夢枕獏の短編集「陰陽師」の中の「月突法師」を読みました。
藤原兼家のもとを「月突法師」と名のる老法師が訪ねてきます。法師は
「五日後に、お庭の松の木をお切りになるのをお止めください。」
と請うのです。その理由を尋ねると
「申し上げても、ご信じになれぬでしょう。明日、改めてお伺い致しましょう。」
と言って去りました。
翌日の夜、兼家が寝ていると件の老法師が現れ、兼家の手を引いて外に連れ出します。気がつくと土塀に囲まれた屋敷の中、土壁は湿っていて土の匂いがします。
部屋では、沢山の小坊主が声を張り上げて経を読んでいるのです。その経は法華経の「従地涌出品」でした。世尊の言葉に応えて、震裂した大地から無量百千万億の金色に光る菩薩・摩訶薩が、次々に娑婆世界に出現する場面です。
驚く兼家に、老法師は
「今年は、この者たちが習い覚えた経を読む特別の年でございます。なにとぞ、あの松を切る事はお控えくださいませ。」
と懇願するのです。
「これはいかなる事であろうか。」
と不思議に思った兼家は、安部晴明と源博雅を呼んで老法師の訪れを待ちます。
現れた老法師に
「松は切らぬ。」
と伝えると、老法師は大変喜び、
「嬉しゅうございます。私だけが7年も生かされてきたのは、子供たちのために兼家様にお願いするためだったのですね。その子供たちが、今年はようやく地上に出る事が出来ます。出たら、あの有難い御経を唱えんと努めて参りました。そろそろ私の命も尽きます。南の軒裏を覗いていただければ、私の死骸を見ると思います。南無妙法蓮華経。」
と言って消えました。
その年の夏、兼家の屋敷の松に沢山のつくつく法師が一斉に声を揃えて鳴いたのです。その声に耳を澄ませると、法華経を読んでいるように聞こえたそうです。
「従地涌出品」の経文が掲載されていたので心に残り、何度かこの短編を読み返しました。すると、この老法師と、先師から授けられたお題目をこの地に残そうと老躯に鞭打っている自分の姿が重なってきたのです。
修行時代の恩師・先師・法友は、今は誰もいなくなり、私一人になってしまいました。
私の寿命がいつ尽きるかは分かりませんが、「生命尽きるまで修行を続けよ」と捉え、「唱題修行を世に残す事が自分の役目」と思い、精進の日々を送る事を念じております。
今年はまだ、つくつく法師の声を聞いていません。
平成30年10月1日
月突法師(つくづくほうし)