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  6   夫婦円満にウサギ一羽
 
 犬や猫たちとしか暮らした事がない人たちが、うさぎは表情に乏しく感情をよみにくく、コミュニケーションがとりにくいと言うのをよく聞きます。確かに、うさちゃんたちはうれしさや辛さを、わんこたちのように大げさには表現しません。それどころか、体の不調などはいよいよという時まで隠して、最後の最後までごはんを食べている子もよくいます。(獣医泣かせの性質ですが、これは草食獣の悲しいさがなんです。)
でも、怒りの表現では、負けていないうさぎさんもたくさんいます。ぶうぶう鼻を鳴らして突撃して、噛みつく、攻撃的な子もいますね。
 
 そんなうさちゃんたちも、一緒に暮らしてみるとうれしさや気持ちのよさなんかも、けっこうわかるようになるものです。
それだけでなく、うさぎの方も、人間の気持ちをわかってくれる事もあるんです。わたしがその事を初めて感じたのは、新婚時代のある朝のことでした。
 
 その喧嘩の原因も、今となっては覚えていませんが、わたしたちは、ある休日の朝、ベッドの中で、小さな口論をしていたんだと思います。(けんかといっても、だいたいは私が一方的に怒って、彼はそれを何とかなだめようとする、というのが定番なんですが・・・)
 
休みの日の朝は、いつものんびりとシャンテもおふとんに誘い、朝寝をするのがお気に入りだったのですが、その日も、喧嘩が始まるまではシャンテは川の字の真ん中でうとうとしていたはずです。
 
 突然、けんかが始まったので、シャンテも寝ていられないと感じ、お布団の上に這い出てきました。そして、次にシャンテがとった行動は、私と彼の間のおふとんの上に乗って、一生懸命前足で足踏みを始めたのです。よくネコが前足をふみふみするのを見たことがありますが、ちょうど同じように、やさしく足踏みするのです。
 
 シャンテのとても真剣な様子に、2人とも、思わず大笑いをしてしまい、けんかはそれでおしまい。シャンテが私たち夫婦のただならぬ様子に、仲直りさせなくちゃ!と頑張ったのでしょうか。
 
 その後も数回(新婚家庭なので、そんなにシャンテの足踏みの出番はなかったのですが)その行動をとって、夫婦の危機を回避してくれました。
 また、外出から戻ると、足元にまとわりついてきたり、遊び疲れると、人のそばに寝転んで、気持ちいいところなでて、と催促したりと、けっこうコミュニケーションをとってきました。
 
 こんなふうに、うさぎさんとの関係は、わんこやねこちゃんとは、また一味違ったものが味わえるのです。小さなを発見を積み重ねだんだん心がつながっていく、こんなところが、うさぎと暮らす醍醐味なのでしょう。

  7   大脱走
 
 昔、ハムスターを飼っていたことがありました。(名前はへいべえといいました) その子がある晩、小屋抜けをして、行方不明になってしまいました。小さな部屋なので、探せばすぐに見つかるだろうし、お腹がすけば出てくるだろうと甘く考えていたら、2日経っても出てこないのです。ひまわりの入れ物をカラカラさせても、反応なし。もちろん名前を呼んでも出てきやしません。3日目になって、もう半分諦めの境地で、引越しの時にどこからかひからびたハムスターが見つかるという恐ろしい光景が脳裏をよぎり始めた頃、突然、押入れの襖の隙間からヘロヘロになったへいべえが出てきたのです。ちょうどTVで、さざえさんを見ていた時でした。 
 
 よくもまあ無事で、と労をねぎらい、ケージに入れてごはんをたっぷりあげました。
そして以後ケージの出入り口には洗濯バサミでがっちり鍵をかけるようにしたものです。今でも続いているサザエさんを見ると、へいべえの事が思い出されます。
 
 話をうさぎの事に向けましょう。
 
 うさぎはさすがに家の中で行方不明になる事はないでしょう。でも、お外で行方不明になることは起こりうるので、ご注意くださいね。シャンテは2度、茂みに隠れ、しばらく出てこなくなる事件を起こしました。
 
 1度目は、アミちゃんのお墓参りに行った時。本来うさぎは見知らぬ場所では、初めからあまり無用心に歩き回ったりしないものなのですが、身を隠すのに格好の茂みなどがあると、スタスタと入り込んでしまう事があります。その時もアミちゃんのお墓の反対側には休耕田の葦原が広がっていたのです。そういう所に入ってしまうと、うさぎさんは俄然、野生の魂を呼び起こされるようで、嬉々として穴掘りをしたり、あちこち探検をしたりで、呼んでも全然反応をしませんでした。結局、彼が葦原に入って名前を呼びながら追いかけ回し、シャンテに警戒の足音を立てられながらもやっとのことで、追い出しに成功しました。
 
 2度目は、自宅の裏の植木畑の茂みでした。いつもは怖がって、その畑には入らなかったのですが、その日は意を決して入ってみたのでしょう。その時も数時間にわたり、茂みに隠れ遊び続け、結局また夫に連れ出されました。茂みの木々は、何の木だったのか覚えていませんが、とげのある木の茂みのなかで悪戦苦闘した彼が痛い痛いと言っていたのを覚えています。
 
 行方不明から探し出されたあとのシャンテは、体中、土にまみれて真っ黒で、それでもとっても満足げで、四肢を投げ出してのびていました。
 うさぎをお外に連れ出す時はくれぐれもご注意を!

