2


 モスキートの実働訓練が終わった後、黄葉級5番艦上野は予定通りの航路を進んでいた。戦闘車両における進むとは、旧世界と何ら変わりなかった。列車が進むとは、すなわちレールの上を走るということ。
 柿沼とねは、食堂車へとやってきた。
 戦闘を行うための車両といっても、その食堂車は年頃の女性を十分満たしてくれる雰囲気を持っていた。一流のレストランと比べると見劣りしてしまうが、そんな文句を言う人間はここにはいなかった。
「おう、とねちゃん。今日は一人かい?」
 厨房の奥から、元気のよい声が響いた。
「ええ、今日は新型の初の実戦訓練だったの。みんなそのデータ整理に追われてるの」
 とねは苦笑いを返した。
「へぇ、そりゃ大変だ。じゃ、サービスしてやらないと」
「ふふ、ありがとう」
 とねは、一旦料理長に微笑みかけると、入り口付近の食券販売機の前に立った。首にぶら下げているIDカードをセンサーに前に持っていく。ピッという短い電子音の後、すべてのボタンにランプが点灯した。とねは、少しだけ考えた後、A定食のボタンを押した。
 食券をカウンターへと置くと、とねは窓際の席に腰を下ろした。
「はい。A定食ね」
 料理長は愛想良く言うと、短く刈り上げた髪の上にコックハットを深くかぶり、厨房へ消えていった。
 一つの車両をまるまる食堂車として使ったこの空間には、とね以外に客はいなかった。食事時に仕事をして、すいた時間を見計らってきたのだから当然と言えば当然だが、少しだけ寂しいものがあるととねは思った。そして、気がつくと制服の左胸ポケットに手が伸びていた。だが、左手がポケットに入る前にふみとどまった。
「いつの間にか私も立派な喫煙者ね。時間があると煙草に手が伸びるなんて」
 とねは、鼻で笑った。そして、気を紛らわすためにふと窓に視線をやった。そこに映っていた自分の顔を見てとねは、小さくため息をついた。モスキートの起動のために、ここ数週間忙しかったためかもなのしれない。強化ガラスに映るその顔は、目の下に細かなしわがより、それを隠すための厚めの化粧が上手く馴染んでいなく、ことさら無惨に見えた。元々、とねは誰が見ても好感が持てる器量のよい顔をしていた。だが、すっきりと整い落ち着いた顔つきは、普段ならとねをいい女として印象づける役割をしてくれたが、このときばかりは老いの兆しを見せつける結果となった。
 だが、とねはその顔こそが自分という人間を完璧に表現している顔だと思った。自分には、無惨という言葉がぴったりなような気がしていた。
「はい、おまち」
 そんなとねの背後から、熱のこもった声が響いた。
「ありがとう。いただきます」
 料理長は、あげたてのフライの盛ってある皿と一つのカップをさしだした。
「あれ?料理長?これは?」
 そのカップの中には、湯気を放つ小麦色の液体。香ばしい匂いが鼻にぬけた。
「ああ、ほらいったろ?サービスするって」
「ありがとう」
「いいって。あんたらがあっての俺なんだから」
「そんなぁ。私達は料理長がいないと何もできません」
 とねは、料理長を見上げた。だが、料理長はとねの視線を受けずに、入り口へと視線を向けた。そこに新たな客が訪れたからだった。
 とねもその方向へと視線を向けた。だが、二人ともその後の言葉がなかった。それは、二人ともその人物を知らないからではない。その人物に対する対策というものを考えていたからだ。
「おう、小林君。いらっしゃい」
 数秒後、料理長がとねの時と同じように元気な声で言った。だが、とねにはその声にわずかながらのためらいがあったのを見逃さなかった。
 小林と呼ばれた男は、軽く会釈をした。そして、食券の自動販売機の前に立ち、ゆったりとした動作でIDカードをセンサーの前に持ってく。
「どうしようかな?」
 小林は、のんびりとした口調で言った。そして、何かを選ぶでもなくそのまま数十秒の間、その場に立ったままだった。
「小林君?今日はA定食にしておきなよ。サービスでスープをつけられるからさ」
 見かねた料理長が、声を張り上げていった。
「本当ですか? じゃ、そうします」
 小林は、嬉しそうな声をあげ、A定食の食券を買った。だが、彼のそこからの行動に関しても料理長は、気を遣わなくてはならなかった。
「小林君? せっかくだから、この席でどうだい? 一人で食べてもつまらんだろ?」
 料理長はそう言うと、とねの座っている席を指定した。とねは、大きく目を見開いて、料理長を見た。何いってるの? そんな視線だった。
「えっ? でも」
 小林は、料理長ととねの背中の間で、戸惑いの視線を往復させた。
「ほらほら、いいから」
 料理長はそう言いながら、とねの正面の椅子を引き、小林を座らせた。そして、小林から食券を受け取ると、何も言わずに奥へと消えていった。
 とねは、正面に座った男を見据えた。外見は、どこにでもいるような20台中頃の青年だ。少しだけ違うところがあるとすれば、同じ20台中頃の男性と比べると、これと言った特徴がなく、地味な雰囲気を持っているというところだろう。
 しかし、その内面的なものはかなり違う。二十台半ばだというのに、十台前半の子供のような話し方。それは小林より年上のとねような女性から見たら、もしかしたらほほえましく見えるかもしれないが、一般に滑稽に見えた。
