ウオルト・ディズニ-の言葉に"If you can dream of it,you can do it"という有名な格言があります。理想という夢を持っていればこそ、物事を実現できるということです。 オリンピックで優勝するような選手は競技前に自分が一位になって表彰されている姿を頭に思い描くと聞きます。永遠の名バッタ-現巨人軍監督は、打席で、自分がホ-ムランを打ってベ-スを一周している姿を想像していたということを聞いたことがあります。 お釈迦様は「華厳経」で、この世のすべてのもの、理想も、心から起こるものであり、清らかな心でこの世界をみると悟りの世界が現れるが、この世の人々は、常に恐れ悲しみ悩んでいる迷いの心で見るから、迷いの世界が現れると説かれました。日蓮聖人はこのことを、「すべての業障界(苦しみ悩む世界)は、皆、妄想(無知・疑念・偏見)より起こると仰せられております。 前にもふれましたが、この世は、想念の世界です。ただ、肉体がそれに従ってるだけのこと。一方、あの世、つまり死後の世界は、肉体のない想念だけの世界です。肉体があってこそ、人は勉学もできれば人生の体験から様々なことを悟れるわけですからまさにこの世界はもってこいの修行の場でもあります。 では、なぜ人は迷うのでしょう。それは、下記{清らかな国」で述べましたように本来持っている仏から頂いた清らかな心、仏性が過去世の因縁、不成仏の霊、此の世で取り込んだ煩悩などで汚れてしまっているからです。 だれでも、向上したいという夢を持っているのに、実現出来ないのは上記の汚れが原因です。理想を持つと、その反動として必ず試練が来ます。心を鏡のようにきれいに磨くことで、悪因を反射し、悟りの世界(理想)を写すのです。
弥勒菩薩の信仰は中国では5世紀、朝鮮では6~7世紀に盛んになり、日本にも弥勒菩薩像がその頃伝えられました。敏達天皇13年(548)百済から鹿深臣がこの菩薩の石像一体を持ってきたとされる「日本書紀」の記録が最初である。その後、広隆寺や中宮寺の木造や半跏思惟の銅像が多く造られました。平安時代に末法思想が盛んになるにつれ、阿弥陀如来の西方浄土信仰と同じように、未来仏来迎信仰が流行し、鎌倉時代になって多くのかわいい弥勒菩薩像も造られました。人々はこのかわいい仏像に心から癒されたのでした。弥勒菩薩信仰とは釈迦の入滅後56億7千万年経って、次の如来になることが約束されているこの菩薩がこの世に降り、その説法を聴いて救われようとすることである。当ページ仏像画像の半跏思惟像こそ、いかにして人々を救おうか理想を持ったお姿であります。
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