国もあった。
それによって引き起こされた核汚染は、生物の存在を否定するのに十分すぎる規模であった。直撃した地域はもちろんのこと、その周囲数百kmまで汚染は生じた。
今回の攻撃に関しては、もはや誰が犯人なのか証明する手段はなく、人類は以前に作った大規模な地下シェルターに身を隠すしかなかった。
もっとも力のある国は、ミサイルをほとんど迎撃していたために、核による汚染は免れた。そして、世界の復興のために中心となって他の国をまとめ上げた。その事業のひとつに地下シェルターを地下都市に発展させて、トンネルで他の国とを結ぶというものがあった。そのことは、後に世界の国境線をあいまいなものとすることになった。どの国においてもどの人種がいて、お金の単位が統一され、同じ言語を話すこととなる。
そして、時代や状況が変わっても人の行動原理は、何ら変わらないものである。人は地下都市の中でも豊かな区画に流れる傾向にあった。豊かな場所ということは、物が充実して、仕事があり、より地上での生活に近いということであった。そんな中で、国家という概念は徐々に薄れていき、企業が急激に力をつけていった。それは、企業とは他人同士を家族のように結びつかせる役割をするためと分析した専門家はいる。人々は企業に属し、その企業の領地で暮らし、その企業の定める規則に従い、企業を自分の国として生活するようになった。
それは巨大なトンネル。
横幅40メートル、縦幅50メートルのそれは、企業と企業をつなぐ唯一の物理的なものである。
Lは地図に従って歩いていた。
普段、Lがこのような連絡通路を歩いているときは常に時間を気にして、これから行なうことへの恐怖心、それをやり遂げたあともまた同じことの繰り返しという絶望感で、とても厳しい表情をしている。だが、今回は違った。
ゆっくりと道なりに歩いている。その顔は、今までのLからは見ることの出来ない緊張感のないものであった。Lは時々足を止めては、自分の右腕をさすってみる。
そこには、いままであったバーコードが消えていた。
数時間前に男の一人に注射を打たれてから、時間がたつにつれ、それが薄れてきたのだった。話によるとこれが完全に消えた時、Lの体に存在した自滅プログラムが消去されたことになるらしい。Lは始めそのことを信じることができなかった。絶対に裏があると確信していた。もちろん、そこには交換条件が存在したのだった。
だが、それもLが想像したものよりもはるかにポジティブなものだった。
その交換条件とは、Lが養子になるということだった。その話をLが聞いた時、養子ではなくて奴隷ではないのかと男達に突っかかった。その依頼主、つまり養子を望んでいる主は、Lのいた企業とつながりのある企業の有力な人間ということであった。どうして、養子を欲しがるかというと、よくある話だが、夫婦の間に子供ができなかったからだそうだ。
企業は、Lの経歴を架空のもので固めて、あくまでLを施設にいた子供として提供するつもりなのだ。要するにお互いの関係をつなぎとめておくために、Lを使うといわけである。なぜ、もっと純真さをもっている幼少の子供ではなく、Lのようなある程度育った子を望んだのか。それは、その夫婦は高齢なため、この先介護役も兼ねてそれなりの能力や分別を持った娘がほしいということであった。
Lは最初は迷った。そんなことまったく信用できないし、売られた先でどのようなことをさせられるか、わかったものではないからだ。しかし、男が次に発した言葉は、Lに微妙な感情の変化をもたらした。
「その夫婦は非常に情に厚い方達だ。お前のことを持ちかけたとき非常によろこんでくれた。お前の写真を見たときの反応は上々で、とても気に入っているようだった。彼らならお前をかわいがってくれるだろう」
かわいがってくれるとは、ただで自分を大切に思ってくれることと同義である。Lは、そう考えていた。そしてLは、ただでもらえるそういったものを信じてはいなかった。だが、完全にあきらめていたわけではなかった。心の奥底では、そういったものに強く憧れていたのだった。
Lは、その夫婦との待ち合わせのため、連絡通路の途中にある無人コンビニエンスストアに向かっていた。
Lは再び歩き出した。時々排気口から生暖かい風が吹き出してきて、Lのスカートが上に舞い上がる。しかし、Lは無関心で特にそれを手で抑えようとはしない。
その赤と薄いピンクで構成されたスカートは、デザインこそシンプルであったが、元々の素材がよいLにとりわけ似合っており、Lの持つかわいらしさをひきたてた。