「えぇーと、ブリッジの人?……ですよね?」
 小林は上目遣いで言った。
「ええ、柿沼とねです」
「僕は、小林尋です。いつもお世話になっています」
 二人のことを知らない第三者が、その場面を見たら面識のない人同士の挨拶に見えるかもしれない。だが、実際は違った。
「こちらこそ」
 とねは短く言うと、口元をゆるめてにこりと微笑んだ。その動作とは裏腹に、とねは内心では笑っていなかった。笑えるわけなかった。
 小林は、とねのことを忘れていた。
 何度か会話をしたことがある、または見かけたことがあるというのなら考えられないことはない。だが、小林はとねは何回も話したことがあった。お互いの名前を呼び合ったこともあった。だが、小林の中のとねはいつの間にか消えていた。
 無敵の盾手術。
 約10年前まで、兵器の能力向上は、ハードとソフトの両方の最適化があってこそ達成されると考えられていた。だが、そこにはどんな兵器であっても、最終的にはそれを扱う人間により性能が大きく変わってしまうという問題点も残されていた。そして、軍事企業はその個人差をいかに少なく出来るかということを目標に兵器設計を行ってきた。しかし、近年になって、兵器を扱う人間を最適化できないだろうか? と考える研究グループが現れた。そこで、その研究グループは、人間が選択を行う時の思考スピードを速めることによりそのことを達成できないか? と考えた。そして、違法な人体実験を繰り返し、人間の思考スピードを上げる方法を発見した。それは、いわば人間にイージスシステムをのせるようなものだった。だが、そこには大きな問題点も存在した。その手術を行われた人間は、一定の時間でなければその状態を保てないということ、またそれ以外の時間は普通の人間よりも思考スピードが落ちてしまうということ、そしてそれに加えて重度の記憶障害。
 もちろん、そのような手術が認可されるわけが無かった。その研究に携わった人間全員が、大きなペナルティーを科せられ、その研究所は完全に消滅した。それが、約5年前。その研究成果は、実際に用いられることは無いはずだった。
 だが、明らかのその手術を受けた人間がいた。
 それが、とねの目の前にいる小林だった。そして、この小林こそが先の実戦訓練で、たった10秒のうちに5両もの戦車を沈黙させた戦闘ヘリのパイロットだった。しかし、艦にのっている誰もが手術のこと、小林のことを深く話そうとしなかった。そのことになると、誰もが居心地悪そうに口をつぐむ。とねには、その理由が何となく理解できていた。だからこそ、自分もそのことについてはできるだけ触れないようにした。
 食事を終えたとねは、左胸ポケットから煙草のパッケージを取り出し、一本を口にくわえ火をつけた。深々と息を吸い込むと、窓の方を向き煙を長く吐き出した。その様子を眺めていた小林が、珍しいものを見るような目で言った。
「煙草っておいしいですか?」
 とねは、窓際に備え付けられていた灰皿に煙草をそえた。そして、小林の方を向き笑いながら答えた。
「別にそういうわけじゃないのよ」
 同じ質問、同じ答え。これで何回目だろう。とねは思った。だが、決してそのことを口に出せなかった。とねは、エビフライをこの世で一番美味しい物のようにほおばる小林を見た。その目には、同情、哀れみの色がこめられていた。
 私達の目指すものは、みんなが安全に暮らせる社会。そのために必要なのは、正義の味方でなければ、悪者の排除でもない。大切なのはバランス。企業は、そのバランスをとるために存在し、私達はその一旦を担う。けど、私達はバランスをとるために、バランスを崩壊させる。結局、私達は何も学ばなかった。
 とねは煙を吐き出し、目を細めながらそう思った。それはとねの中に常に渦巻く疑問だった。決して答えは出ない。考えれば考えるほど、苦しくなり深く沈んでいく。考えなければ、楽かもしれない。だが、元来まじめで自分の行動に常に気を置くとねには、到底不可能なことだった。だから、とねはバランスを必要とした。自分を見失わないために。
 とねは、生きることは選択することと同等であると考えるようにした。すべての状況は、選択がもたらした結果であり、正しい選択だけをおこなえば先に進めると考えるようにした。逆に、自分が不幸だったり、どうしようもない状況にいるのは、自分の過去における選択が間違っていたからだと考えるようにした。「仕方がないね」、「それじゃしょうがないよ」、そんな言葉は必要ない。どんな不幸であっても、その責任は自分にあると、とねは考える。そして、そう考えることにより、自分ではどうすることもできない無惨な出来事と自分の間に距離をとれる気がした。
 それによって、冷徹な態度をとってしまったり、客観的に自分を冷笑してしまうことが多くなってしまったが、不思議と平安をえられたような気がした。それがとねのバランス。
 まだ半分しか吸っていない煙草を灰皿に押し付けて、とねは何も言わずに席を立った。とねは、選んだ。これ以上、小林と関わらないことを。それが、最適の選択だと考えた。
 



BACK/NEXT

TOP