お釈迦様が祇園精舎にいらしたときのお話です。酔っぱらいのバラモン(インド、バラモン教の僧)がやってきて、俺を仏教の坊主にしてくれと頼みました。酔っぱらいの頼みなので弟子たちは相手にしなかったのですが、お釈迦様は侍者に命じてその男の頭を剃って僧衣を着せました。 次の日、男は酔いが醒めて、自分の頭が丸坊主になっているのに気づいて、逃げ帰った。弟子たちはお釈迦様に「どうして、出家する意志のない酔っぱらいを出家させたのですか」と問いました。 お釈迦様は「たとえ冗談でも酔った勢いで、はじめて出家したいと、男の心に仏性が芽生えた。これまで生まれ変わり死に変わりする輪廻の間に、はじめてその気になった、これが縁で、いつの日か本当に出家することになろう。」と、ちょっとした縁が大事であることを教えられました。 不動三尊も二童子像は、この矜羯羅童子、制吐迦童子の対比がおもしろく、「不動明王図巻(醍醐寺 平安時代)」における円心や玄朝、延円、良秀などの白描があるようにそれぞれ個性豊かに表現してあり、不像明王とご縁があって不動三尊像としてあがめられています。 長い人生の間には、お寺巡りをしてみたい、法話をきいてみたい、仏像を彫ってみたいと殊勝な心、仏心を起こすときがあります。そこで、ご縁が出来て、本当に尊い仏の教えに浴せた人は幸福です。人間に生を受けるのは難しい。「無量寿経」に「仏に会うことは難しく、聞き難いこの教えを説く人に会うことも難しく、その教えを信じることは更に難しい。」とあります。
ですから、当方のホームページにご縁があっていらした人は、大きなご利益を失わないように仏を信じ喜べる人になれるよう、お祈り申し上げます。お盆が近づいて来ました。次回はお盆の話もしたいと思います。瑞雲は僧侶ではありますがお寺に住んでるわけではなくご信者からのお布施を主体として生活しているわけでもありません。これまで、仏師として仏像彫刻作家として東洋仏所という仏像制作所を運営してきて生きて参りました。何でもご縁があってこそ始まり成就するものです。仏像彫刻を志す方も、このページをご縁としてがんばってもらいたいものです。
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