Lがなぜスカートをはいているかというと、Lは親のいない普通の女の子であるという設定で、夫婦に養子としてもらってもらうのである。Lがスラムにいる時着ていた擦り切れたズボンや、ナイフの切り傷や血のついたジャケットをさすがに着ていくわけにはいかない。
数時間前に男達はLにシャワーを浴びさせ、傷の治療を施し、うっすらと化粧をさせた。そして、最後に赤と薄いピンクで構成されている小奇麗なスカートと、艶やかでありながら清楚感を兼ね備えた真っ白のセーターを着せた。鏡を見た時は、自分自身非常に驚いた。まわりにいた男達も、ほんの少しであるが「おっー」と息を漏らした。鏡に映っていた人物があまりにすばらしかったからだ。色の白い肌に、少し鋭いが大きくて茶色い目、小さな口、くっきりとした輪郭、決して抜群のプロポーションとは言えなかったが健康的な肉付きをした体、肩にかかるか、かからないくらいのところで軽くゆれているつやつやな薄茶色の髪。そんな人物が鏡に映っていた。Lの後ろに立っていた男は、目の前に立っていたLを見て、思わず後ろから抱きしめたいという欲望にかられた。
Lは鏡というものが、本来嫌いであった。それは、鏡を見るたびにこの世で最も醜いと思っているものをみることになるからだ。しかしそのときは数秒じっと見入ってしまった。最初は本当にこれが自分なのか困惑するくらいだった。
Lは、数時間前のことを頭の中で再現していると、いつのまにか待ち合わせ場所である無人コンビニエンスストアについていた。そこはトンネル内を移動する人が休憩するために利用する施設であり、水、食料、衣料品などの自動販売機がいくつか並んでいる。商品の状態はネットですべて管理されており、商品がなくなったり、賞味期限が切れそうになった時のみ、それらを運営している企業の人間が品物を搬入する。
その場所に、人の気配は無かった。もともと交通量が少ない区画にあるため、それは仕方が無いことで、そこにはそれらの機械が動いていることを示す低い音のみが存在した。
Lは男達にもらった小さな橙色のバックからカードを取り出すと、飲み物の自動販売機のカード投入口に挿入し、オレンジジュースのボタンを押した。販売機から勢いよく飛び出してきたよく冷えたジュースを手に取ると、建物の正面にあるベンチに座った。その場所は極めてきれいな場所であり、ごみといえる物の存在が見当たらなかった。
「こんにちわ。モニカです。よろしくおねがいします」
モニカ。それは男達によって作られた人物の名前。すなわち、これからのLの名前。
「こんにちわ。おはよう」
Lは誰も居ない方向に話し掛けた。
(あいさつ……こんなもので初対面の相手を信じられるのか?愛想をよく?そんなこと私にできるのか?)
Lは、ポケットから小さな手鏡を取り出すと、自分の姿を映した。そこには、いつになく不安な表情をした自分がいた。
(こんな私を近くに置いてくれる人はいるのか?そこに私がいても誰もなにもいわない場所。私がいてもいい場所……いままでそんな場所なかった。これからは?)
Lは、自分の手のひらを見つめ、小さくいった。
「ありがとう……か」
すると、通路の方から車両の近づいてくる音がした。その音はだんだん高くなっていき、数秒後に黒い車が姿を現した。黒い車は、Lの座っているベンチの前にあったロータリーへ入ってくると速度を落とした。そして、Lの前までくると完全に停車した。
Lは緊張していた。これから自分を演じなくてはいけなくなるのだから。普通の女の子。それが、自分の演じなくてはならない役である。だが、Lには今まで普通の女の子の友達などいた覚えが無かった。
(普通って一体どんなことを言うんだ?普通の人間なら初対面でどんな対応をするんだ?)
考えがまとまっていないうちに、運転席から誰か出てきた。
白髪頭で背の高い初老の男であった。その男はLを見るとにっこりと微笑んだ。そして、ゆっくりと近づいてきた。お互いの瞳がよくみえる位置まで男は近づいてきてやさしい口調で言った。
「こんにちわ。私はアンドレイ夫妻の執事であります。ワイズといいます。モニカ様ですね。あなたをお迎えにまえりました。さぁ、まいりましょうか?」
Lは男の目をじっと見つめて、激しく鼓動する胸をおさえて言った。
「こっ、こんにちわ。こんにちわ。モニカです。よっ、よろしくおねがいします」
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