  8   あごんだれシャンテ
 
 診察室で時々、子うさぎの雌雄鑑別をたのまれることがあります。でもまだ幼い子ウサギたちはなかなか判別しにくい事が良くあります。そんな時は、一応男の子か女の子か可能性の高い方を言っておいて、あと数ヶ月したらまた連れてきてくださいね、とお願いします。
 
なぜ、こんなお話を書き始めたかというと、実はシャンテは本当は女の子だったのに、亡くなるまでわたしたちは男の子だと信じていたからです。その根拠は例の赤羽のペットやさんで、しろうさぎは男の子、白黒うさぎは女の子と、言い渡されていたからなんです。
 
男の子のうさぎを飼っていらっしゃる方は、みんなご存知かと思いますが、うさちゃんのタマタマはとっても立派で、間違いようがないはずなのですが、私たちは二人とも見たことがなかったので、うさぎのそれはどこかにひっそり隠れているものなんだと認識していました。
 
 おまけにシャンテはよくわたしたちの足元にまとわりついてマウントをしていたのです。(これは気の強い女の子には時々あることなのです)
ま、おうちのうさぎが男の子でも女の子でも人間との関係においてあまりたいした問題ではないのですが、普段、シャンテを男の子として扱ってきたので(シャンテぼうずなんて呼んでいました)、亡くなった後、女の子と判明したあとも違和感がずっとありました。思い返してみれば、時々一心不乱に胸の毛をむしってほっぺをぎゅうぎゅうにしていたり、年を重ねる毎にあごの下に立派な肉垂が出来てきたり、女の子を示唆することはたくさんあったのですが・・・。
 
 肉垂といえば、近所の八百屋のおじさんがシャンテの立派な肉垂を見て”見事なあごんだれだなー”とほめながら、これはおすうさぎにできるものなんだと教えてくれたのです。何かの本で、メスウサギにできるものと読んだ気がしたけど、おじさんが言うんだからまちがいない!と確信を深めたものです。そして”あごんだれ”は我が家でお気に入りのキーワードになりました。

  9   親ばか
 
 うさぎの飼い主さんに限らず、お家に人間以外の家族をもっている方は、多かれ少なかれ”うちの子が一番!!”と思っているのではないでしょうか。
 
 我が家も夫婦二人そろって、ご多分にもれずシャンテがいた頃は、相当の親ばかでした。
シャンテは日本白色種という昔は良く見かけた目の赤い白うさぎで体重は3kg以上もありました。
 
今流行のドワーフ系の小さな子の倍以上もあります!(一時は3倍にも!)
当時は、今ほど色々な種類のうさぎはいませんでしたが、それでも、こじんまりとかわいらしいうさちゃんは、時々見かけました。
今でこそ、二人とも少しは客観的に判断できるようになりましたが、その頃は、小さくてかわいい子を見ても、一応はかわいいねと言いながら、でも、シャンテの方が知的だとか、毛艶がいいとか、うさぎらしいよね、とかに話が変わってきます。
 
 特にシャンテと同じ日本白色種に出会ったときは、もっとテンションが上がってしまいます。うちの子の方が顔立ちが上品だに始まり、耳が薄くて小さめでかわいい、体つきがきゃしゃで品がある、目がすばらしい、しっぽが素敵!などなど、目に余る親ばかぶりです。時々遊びに来る母などは、そんなうさぎ自慢を聞かされ続けていても、学校のうさぎとの違いがわからないと、そっけなく言っていましたっけ。
 
 とにかく、シャンテが一番!を貫き通していた私たちですが、ただ一度、あれは飛鳥山公園だったでしょうか。小さめのおとなしそうなうさぎをだっこしてのんびりお散歩している女の人に出会ったときは、二人とも、あんなおとなしいうさぎっていいな、とつい思ってしまった事がありました。
 
 シャンテはひざの上でのひっくり返し抱っこは好きだったのですが、人にずっと縦抱きにされるのは嫌いで、すぐに逃げ出してしまったのです。それも、思い切りガリガリやって、ミミズバレを残すような嫌がりようでした。私の腕に抱いて、3人でいろいろな所にお散歩に出かけるのは、夢だったのです。
 
