平成22年・23年・24年・25年・26年は
特にうちの山での作業はありませんでした。

若藤林業さんも他の仕事で忙しかったようです。

私の方も、平成23年8月に父が他界したり、
平成25年8月には長女の連れ合いが他界したりと、いろいろ大変でした。

最近、久万広域森林組合のホームページを覗いてみましたら、木材市況はやや上がっているように見えました。

今後どうなるか判りません。山林整備の補助金に関しても今後の動向が判りません。

仕事を続けて行きたいですが、経費ばかりでマイナスが積み上がって行くだけというのも辛いものがあります。また、何もしなくても固定資産税や林道整備費などの経費も出て行くだけです。

年もとってきたし、いろいろ考えあぐねている今日この頃です。

もうこの仕事は将来性がなく、このまま立ち消えになるしかないのかと意気消沈していましたら、平成27年後半から事態が動いてきました。

この間にも何度か森林組合に足を運んではいました。あまりよいお話しはありませんでした。

平成27年7月に母が突然「山に帰りたい。」と言い出しました。当時88歳でしたが、連れて帰郷しました。母は山の家で3ヶ月間を過ごしました。

この間夏休みにも帰郷し、この時に久し振りに若藤さんにも会うことが出来、話も出来ました。若山の下半分の間伐に入ると言うことでした。

10月の連休に母を迎えに帰郷しました。
この時に若藤さんと今後の仕事の打ち合わせや、また、隣の美川村、黒藤川にある山林を購入しては?というお話しも伺いました。

    元に戻ります。