妙心寺教会
老尼のお話の部屋

平成19年4月1日

涌唱会と私

妙法蓮華経と涌唱会

 4月29日は当道場「涌唱会発会第33回の記念日にあたります。私が「涌唱会」と言う言葉を耳にしたのは今から50年程前のことです。
 私は母の胎内で「お題目」(南無妙法蓮華経)を聞き、幼児の時から「お題目」をお唱えしてをりました。物心がつき、成長と共に「お題目」をお唱えすることによって現実に様々な御利益をいただく人の姿を沢山見てまいりました。しかし私の心の中は何か満たされず、心の中で「本当のお題目」とは何かと考えるようになってゐました。
 折も折、お逢いしたのが埼玉県東松山市妙昌寺の御住職W上人でした。
 お上人に「『お題目』をお唱えする修行があるのだが来てみないか」と言われ、早速、妙昌寺に伺いました。その晩、W上人は何も解らない私に、寝もやらず種々のお話をして下さいました。そのお話を心おどらせてお聞きしたのですが、後に残った言葉はその修行日は月の8のつく日の夜であるということでした。
 当時、東京中野区に住んでをりましたので修行が夜ということは宿泊させていただくことになります。家の者に修行したい旨を話し、半ば強引に許可を得たようなものですが有難く感謝してをります。初めて修行に伺ったのは、昭和37年(1962)12月8日の夜でした。その晩は小雨が降り、東松山の駅からタクシーで20分程の所に寺がありましたが、降りた所は暗く山の中のように思われました。

修行はまず「お題目」を聴くように言われ、上人と信者さんの唱える「お題目」を聴きました。聴いてゐる中に体が震えてきて止まりません。そして魂が歓ぶのが解りました。
 次に皆さんと一緒にお唱えした時には、自然に頭がさがり畳に頭をつけて礼拝をしてをり、心の中には大歓喜が沸きあがっていました。私の求めていた「お題目」はこれなんだと会えた歓びが涙となり流れていました。
 時を経て御上人からこの「お題目」は「地涌題目奉唱」と言い、唱え修行する会を「涌唱会」と名づけていると教えていただきました。

 こうして、私はお上人を師と仰ぎこの「お題目」を唱える為の修行が始まりました。そうしてゐる中に何時の間にかあの魂のふるえる感動と歓びを人に伝えたいと思ってきました。
 師に、この「お題目」は仏の御心であり、一心にお唱えすることにより心が磨かれ、私達の心の奥にある仏の心が顕され、真の安心立命の世界を知ることが出来る」と教えられました。又、師は私に「ああしたい、こうなりたいと思わなくてもよい、今何が出来るかを識って、一歩づつ歩むことが大切である」と説かれ、桃里の下、自ずから徑をなすとの言葉を下さり「浄蓮」という修行名をいただきました。
 あれから半世紀近くもたとうとしてをります。私はあの大歓喜を皆さんに体験していただきたいのです。現在は得がたい法友と共に、たった一つの目的にむかって精進の日を続けてをります。
                                                                 合掌

 釈迦牟尼佛(以下佛)は御入滅の前8ヶ年間に妙法蓮華経(以下法華経)を説かれたとされてをります。
 この法華経は28章に分かれて説かれてをり、その中の第15章に従地涌出品の教えがあります。その教えを簡単に申しますと、これまで教えを聞いたお弟子方が「この法華経を娑婆世界に弘めます」と佛に申出された時、佛はこれを止められ「此の法華経を弘める方は別にある」と言われます。と同時に大地が割れ、その中から無量の方々が涌出して仏前に参りました。佛は「彼等は私の古い昔からの弟子であり教化したもので、此の娑婆世界の下の虚空に在って自ら精進してゐる者たちです。この者たちこそ、仏の滅後法華経を弘める者たちである」と説かれました。(大地が割れ、地より涌出した方々なので地涌の菩薩と呼ばれてをります。)

 第16章如来寿量品に於いて、佛は久遠の昔より成佛してをり、滅後においても此の世の人々の苦悩を救い速やかに成佛をするように教化しつづけるのであると本地を明かされました。

 第21章如来神力品では末法(佛入滅2000年)に於いて、佛の一切の功徳が集約してある「法華経」を弘め、その功徳を表すことの出来る者は地涌の菩薩方であり、世の人々の苦しみを救うようにとこの「法華経」を託されました。

 この経文により、地涌の菩薩であることを悟られた日蓮大聖人は、命をかけて法華経の題目を弘められたのです。故に、当道場の涌唱会は久遠実成の釈迦牟尼佛、日蓮大聖人の御心にそった「お題目」をお唱えして、我が心を磨き、世の中の人々が真の安心立命を得ることができますよう願い修行する会なのであります。

 日蓮大聖人御遺文「諸法実相鈔」より  
 地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり。
いかにも今度信心をいたして法華経の行者にて通り、日蓮が一門となりとおし給うべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事、あに疑はんや、経に曰く「我れ久遠よりこのかた是等の衆を教化す」とは是なり。末法にして妙法蓮華経の5字を弘めん者は男女はきらうべからず、皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱えがたき題目なり。

矢口芳夫氏寄贈「白蓮」        

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