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 宇宙開発第三ステップが終わり、火星への移住(テラフォーミング)が可能になった。火星にはすばらしい環境が整い、地球は温暖化や大気汚染や海洋汚染などの人類の犯した罪によって、人類の生存は見切りがつけられようとしていた。
 その頃、地球で最も力のある国に対して、大規模な攻撃が行なわれた。攻撃を仕掛けられた国は、この攻撃はある一部の過激派集団によっておこなわれたものであると判断し、ある集団を犯人と特定した。攻撃を仕掛けられた国はその集団に対し、他の国と連合して報復の準備をすすめていた。その報復の規模は、歴史上最大のもので、すさまじい数の兵器と人員、そしてお金が費やされた。
 報復攻撃が今か今かとなっていたころ、最も力のある国に更なる大規模な攻撃がくわえられたのであった。その攻撃はすさまじいものであり、大陸の全土にまで衝撃が走った。そうなると、連合軍は一気に敵の集団に対して攻撃を仕掛けた。たくさんの爆撃機を使い、強力な爆弾をたくさん落とし、徹底的にその集団の生息する拠点を攻撃していった。その攻撃が数週間続いた後、その集団は形の上で本当に壊滅した。彼らの根城は塵となり、投降した捕虜を除き、生存者はいないとされた。
 世界はこのことを二度と繰り返してはなるまいと、さまざまな条例がつくられ、人々はこのことを忘れまいと一人一人の心に刻み込んだ。また、世界のさまざまな場所で、大規模な攻撃が行なわれた場合に対処すべく、どんな兵器でも破壊することのできない大規模な地下シェルターが建造された。
 しかし、世界がそのことを忘れかけたころ、また大規模な攻撃が行なわれた。今回は前と違う数箇所の国に、しかも同時に行なわれたのである。大きな領地を持つ国、その近くにある争いに無縁とされていたちっぽけな島国、たくさんの人が住む国、寒い国、熱い国。
 そして、その攻撃は更なる悲劇を生み出した。社会的不安定国家の報復用核ミサイルを作動させてしまったのだった。混乱の渦中にある各国の主要都市に、次々と核ミサイルが降り注いだのだった。迎撃ミサイルやイージス艦や戦闘機によって、なんとか迎撃に成功した国もあれば、失敗した国もあった。
 それによって引き起こされた核汚染は、生物の存在を否定するのに十分すぎる規模であった。直撃した地域はもちろんのこと、その周囲数百kmまで汚染は生じた。
 今回の攻撃に関しては、もはや誰が犯人なのか証明する手段はなく、人類は以前に作った大規模な地下シェルターに住むようになった。
 もっとも力のある国は、ミサイルをほとんど迎撃していたために、核による汚染は免れた。そして、世界の復興のために中心となって他の国をまとめ上げた。その事業のひとつに地下シェルターを地下都市に発展させて、トンネルで他の国とを結ぶというものがあった。そのことは、後に世界の国境線をあいまいなものとすることになった。どの国においてもどの人種がいて、お金の単位が統一され、同じ言語を話すこととなる。
 そして、時代や状況が変わっても人の行動は、何ら変わらないものである。人は地下都市の中でも豊かな区画に流れる傾向にあった。豊かな場所ということは、物が充実して、仕事があり、より地上での生活に近いということであった。そんな中で、国家という概念は徐々に薄れていき、企業が急激に力をつけていった。それは、企業とは他人同士を家族のように結びつかせる役割をするためと分析した専門家はいる。人々は企業に属し、その企業の領地で暮らし、その企業の定める規則に従い、企業を自分の国として生活するようになった。企業は、社会の中心に位置するようになった。
 そこは、企業がすべての世界。



「アクトワン。バックステージ。作戦書にすべて目を通していないのですか?今回の特車科との合同訓練では、モスキートには装備事業部2課の新型20ミリが装備されます。今回はその性能もみることも目的になるのですよ」
「バックステージ。アクトワン。了解した」
