平成29年3月1日
妙心寺教会
老尼のお話の部屋
卒寿を迎えて
 中国の儒教では「歳を重ねる事は尊い」という思想があり、長寿の祝いに結びつきました。これが平安時代に日本
に伝わり、1000年以上の歴史を経て日本の伝統的な行事となったのです。 
「近年は、日本人が昔から行ってきた
伝統的な行事の継承者が少なくなり、行事そのものも廃れてきています。しかし、還暦・古稀・喜寿・米寿・卒寿・白
寿などは長寿をお祝いする行事であり、これらの行事を若い世代の人が尊敬の念をもって行うことにとても意味があ
るのです。」

ともありました。

 また、滋賀県在住のO氏より美麗な法華経訓読の経本を頂戴いたしました。寒修行の成満と卒寿を迎えた祝いの
品でした。今、新しい経本を手に取りながら、生まれ変わって新しく精進の途についたような気持ちでいます。

 日蓮大聖人の御遺文の一節に、次のようにあります。
「念願すらく、人の寿命は無常也。出る気は入る気を待事なし。風の前の露、尚譬にあらず。かしこきも、はかなきも、
老たるも、若きも定め無き習也。されば先臨終の事を習て後に他事を習べし
(よくよく思うのに人の寿命は無常であって、吐く息は、吸いこむ息を待つ間もないくらいであり、風の吹く前の露のよ
うなもので、いつ散ってしまうかわからないものである。賢い人も、そうでない人も、老人も若い人も、すべていつ死を
迎えるか定めのないことである。そこでまず臨終のことをよくわきまえて、その後で他の事を考えるべきである)」

 お言葉の通りの日々を送りたいと念願しております。

 法灯継承式のおり、中尾先生が
「中野さん、院首になっても昼夜常精進。余生なんてものは無いんだよ。」
と仰った一言が常に思い出されます。その有難く厳しい教えは中尾先生の声と共に、私の心を励ましてくれている
のです。



【卒寿】
  仏祖三宝を始め奉り、諸天善神等の御加護を賜り、また、皆様方のお力添えのもと、数え年で90歳を迎えることができました。末弟子からは卒寿を祝って「法体健全」・「増益寿命」を祈念し、朱塗りの供物台一基が奉納されました。

 「長寿であることを感謝し、今まで生きてきた在り方を振り返り、一区切りの卒業の時」と思っていましたが、よく調べてみると少し違うようです。
 「
卒寿とは、数え年の90歳をお祝いする行事です。なぜ90歳なのかというと九十という漢字を縦書きにすると『卆』となり、この『卆』が『卒』の略字であったことから、90歳の長寿のお祝いを卒寿と呼ぶようになったのです。また、『卒』の字が『卒業』をイメージするので、『人生を卒業する』と解釈する人がいますが、これは大きな間違いです。」
とありました。