シャンテと一緒の日々も5年近くなり、若い頃のように家の中をぐるぐる走り回ったり、やたらと物をかじったりというようないたずらもめっきり減って、日向ぼっこをしながらお昼寝をする姿を見て、シャンテもだんだん年をとってきたのかなと感じるようになった頃。
それは、シャンテの5回目のお誕生日のお祝いを済ませたすぐあとの事でした。
いつもは暖かい場所で長々と伸びて居眠りをしているはずが、3段ボックスの一つのボックスに入り込み、丸くうずくまっている事が多くなりました。うさぎは体調の悪い時に、暗くて落ち着いた場所に行きたがる習性がありますが、(野生で捕食者の目から逃れるための知恵なのでしょう。)シャンテもちょっと体調が悪くなると、その3段ボックスの中でじっとしている事がたびたびあったので、今度もいつものようにすぐに元気になると思っていました。
でも今回はいつまでたっても元気が戻らず、ごはんもほとんど食べなくなりました。時々、わたしのそばに来て、じっと撫でてもらっていたかと思うと、またすぐに暗いところへ行き、うさぎすわりをして目を閉じ、何かもの思いにふけっているようでした。
そんなシャンテの姿に、私たちはシャンテとの別れが近い事を、急に実感し始め、心の中に大きなさびしさが押し寄せてきました。
このまま悪くなってゆくシャンテをただ見ているのも偲びず、近くの動物病院に連れて行きました。でもどの先生も「うさぎはわからないから」「診たことがなく自信がないから」と、診察台のシャンテにあまり触れもせず、治療をしてもらえませんでした。(今ではこんなことはないと思いますが、当時ではやむを得なかったのでしょう。)
帰宅後、落胆と言い知れない怒りで途方にくれました。シャンテはどんどん悪くなっていくのに、何もしてやれない辛さ。このまま死なせるわけにはいかない!と二人で話し合い、以前私が飼っていたヨーキーがお世話になった実家の近くの獣医さんに何とかしてもらおうと決めました。
翌朝、その病院に連れて行くと、やはり初めは「うさぎか、よくわからないな」としり込みをされていましたが、当時医大生だった夫が必死に「何が起きても責任はこちらで負いますから、せめて抗生剤とブドウ糖だけでいいので注射してあげてください。」とお願いし、注射を打ってもらえました。
その時のシャンテはもう自分から歩く事もほとんどせず、相当に衰弱していたのですが、帰りぎわ、病院の脇の草むらに、そっと下ろしてみたところ、ぴょんぴょんと数歩歩きました。ずっとお家の中の暗いところにばかりいたので、久しぶりに外の空気がおいしかったのかもしれません。その姿を見守る私たちも絶望の中にほっとしたものを感じました。
その翌日11月28日、シャンテの容態は更に悪くなり、苦しそうな呼吸をするようになりました。
運悪く、その日は二人ともどうしても休めないバイトがあって、夕方から数時間、留守にしなければなりませんでした。二人にとっては我が子同然ですが、世間から見ればシャンテはただのうさぎです。後ろ髪を引かれる思いでバイトに出かけ、大急ぎで帰宅しました。苦しい息の中、シャンテは頑張って待っていてくれました。こんな時に一人ぼっちにしてしまった事をわび、シャンテの身体をさすりながら、二人で泣きながらシャンテの名前を呼び続けていました。
夜中になり、シャンテの呼吸は弱く、機械的な呼吸になり、ついに途絶えてしまいました。「シャンテが死んじゃった、シャンテが死んじゃった」と繰り返しながら泣いていた事だけが記憶に残っています。だんだん冷たくなってゆくシャンテを抱きながら、この信じたくない現実をどう受け止めたらよいのかわからず混乱していました。そして、シャンテがわたしの元からいなくなってしまったという大きな悲しみはもっとあとからやって来ました。
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