 小林は、その通信の後サイクリック・レバーを前方に倒し、機体の高度を下げた。そして、ディジタル高度計の値が20になったところでサイクリク・レバーを元に戻した。小林は、目標高度がとれたのを確認すると、今度は暗視モードを立ち上げた。小林の正面と左右の平面ガラスが発光し、そこに白黒の画像が表示される。その画像は、モスキートが飛行している空間そのものだった。
 航空機にとって、暗闇での飛行はどんな地形であっても想像を絶する難易度に変化する。それが超低空飛行になれば、その難易度は異次元のものになる。だが、モスキートに搭載されている特殊な赤外線カメラと洗練された画像処理システムは、ほぼ光のない暗闇でも十分な明るさが存在する場合と同じような飛行を可能にした。
 トンネル内には、崩れ落ちた天井、または事故にあった車、またどこから持ち込まれたのかわからない大きなコンクリートの破片がたくさん転がっている。それは、今回の訓練が地下都市での戦闘を想定しているからだった。モスキートは、そのままの高度を保ち、尚且つ上手くそれらの障害をかわしながら目標への距離を縮めていく。暗い空間で、尚且つ障害物のある空間で、このような超低空飛行をするなんて狂気の沙汰としか思えないが、これこそが敵に最も発見されにくい方法だった。
「アクトワン。ターゲットとの距離10000を切りました」
 感情のこもっていない女の声が、小林の耳に入ってきた。重要な情報を的確に伝えるための冷静な声。それなのに、不思議と体の体温が上昇したかのような感覚になった。そして、それを裏付けるようにディスプレイに表示されていた心拍数は、やや上昇していた。
 小林は、コントロール・パネルを開き、薬品の投与を命令した。数秒後、ちくりと背中に小さな痛みが走る。そして、再びディスプレイに視線をやるころには、心拍数は規定値まで下がっていた。そのことを確認した小林の顔からは、色というものが消えた。体の深くに染みついているフローチャート。小林は、それだけに従うだけの人間になった。
 ディスプレイと計器類に視線をやり、サイクリック・レバーを上手く操り障害をかわしていく。何千回と行ってきたかのような円滑な操作。すべての動作に無駄というものがない完璧な飛行だった。
「パイロットの状態は良好」
「航続時間、残り123分」
「ステルス性能、98,0%。正常に稼動しています」
 モスキートに関する情報が、フライトヘルメットのレシーバーから次々と流れてくる。すべてがフローチャート通りに進んでいく。だが、順調に進んでいた処理がある言葉によって、停止してしまった。
「アクトワン。ターゲットとの距離5000を切りました」
 ターゲットと自機の距離をつげただけの内容だった。しかし、小林のフローチャートは再び崩壊した。突然の判断記号、小林にはその先の分岐がなかった。だが、それは小林には許されないことだった。小林は、再びコントロール・パネルを開き、薬品の投与を命令した。今回は、前回の二倍の量。
「アクトワン。バックステージ。敵はそちらの存在にまだ気づいていません。そのままの高度を保ってください」
 先ほどとは、違う声の持ち主。
「バックステージ。アクトワン。了解した」
 小林は、冷静に答えた。しかし、薬がその効果を発揮しておらず、語尾にわずかな動揺を残した。
 俺の体に一体何が起きているのだろう? オペレーターの声を聞いて動揺するなんて……。あの声の持ち主は一体誰なのだろう? 小林の頭の中にふとその疑問が浮かんだ。だが、それ以上の思考をめぐらせるよりも、薬がその効果を発揮させる方が速かった。小林の顔から、再び色が消えた。
「アクトワン。ターゲットまで後2000」
 小林に微妙な変化をもたらした声が再び聞こえた。ターゲットと自機の距離をつげただけの内容。だが、今回は小林の処理は何事もなかったかのように次のブロックへと進んでいった。今の小林は、そのことを確認すらしなかった。今の小林は、敵を殲滅することだけを目的とする演算処理装置。
 小林は、ディスプレイに表示された今回の目標のコンピューター・グラフィックに視線を落とした。
