TOP     診療所の案内     アクセス    院長先生のコラム





  11   別れーその2
 
シャンテが亡くなった翌日の午後遅く、シャンテを埋葬しに行くことにしました。
亡くなってから後のことは、ほとんど思い出せません。夢の中の出来事のようで、思考回路が働いていなかったのだと思います。
 私たちは二人とも宗教を持っていなかったので、お寺が経営するペット霊園にシャンテを葬るのには抵抗がありました。でも、賃貸のアパートに住んでいたため、庭に埋葬する事もできず、二人で話し合った結果、アミちゃんの眠る場所の近くにシャンテのお墓を作りました。 もう二度とシャンテに触れることも叶わなくなると思ったら、涙が止まらなくなりました。秋の早い日没のあとの暗がりの中、泣きながら佇む二人の姿は、人が見たらきっと異様な光景だったにちがいありません。
 
 シャンテがいなくなった部屋は、がらんとしていて、何を見てもシャンテを思い出してしまい、私はいつまでも悲しみから抜け出せないでいました。唯一の楽しみは、シャンテのお墓参りに行くことくらい。
生きてゆく張り合いが全くなくなっていました。それまで、馬場馬術の試合を目指し、3年間、それこそお正月でもなんでも一日も休むことなく通い続けた乗馬に対しても情熱が失せてきてしまいました。
典型的なペットロスの軽いうつ状態だったのです。積極的に自殺しようとは思わないけど、今、何か命にかかわるような病気をしたとしてもこのまま死んでもいいや、くらいの落ち込みようでした。
 
 そんな時、彼が獣医になるための勉強をしたら、とアドバイスをくれました。以前から、私は本当は獣医さんになりたかったのと話していました。でも、また大学受験をやり直すなんて絶対無理と、決め付けていたのです。ただ、以前と違っていたのは、シャンテが病気になったときに、ちゃんとウサギを診察してくれる獣医さんに出会えずシャンテを死なせてしまったという事実があったことです。うさぎのお医者さんがいないなら、私がなってあげればいいんだ!と気づいてからは、私の人生のうちであれほど真剣に勉強したことはないと思うくらい、受験勉強に励みました。 
というのも、彼は当時まだ学生だったので、経済的にも私が受験可能な大学は東京農工大しかなかったのですから。
 打ち込むことが見つかってからの私は、シャンテを失ったという喪失感は消え、いつでも私の近くに寄り添って応援してくれるシャンテの存在感を強く感じるようになりました。
受験を決意した翌春、なんと奇跡が起こりわたしは合格しました。これは絶対シャンテがわたしに奇跡をおこしてくれたんだ、と今でも思っています。一日も早く、うさぎのお医者さんになって、仲間のうさちゃんを助けてあげてとシャンテが望んだのでしょう。
 
一緒に過ごした5年間に、たくさんの楽しい思い出を残してくれたシャンテですが、亡くなってからも、私に多くのすばらしい経験をさせてくれ、(ペットロスの問題に関わっていきたいと考えさせてくれたのもシャンテのおかげ)やっぱりシャンテはわたしたちにとって最高のうさぎです!
 長ーくなりましたが、そんなわけで、この診療所の名前はシャンテどうぶつ診療所なんです。納得していただけましたでしょうか?

  12   ぴょんたさんのこと
 
ちょうど一月前、一羽のうさちゃんが天国へと旅立って行きました。その日を迎えるまで家族みんなが病気の事を理解し、看病に参加し時間をかけてお別れの準備ができた、理想的な最期だったと思います。
 
 大切な家族が病気になり、それも決定的な治療法もない病気とわかったら、誰でも悲嘆にくれてしまいます。この子も昨年のクリスマスイブの日に、大きな病院で眼窩膿瘍と診断され、これは治らない病気だからと、治療もされずに帰宅したそうです。突然言い渡された命の期限と、治療できない病気の宣告に、飼い主さんはパニックになっていました。 
 
 翌日、クリスマスの日に縁あってうちの診療所にいらして下さり、その日から私とご家族の皆さんとの連携のケアが始まりました。この病気には有効な治療法がなく、残された時間もあまり長くないことが予想されましたが、少しでも長くいつもどおりの生活をさせてあげられるようにという事を第一に考え、対症療法ではありましたが、治療を始めました。
 
