昔のぼった山の記録と写真です
山のアルバム 1
初めて”本格的な山登り”で行った
春の鹿島槍ヶ岳(1971年4月30日
~5月4日)
ベースキャンプからの鹿島槍
夏には剣から穂高まで大縦走
(1971年8月1日~7日)
このときは、剣岳には登りません
でした。
別山から見た剣
雄山から五色ヶ原、薬師岳
通って槍の向こうに行きます。
鹿島槍南峰で
ベースキャンプで
山岳会のメンバー
↑
五色ヶ原、薬師岳
↑
槍ヶ岳
五色ヶ原
冬は春に行った鹿島槍ヶ岳の北峰
に東尾根から
(1971年12月〜72年1月)
ベースキャンプへの途中
北峰頂上 ガスっていて真っ白
ピークからの下降の途中
岩稜帯は懸垂下降 滑落しそうに
なりました。
BCより鹿島槍北峰
BCより鹿島槍北峰
黒部五郎岳
雲ノ平経由なので黒部五郎岳は
行っていない。
赤石岳 (1971年10月28〜31日)
転付峠~二軒小屋C~荒川三山~避難小屋C
~赤石岳~畑薙
南アは前山越えがあるので大変
1971年春合宿、鹿島槍
1971.4.30: アルプス10号23:15発
1971.5.1: 信濃大町6:20着 扇沢より、4:20爺ヶ岳手前主稜線
に出た所で時間切れ、ふきさらしの所で幕営
1971.5.2: 12:30 冷池B.C
1971.5.3: 鹿島槍南峰アタック
1971.5.4: 撤収 爺岳より信濃大町
1971-08-01~07 立山~槍縦走
1971.8.1: ケーブル、バスで室堂 10:30室堂発 1:15 剣沢(幕)
1971.8.2: 5:40剣沢発 9:30雄山、11:15一の越、12:00浄土平、3:00五色ヶ原(幕)
1971.8.3: 5:30五色ヶ原発、スゴ乗越 3:30北薬師P、4:10薬師P、6:15太郎小屋(幕)
1971.8.4: 7:35発、 2:00雲ノ平(幕) 雲ノ平で黒ユリを見ました。
1971.8.5: 6:50発、10:35双六小屋、11:55槍、3:45槍沢(幕)
1971.8.6: 槍沢で停滞
1971.8.7: 槍沢5:20発、6:50天狗原分岐、10:30横尾、11:20徳沢、12:30上高地
赤岳北方リッジ
ここを登りました。
3ピッチ程度だったか
赤岳北方リッジ
取り付き
登攀終了 赤岳頂上
手袋を付けての登攀は
カラビナの着脱など時間がかかり
大変でした。
阿弥陀岳の手前で雪洞
で1泊
雪洞 →
阿弥陀岳頂上
赤岳
阿弥陀岳より
阿弥陀岳
中山乗越より
阿弥陀岳南稜から赤岳主稜
(1972年3月)
大同心
氷河公園
丹沢水無川本谷
(1971年10月2・3日)
尾瀬沼(1971年10月9日)
市民ハイク
扇沢から爺岳に続く主稜線までは
ラッセルが大変でした
鹿島槍の登口の鹿島部落で名物のカブの漬物、赤い色
をしている(無料)をタラフクいただいた記憶があります。
1971-07-16~18 大樺沢〜北岳、農鳥三山〜奈良田
1971.7.16:6:15 広河原小屋〜大樺沢〜八本歯のコル〜12:10 北岳
1971.7.17: 5:55 北岳肩出発 6:20中白根 9:40農鳥岳
10:40深沢下降点 12:5 大門沢小屋
1971.7.18: 12:50 大門沢小屋 台風が接近、夜中に奈良田に向け
沢筋を下ることに。夜明けに奈良田着。そのころには
雨も上がっていた。
南ア 農鳥三山
(1971年7月16~18日)
市岳蓮 遭対訓練 土樽
(1972年3月)
遭難者役は
自分です。
→
引率係りとしてお手伝
古賀志山 トレーニング
(1971年6月12・13日)
古賀志 トレーニング
(1971年7月10・11日)
丹沢 トレーニング
水無川 戸沢
(1971年6月22・23日)
南ア 仙丈岳の途中から甲斐駒
(1971年8月15・16日)
戸台~丹渓新道~千丈岳~北沢峠~甲斐駒~黒戸尾根
雷鳥の親子がいました。
.8/15 7:15戸台発 9:40丹渓山荘 12:306合目 2:25馬の背(幕)
.8/16 6:00発 8::40北沢 10:20駒津峰 11:40甲斐駒P
3:15笹ノ平 4:40神社
10/28 7:15田代入口発 12:00渡渉 2:20転付峠 3:45二軒小屋(幕)
10/29 雨で停滞
10/30 4:05発 7::35マンボー沢の頭 9:35千枚岳 1310悪沢岳
3:55荒川非難小屋
10/31 6:00発 8:10小赤石 9:55赤石P 10:50東尾根分岐
12:20富士見平 4:15椹島