 今回の対戦相手は戦闘へりにとっては相性のよい戦車ではあるが、決して容易な相手ではなかった。対航空機用に最適化されたオペレーティングシステム、そして最新鋭の地対空ミサイル。発見されれば、すぐさま6発の地対空ミサイルがやってくる。
「バックステージ。アクトワン。ターゲットを映像で確認した。これより攻撃にはいる」
「アクトワン。バックステージ。了解しました。幸運を祈ります」
 その通信を終えると、小林はコントロール・パネルを開き火器管制システムを立ち上げた。フライトヘルメットの側部に備えつけられていたヘルメット・マウント・ディスプレイが小林の右目に装着される。
 統合ヘルメット表示照準システム。
 それはモスキート機首先端につけられた全天候対応目標捕捉・レーザー照射照準器により得られた光学・暗視映像が、ヘルメット・マウント・ディスプレイに表示され、尚且つパイロットのヘルメットの動きを感知してレーザー照射照準器と連動させるシステムである。このシステムは、チェーンガンとパイロットの頭の動きの連動を可能にし、パイロットの攻撃時の負担を大幅に軽減させている。
 それでも、本来なら攻撃ヘリにはパイロットとガナーの二人がいることが望ましい。しかし、モスキートには元からシートは一つしかなかった。それは、一人乗りにすることでわずかでも機動性を確保するため、またモスキートには一人でそれをこなせる人間が搭乗することになっていたためだった。
「アクトワン。ターゲットまで1000を切りました」
「た、ターゲット、未だに動きがありません」
 レシーバーからのオペレーターの声、燃料残量、回転計、火器管制装置、マップ、すべてが小林の頭の中で整理され完璧な攻撃プランがすでに出来上がっていた。そして、その頃には敵との距離が100mを切ろうとしていた。
 右目に装着されたヘルメット・マウント・ディスプレイには、すでに一体の戦車の姿が鮮明に映し出されていた。そして、照準点は戦車のエンジンルームに寸分も狂いもなく定められていた。
 不幸かそれとも幸いか、戦車に乗っていた人間達がそのことを理解する前に訓練は終了した。その距離まで、モスキートを近づけてしまった時点で、勝負は決まっていた。
 トリガーが滑らかにひかれた。
 小林の足元に微かな振動が伝わってくる。そして、中低音域をカットされた気の抜けた連続的な発射音が生じ、戦車のエンジンルームが蛍光色のぬめりのある物質で満たされていく。小林は、ディスプレイの赤い光点が消えるのを確認するより前に、顔を左に10度ほど傾けた。すぐさまそこにあった戦車も同じようにエンジンルームが蛍光色の物質に満たされていく。そして、小林は即座に機体のピッチを変えると、残りの戦車の掃討にかかった。
 そこから5秒もかからなかった。
 ディスプレイから、赤い光点がすべて緑色へと変わっていく。
「バックステージ。アクトワン。すべてのターゲットの破壊を確認。帰艦の許可を」
 小林は、冷静な口調で言った。だが、そこにあったのは沈黙だった。
「バックステージ? アクトワン。もう一度いう。すべてのターゲットの破壊を確認。帰艦の許可を」
 小林は、今度は少しだけ声のトーンをあげていった。だがそこにあるものは何も変わらなかった。小林は、火器管制システムを立ち下げ、トリガーにかかった手を離した。
 そして、その時になって初めて左手にある違和感を感じた。小林は、右手でサイクリック・レバーを握ったまま左手の手のひらを視線のやや上にかざした。
 小林は、薬指につけられているリングを確認した。その素材が、シルバーであるのか、ホワイト・ゴールドであるのか、それともプラチナであるのかは小林には分からなかった。だが、それがマリッジリングであることは理解できた。
 だが、それがいつどこでつけたのかなんて思い出せなかった。ましては、これと同じものをつけている人間の顔なんて。
 モスキートの帰還は、通常よりも時間を必要とした。
 


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