仏像法話 川の流れのように馬頭観音
馬頭観音菩薩像 瑞雲作 |
馬頭観音菩薩像 癒しの仏像 |
仏の教えは中道の教えです。一本の材木が大きな川に流れ出ました。この材木が両岸に近づかず、沈むことなく、人にも取られず、渦に巻き込まれないなら、ついに海に流れ入ります。
このたとえの材木のように、全てのものに、全てのものの見方にとらわれず、人生の流れに身を任せて生きるならば、病気の苦しみや迷いのない清らかな中道の生活を送ることになり、遂に彼岸の地極楽浄土に到達しましょう。とらわれないとは執着しないこと、握りしめないことです。執着心を起こすと初めの内は楽しいようでも、煩悩のせいでたちまち迷いの生活となり様々の苦しみをもたらします。
馬頭観音様は愛犬、愛猫、畜生界救済の観音さまですが、髪の毛は逆立って頭上に白色の馬の頭を乗せています。これは馬が草をむさぼり食うように,人の煩悩を食べ尽くして苦しみから救済するということを意味しています。六臂のうち二臂は胸の前で親指,中指,小指を立て,人差し指と薬指を曲げて両掌を合わせる馬頭印。このような理由から馬頭観音は人々を癒す微笑仏像のように、病気平癒と苦悩除去のご利益があるとされます。
しかし、此の世の人々は身分や富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことばかりにこだわり、なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、心が安らかなときがありません。そのために自殺する人もおります。自殺しなくとも、生きるとは死への旅なのです。ただ年数がちょこっと有るだけの話し。
人生はレンタル、皆仏様から無料で預かっているだけ、体も心も、生きている時間さへ身も心も清らかにして仏様にお返しましょう。 とらわれない心は、仏の教えを信じることにより授けられます。それこそ、かわいい微笑仏像の心です。悲しみが有れば喜びが有り、喜びが有れば悲しみがある。悲しみも喜びも越えたところが、とらわれのない世界です。馬頭観音さまに煩悩から離れて、人生の流れと生きる苦、病気の苦はおまかせしてはどうでしょうか。
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