 幸い病状も安定し、無事お正月を迎えられたころには、動揺していた家族の方も落ち着きを取り戻し、治療にも積極的に取り組んで下さり、うさちゃんと一緒の一日一日を大切に過ごしている様子がわかりました。次は節分まで頑張れるといいね、と家族の方も小さな目標を持ちたくなるほどうさちゃんもみんなの応援に答えていました。
 
 無事節分も迎えられ、皆、この小さな子の奇跡的な頑張りに感動を覚えました。でも、その数日後、病勢が急変し、2月6日早くに家族みんなに見守られながら亡くなりました。悲しみは計り知れませんが、家族の皆さんの中には、頑張ってくれたうさちゃんへのねぎらいの気持ちもあり、また十分に看病できたという満足感もあったようでした。
 
 5歳という年齢を考えると、まだまだ元気でいてくれるはずと思っていた子が、治らない病気になってしまった事はとても残念なことですが、十分にお別れの準備ができ、やれることはみなやってあげられ、本当にラッキーだったと家族の方がおしゃって下さったのを聞き、こんな小さな診療所でも開業していて本当によかった!と改めて思いました。そして、ペットロスの問題も、亡くなった後だけのケアでなく、お別れが近づいたとわかった時から考えていく事で深刻な事態を回避できることもあるのだと、気づかせてもらえました。
 ありがとう、ぴょん太さん。

  13   北帰行
 
今日の朝刊で白鳥の北帰行の記事が載っていました。北帰行の途中に荒川に立ち寄る白鳥が増えているとか。
 
 渡り鳥たちは、生涯忘れることなく、季節の変化を感じ始める頃になると、飛んでゆくべき土地を目指し、渡りを開始します。その距離の遠さと、膨大なエネルギーを考えると改めて渡り鳥たちがいとおしく感じられます。荒川で一休みをしている白鳥たちも十分な休息を取って、頑張って渡りを続けられるよう祈らずにはいられません。
 
 日の短さを感じ始めるようになると出会う、小さなジョウビタキやツグミたちも、そうやって渡って来、また帰ってゆくのかと思うと、見る目が変わってきます。
 
 私たちは渡りを終えてきた鳥たちをふだん見ているわけですが、大空を渡っている途中の姿を見ることはなかなかありません。私が白鳥の北帰行を見たのは、今まででたった一度。シャンテの眠る秋が瀬でした。ぼーと空をながめていると、高い空を鳥たちが編隊を組んで飛んでゆくのが見えました。鵜にしては黒くないし、と思い双眼鏡でのぞくと、白鳥のようでした。初めて見た渡りの姿に、夫と一緒に歓喜してその
姿が見えなくなるまで追っていました。
 
 不思議なことにシャンテのお墓参りに行った日には、いつもいいことがありました。(いい事といっても大した事ではないんですが、珍しい鳥に出会えたり、なんてレベルなんですが、私たちにはそれがシャンテからの贈りのもと思えてなりませんでした。)
 
 ずっと昔の渡り鳥の記憶を思い起こさせてくれた朝刊の記事。もしかしたら、あの悲しみを癒していた日に見た白鳥の子孫だったりして、と楽しい想像を掻き立ててくれました。

  14   3番目はクール?
 
桜の花もきれいに咲きそろい、いよいよ春の到来です。春は私の一番好きな季節です。
 
 小さなころから、春が来ると何か新しいことが始まりそうな期待でわくわくしていたものです。(でもたいていは、期待はずれに終わっていたような気がします。)今はずいぶんと大きくなってしまいましたが、心のどこかには小さかった時の私がいつもいるような気がします。好きなことだけやってきた私の人生は、こうしたこどもの私がけっこう居場所を占めているからかもしれません。
 
 子供だった頃の自分が何を考えていたのか、多くは思い出せませんが、わが子の子育ての中でふと思い出すことはけっこうあるものです。
 
 風邪で体調がすぐれない日がしばらく続き、気力がうせていた時に、一番下の息子に”ママはずっと良くならないから、死んじゃうかもしれない、ごめんね。”と 言ってみたところ(上の子たちはこの年頃なら”ママしんじゃいや!”と泣いてくれたものなんですが)、息子曰く、”まま、大丈夫だよ。ママがいなくても茉莉ちゃんがごはん作ってくれるから。”と笑顔。その言葉を聞いて、さらにへこんでしまいました。何とまあ、自立していること!
 
