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 想像ができたとしたら、人は何にでもなれる。
 コントロール・パネルのディジタル高度計の数字を0にセットし、コックピットの上部にあるメイン電源のスイッチを押した。身体を揺さぶる低周波が、シートを介して伝わってくる。
 それは、静かな産声。
 平面キャノピー内側の強化ガラスが白く発光し、次々を情報を映し出していく。燃料残量、ローター回転計、火器管制装置、男の鋭い視線がそれらに注がれていく。
「アクトワン。バックステージ。こちらのレーダーで進行方向20000に戦闘車両を5両確認しました。そちらのヘッドマウントディスプレイに情報を送ります」
 フライトヘルメットに組み込まれたレシーバーから、感情のこもっていない女の声が流れてきた。直後、フライトヘルメットの前面に備え付けられているバイザーと呼ばれる目を保護する為にある透明のシールドに5つの赤い光点が現れた。
「バックステージ。アクトワン。了解した」
 男は、そういい終わると、通常視線のやや下部に位置するタッチセンサー式のディスプレイに視線を落とした。左手人差し指を滑らすようにその表面に持っていく。オペレーティングシステムのコントロールパネルを開き、エンジンのスタートを命令した。男の体に、たくさんの細かい振動が伝わってくる。キャノピー右部に位置する計器類が、次々に緑色を点灯させていく。すべてのチェックが終わるまで、そう時間がかからなかった。最後に、システムすべての安定を示す緑色発光ダイオードが点灯したとき、男はコレクティブ・ピッチ・レバーを左手でゆっくりと握った。
 あまりに静かだった。
 凶悪な兵器の機動としては、ありえない静けさだった。だが、その静けさこそこの兵器の持つ恐ろしさを物語っていた。
「バックステージ。アクトワン。発艦準備整いました」
「アクトワン。バックステージ。ハッチを開閉します」
 鈍いモーター音と共に、男の目の前の空間が横に2つに割れていく。そして、そこから微かな光が差し込んでくる。
 そこは、巨大なトンネル内だった。2メートル四方のタイルが規則正しく並べられたトンネルの内壁は、ひたすら無機質である。そして、ところどころに点在する弱い白色光源は、ただでさえ無機質な空間をさらに無表情なものにした。
 短い電子音と共に、ヘッドマウントディスプレイにreadyの文字が浮かび上がった。
「バックステージ。アクトワン。発艦します」
 男は、コレクティブ・ピッチ・レバーを引いた。再びシートを通して細かい振動が、男の体に伝わってきた。そして、今回その振動だけではなく、人間の耳で捉えることのできる限界の高い周波数が、男の耳に届いた。それは、男の頭上で回転を始めたローターの音だった。数秒もしないうちに、その軌道は美しい円を描き、強烈なダウンフォースを地面に叩きつけた。そして、さらに数秒後にはローターの回転音は人間の耳でとらえることのできる周波数を超えた。
 男は、もう一度すべての計器に目を通し、高度計の値がわずかに値を出したのを確認すると、両足の間にあるサイクリック・コントロール・スティックを引いた。
 再びわずかな振動が男の体に伝わり、それは宙に浮いた。
 AH−97Dモスキート・ロングボウ。
 ソニック・ユニット社の最新鋭の全天候対応汎用戦闘ヘリ。ただ単に人を殺すための道具と思われている兵器にも、実はコンセプトというものが存在する。いや、逆に兵器ほどに、コンセプトに沿って厳密に作られているものは無い。
 兵器に求められるコンセプトにはさまざまなものが存在する。
 地上ターゲットをいかに多く破壊するか、飛行ターゲットをいかに多く破壊するか、航続距離がいかに長いか、偵察がいかにやりやすいか、もしくはそれなりの能力を持ち合わせていてもいかにコストを下げられるか。
 だが、それはそのどれにもあてはまらなかった。
 それについては、その名前がすべてを物語っていた。
 モスキート。すなわち、蚊である。その名を聞いたときに、初めての人はなんて弱弱しい名前だと思うだろう。だが、考え方によっては蚊ほど恐ろしい生物は存在しないだろう。人間が蚊の存在に気づくのは、大抵の場合刺された後であろう。もし、猛毒を持った蚊が現れたらどうなるだろうか?
