シャンテが亡くなった翌日の午後遅く、シャンテを埋葬しに行くことにしました。
亡くなってから後のことは、ほとんど思い出せません。夢の中の出来事のようで、思考回路が働いていなかったのだと思います。
私たちは二人とも宗教を持っていなかったので、お寺が経営するペット霊園にシャンテを葬るのには抵抗がありました。でも、賃貸のアパートに住んでいたため、庭に埋葬する事もできず、二人で話し合った結果、アミちゃんの眠る場所の近くにシャンテのお墓を作りました。 もう二度とシャンテに触れることも叶わなくなると思ったら、涙が止まらなくなりました。秋の早い日没のあとの暗がりの中、泣きながら佇む二人の姿は、人が見たらきっと異様な光景だったにちがいありません。
シャンテがいなくなった部屋は、がらんとしていて、何を見てもシャンテを思い出してしまい、私はいつまでも悲しみから抜け出せないでいました。唯一の楽しみは、シャンテのお墓参りに行くことくらい。
生きてゆく張り合いが全くなくなっていました。それまで、馬場馬術の試合を目指し、3年間、それこそお正月でもなんでも一日も休むことなく通い続けた乗馬に対しても情熱が失せてきてしまいました。
典型的なペットロスの軽いうつ状態だったのです。積極的に自殺しようとは思わないけど、今、何か命にかかわるような病気をしたとしてもこのまま死んでもいいや、くらいの落ち込みようでした。
そんな時、彼が獣医になるための勉強をしたら、とアドバイスをくれました。以前から、私は本当は獣医さんになりたかったのと話していました。でも、また大学受験をやり直すなんて絶対無理と、決め付けていたのです。ただ、以前と違っていたのは、シャンテが病気になったときに、ちゃんとウサギを診察してくれる獣医さんに出会えずシャンテを死なせてしまったという事実があったことです。うさぎのお医者さんがいないなら、私がなってあげればいいんだ!と気づいてからは、私の人生のうちであれほど真剣に勉強したことはないと思うくらい、受験勉強に励みました。
というのも、彼は当時まだ学生だったので、経済的にも私が受験可能な大学は東京農工大しかなかったのですから。
打ち込むことが見つかってからの私は、シャンテを失ったという喪失感は消え、いつでも私の近くに寄り添って応援してくれるシャンテの存在感を強く感じるようになりました。
受験を決意した翌春、なんと奇跡が起こりわたしは合格しました。これは絶対シャンテがわたしに奇跡をおこしてくれたんだ、と今でも思っています。一日も早く、うさぎのお医者さんになって、仲間のうさちゃんを助けてあげてとシャンテが望んだのでしょう。
一緒に過ごした5年間に、たくさんの楽しい思い出を残してくれたシャンテですが、亡くなってからも、私に多くのすばらしい経験をさせてくれ、(ペットロスの問題に関わっていきたいと考えさせてくれたのもシャンテのおかげ)やっぱりシャンテはわたしたちにとって最高のうさぎです!
長ーくなりましたが、そんなわけで、この診療所の名前はシャンテどうぶつ診療所なんです。納得していただけましたでしょうか?
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