 わたしがこの子と同じ2年生くらいの時は、両親が死んでしまうことを考えただけで、怖くてさびしくて、おびえていたものでした。ちょうどその頃、年上の従兄弟に、太陽もいつか冷えてしまい、そうすると地球上の生物もみんな滅びるんだという話を聞かされ、すごいショックを受けました。それまでは、自分がいい子にしていれば家族には死なんて訪れることはないと本気で考えていたのに、太陽が冷えてしまうなんて事は予想外の事で、本当に絶望したものです。(その時従兄弟は、太陽が消えてしまう時期のことは知らなかったらしく、ほんの数十年以内にでも起こりうるような話し振りだったんです。)
 
 以来、私の死生観は一変し、自分も家族もいつ死ぬかわからないんだ、と考えるようになりました。両親二人で外出して、予定通りに戻らなかった時など、”きっと、事故にあったんだ。死んじゃっていたら、私と妹は親戚のうちに行くのかな。そしたら転校するんだ。いやだよ!”ってな具合で、泣きそうになりながら玄関先で待っていたものでした。
 
 それに比べ、わたしの子ときたら・・・。まあ、この子はお腹にいる時は8ヶ月まで大学に通い、1歳前にはわたしは復学したので、大きくなるまでにはいろいろな人たちの協力の下で成長してきた子でした。母親と1対1ではない育ち方をしてきたので、こんなにあっさりしているのかしら?でもあんなことを言われたときはがっかりしたけど、考えようによっては、3番目の子のあっさりさが頼もしくも感じられるようになりました。
 そう、人生はポジティブに行きましょう!

  15   春の庭
 
が家には、小さな庭があります。南側に位置しているのですが、南にはよそのお宅が60pの距離で壁のようにそそり立ち、とても日当たりが悪いのです。
 
 それでも長年かけて、お気に入りの植物たちをせっせと植えつけてきました。日当たりの悪さはけっこう大きな障害になり、1年で枯れてしまうものも少なくありません。度重なる試行錯誤の末、やっと定着してくれてめぐり来る季節にかわいいお花を咲かせてくれた時は本当にうれしく、よく咲いてくれたね!と思わず声をかけてしまいます。
 
 今、我が家の庭では、クリスマスローズ、レンギョウ、チューリップ、ベニエニシダ、ジュリアン、アメリカハナミズキが花を咲かせています。そして、モッコウバラ、モンタナ、ブドウがつぼみをふくらませているところです。こう書くと何だか素敵なお庭を想像してしまいそうですが、日陰でも元気なクリスマスローズを除いて、どれもみんなお日様が恋しいよと言ってるみたいに、ひょろひょろ、頼りなげです。
 
 でも、わたしにとっては大切なお花たちです。特に、モッコウバラは3年目にしてやっと今年、つぼみをつけてくれたのでうれしさもひとしおです。植えつけたときは、50pくらいの高さで、黄色い花をぎっしりつけていたのですが、その後どんどん枝を伸ばし続ける一方で、毎年花芽がつきませんでした。日当たりの悪さのせいかなと、諦めていた矢先に、あふれるようにつぼみをつけてくれました。できの悪い息子に、突然親孝行をされたような気分です。見捨てないでよかった!って感じです。
 
 花をつけずにひたすら枝葉を伸ばす時期があって、人より遅れてたくさんの花をつける。日当たりの悪さがなせるわざですが、私たちが生きていく中にも、こういう事ってありますよね。今は枝葉を伸ばす時、と考えると、思い通りに事が運ばないときも希望が見えてきます。
 
 こんなに待っていたのだから、きっと今年のモッコウバラは最高に素敵でしょう。(少なくとも私にとっては・・・。)


prev. index next