 ま、暴れん坊なのがシャンテなので、と思い直し、抱っこの夢はすぐに消え、夫婦そろっての親ばかぶりはずっとずっと続くのでした。今でも、気がつくと、シャンテ自慢をしていることがあります。
 
 自慢と言っても、実は冷静に考えると、その子の欠点だったりします。でもその欠点までもが、個性的でかわいいと感じるのはやっぱり愛情に裏打ちされているからなのでしょう。人間の、それも少々大きくなって生意気な口をきくようになった子供には、そこまで大らかな気持ちでいるのは難しいですよね。
 
 きっと期待とか欲とか、そういうよこしまな気持ちが入り込んでくるからなんでしょう。いっしょに暮らす動物たちにはそんな気持ちは持ちませんもの。
 ただ、自慢のしすぎは第3者には迷惑なこともありますので、お家で家族そろってうちの子自慢に盛り上がるのが平和的でいいかと思います。

  10   別れーその1
 
 シャンテと一緒の日々も5年近くなり、若い頃のように家の中をぐるぐる走り回ったり、やたらと物をかじったりというようないたずらもめっきり減って、日向ぼっこをしながらお昼寝をする姿を見て、シャンテもだんだん年をとってきたのかなと感じるようになった頃。
 
 それは、シャンテの5回目のお誕生日のお祝いを済ませたすぐあとの事でした。
 いつもは暖かい場所で長々と伸びて居眠りをしているはずが、3段ボックスの一つのボックスに入り込み、丸くうずくまっている事が多くなりました。うさぎは体調の悪い時に、暗くて落ち着いた場所に行きたがる習性がありますが、(野生で捕食者の目から逃れるための知恵なのでしょう。)シャンテもちょっと体調が悪くなると、その3段ボックスの中でじっとしている事がたびたびあったので、今度もいつものようにすぐに元気になると思っていました。
 
 でも今回はいつまでたっても元気が戻らず、ごはんもほとんど食べなくなりました。時々、わたしのそばに来て、じっと撫でてもらっていたかと思うと、またすぐに暗いところへ行き、うさぎすわりをして目を閉じ、何かもの思いにふけっているようでした。
 そんなシャンテの姿に、私たちはシャンテとの別れが近い事を、急に実感し始め、心の中に大きなさびしさが押し寄せてきました。
 
 このまま悪くなってゆくシャンテをただ見ているのも偲びず、近くの動物病院に連れて行きました。でもどの先生も「うさぎはわからないから」「診たことがなく自信がないから」と、診察台のシャンテにあまり触れもせず、治療をしてもらえませんでした。(今ではこんなことはないと思いますが、当時ではやむを得なかったのでしょう。)
 
 帰宅後、落胆と言い知れない怒りで途方にくれました。シャンテはどんどん悪くなっていくのに、何もしてやれない辛さ。このまま死なせるわけにはいかない!と二人で話し合い、以前私が飼っていたヨーキーがお世話になった実家の近くの獣医さんに何とかしてもらおうと決めました。
 
 翌朝、その病院に連れて行くと、やはり初めは「うさぎか、よくわからないな」としり込みをされていましたが、当時医大生だった夫が必死に「何が起きても責任はこちらで負いますから、せめて抗生剤とブドウ糖だけでいいので注射してあげてください。」とお願いし、注射を打ってもらえました。
 その時のシャンテはもう自分から歩く事もほとんどせず、相当に衰弱していたのですが、帰りぎわ、病院の脇の草むらに、そっと下ろしてみたところ、ぴょんぴょんと数歩歩きました。ずっとお家の中の暗いところにばかりいたので、久しぶりに外の空気がおいしかったのかもしれません。その姿を見守る私たちも絶望の中にほっとしたものを感じました。 
 
 その翌日11月28日、シャンテの容態は更に悪くなり、苦しそうな呼吸をするようになりました。
運悪く、その日は二人ともどうしても休めないバイトがあって、夕方から数時間、留守にしなければなりませんでした。二人にとっては我が子同然ですが、世間から見ればシャンテはただのうさぎです。後ろ髪を引かれる思いでバイトに出かけ、大急ぎで帰宅しました。苦しい息の中、シャンテは頑張って待っていてくれました。こんな時に一人ぼっちにしてしまった事をわび、シャンテの身体をさすりながら、二人で泣きながらシャンテの名前を呼び続けていました。
 
 夜中になり、シャンテの呼吸は弱く、機械的な呼吸になり、ついに途絶えてしまいました。「シャンテが死んじゃった、シャンテが死んじゃった」と繰り返しながら泣いていた事だけが記憶に残っています。だんだん冷たくなってゆくシャンテを抱きながら、この信じたくない現実をどう受け止めたらよいのかわからず混乱していました。そして、シャンテがわたしの元からいなくなってしまったという大きな悲しみはもっとあとからやって来ました。


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