 その兵器に求められるのは、敵に見つからないように接近し、敵が気がつくより先に敵を破壊すること。
「アクトワン。バックステージ。NOE(超低空匍匐飛行)にてターゲットに接近。その後、20ミリチェーンガンにてターゲットすべてを破壊」
「20ミリ?」
 今まで淡々と操作を行ってきた男が、初めて不必要な言葉を出した。
「バックステージ。アクトワン。誘導兵器の許可をこう」
「アクトワン。バックステージ。作戦書にすべて目を通していないのですか?今回の特車事業部との合同訓練では、モスキートには装備事業部2課の新型20ミリチェーンガンが装備されます。今回はその性能もみることも目的になるのですよ」
 スピーカーから聞こえてくる声が割れていたのは、向こうで女が大きな声を出したからであろう。男はヘルメットに備え付けられているスピーカ音量を下げながら、小さく舌打ちをした。
「バックステージ。アクトワン。了解した」
 男はピッチを変え、深い闇の中へと進路を向けた。


 
「アクトワン。目標へ進路をとりました。高度……すごい。アクトワン、地上から高度20フィートを飛行しています。目標まで、約10分」
 目の前のディスプレイを見ていた女は、落ち着いた口調でいった。
「敵の動きは?」
 中年の男が、低くよく響く声で言った。
「先ほどの位置からまったく動いていません」
 しっとりとした声で女は言った。そして、またそれとは別の女が甲高い声を出した。
「アクトワン。ターゲットとの距離10000を切りました」
「ターゲット未だに動きはありません。艦長」
 艦長と呼ばれた男は、あごに手をあて低くうなった。
「次世代技術開発事業部1課のステルス技術……800億ドルのガラクタとなるか……それとも」
 部屋のいたるところ配置してあるたくさんのディスプレイ、レーダーコンソール。視認性を考慮した薄暗い部屋。そこは、艦のブリッジと呼ばれる場所。だが、この場所は本来なら艦という言葉は当てはまらなかった。艦という言葉を聞いたとき、普通の人ならまず船を思い浮かべるかもしれない。そして、もう少し想像力が豊かな人は、宇宙船を思い浮かべるかもしれない。だが、この艦は違う。
 それは、車輪を備え付け線路上を走行する車両。そう、一般に列車と呼ばれるものだ。しかし、その外観は普通の人が思い浮かべるそれにかなりかけ離れている。分厚い装甲で覆われた車体、あらゆるターゲットに対しても攻撃を行える多彩な武装、そしてアドヴァンスド・イージスシステムの要であるアドヴァンスド・フェイズド・アレイレーダー。イージスシステムとは、21世紀初めに艦船に採用され驚愕の成果を挙げた戦闘システムであり、アドヴァンスド・イージスシステムはそれをソフトの面、ハードの面で強化したものだ。艦内部に搭載している350テラフロップス級のスーパー・コンピュータにより目標の捜索・探知・識別を自動でこなし、またその脅威の順位付けも自動で行う。そして、目標の攻撃の意思が発覚した場合、速やかに最も適した攻撃を目標に対しておこなうことができる。
 もはや完全な兵器となったそのような攻撃列車は、いつの間にか艦と呼ばれるようになった。
 今、そこにいるすべての人間が部屋の中央に位置した巨大なディスプレイに視線を移した。画面上で一つの青いの光点が、5つの赤い光点へと向かっていく。
「パイロットの状態は良好」
「航続時間、残り123分」
「ステルス性能、98,0%。正常に稼動しています」
「アクトワン。ターゲットとの距離5000を切りました」
「パイロットの心拍数、やや上昇」
 淡々とモスキートに関する情報が読みあげられる中で、とりわけ大きな声がその空間に鳴り響いた。
「ターゲット未だに動きありません」
 艦長と呼ばれた男は、一度だけ大きく肩を震わせた。それは、そのオペレータの大きな声に驚いたわけではなければ、精密機器の性能を保つために、常に稼動している空調のせいでもなかった。それは、長年兵器の近くにいた人間のみが感じることのできる信号のようなもの。そして、その信号の内容にもさまざまなものがある。期待、不安、恐怖……今回の場合はそのどれにも当てはまらないような気がするし、またはそれらすべてが混じっているような気もした。
 こんなのは初めてだ。
 艦長と呼ばれた男は、右手を軽く握りそこにそっと唇を添えた。
「アクトワン。バックステージ。敵はそちらの存在にまだ気づいていません。そのままの高度を保ってください」
「バックステージ。アクトワン。了解した」
 部屋の隅に配置されているスピーカーから、落ち着いた男の声がした。そして、それに続く冷静な女の声。
「アクトワン。ターゲットまで後2000」
 その声を合図に、場の緊張が一気に高まった。2000mという距離では、いかに優れたステルス能力を持っていても、目視で発見されてしまう可能性がある。そこにいるすべての人間はそのことを理解していた。どんな些細な変化を見逃すまいと、各々が自分の目の前のディスプレイを見つめた。
「バックステージ。アクトワン。ターゲットを映像で確認した。これより攻撃にはいる」
「アクトワン。バックステージ。了解しました。幸運を祈ります」
 その通信の直後、巨大な液晶ディスプレイの青い光点が点滅を始めた。それは、ヘリのパイロットが火器管制システムを立ち上げたことを意味していた。そして、青い光点は、赤い光点へ向かう速度を上げた。
「アクトワン。ターゲットまで1000を切りました」
「た、ターゲット、未だに動きがありません」
 敵の動きを監視していたオペレーターの語尾が微妙に上がった。そして、ディスプレイ上の青い光点と赤い光点がほぼ重なった状態になった時だった。
 始まりは、しっとりとした女の声からだった。
「アクトワン。攻撃開始しました」
 ブリッジ中央のディスプレイの片隅に、Attackの文字が浮かび上がり、そのすぐに上にHitの文字が浮かび上がった。そして、モスキートの姿勢制御データが目まぐるしく変化し、20ミリチェーンガンの残弾が4800発から毎秒80発の速度で減っていく。
 5秒もしないうちに別のところから女の声が上がった。
「ターゲットA破壊、いえBも、ああ!Cまで」
 巨大なディスプレイ上において、赤い光点が次々と緑色の光点へと変わっていく。
「ターゲットD、E行動を」
 先ほど熱を上げた女が、再び叫ぶような声で言った。だが、彼女がすべてを言い終わる前に、違う声にかき消された。
「ターゲット、D,Eの破壊を確認……すごい」
 そこにいるすべての人間が声を失った。
「バックステージ。アクトワン。すべてのターゲットの破壊を確認。帰艦の許可を」
 ブリッジを占拠したのは沈黙だった。口を開こうとするものはいなかった。
「バックステージ?アクトワン。もう一度いう。すべてのターゲットの破壊を確認。帰艦の許可を」
 男に帰艦の許可がおりるのは、それから数分してからだった。


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