今日のお話は少し難しいかもしれません。心から理解出来る方は清らかなお方でしょう。新約聖書、「マルコの福音書」第10章13節から15節に さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちを、みもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子供たちを私の所に来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることは出来ません。」そしてイエスは子供たちを抱き彼らの上に手を置いて祝福された。 お釈迦様のお弟子の中にに智慧第一と言われたシャリホツと何を教えても覚えられない全弟子のなかで知能が一番劣ったグドンという人がおりました。お釈迦様は、グドンに庭を掃き掃除することと誰にでも笑顔で挨拶することを教えました。シャリホツは皆の尊敬を受けましたが、グドンはばかにされっぱなしでした。それでも、もくもくと掃除だけ笑顔で挨拶だけで人生を終わりました。死後、グドンは即成仏しお釈迦様から如来の地位を約束され、今でも信仰の手本、愚鈍菩薩として崇められております。一方、シャリホツはなかなか、如来の約束を頂けず、シャリホツ尊者という称号のままです。
阿弥陀如来の国を説く「無量寿経」に、「信を得て、遠い昔に仏が与えられた深い因縁を喜び、厚い仏の慈悲を喜ぶ者は、この世の生活そのままに、阿弥陀如来像様のおられる仏の国に生まれることが出来る。まことに、仏の教えを聞くことは難しく、信を得ることはさらに難しい。」とあります。阿弥陀如来様に癒されるようになりたあいものです。
キリストのお話にしてもお釈迦様の教えにしても、智恵が少々あるためにかえって疑念や慢心の心が沸きがちな大人は、その罪で天国や極楽に生まれにくいということを教えています。本来、人々は誰でも阿弥陀如来のおられる極楽浄土や天国の住人になれる、水晶玉のような「清らかなかわいい微笑仏像のような心」を持っております。ところが、現代社会のスモッグや有毒ガスのような、欲望の心を沸き立たせる情報が多いため真っ黒に汚れているわけです。 3月3日は雛祭りです。この世の貪り、怒り、様々の煩悩の渦巻く中に、心の中を癒してお掃除してお釈迦様の教えをお祭りされてはいかがでしょう。
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