妙心寺教会
守護神(稲荷大明神 1)
平成22年7月1日
老尼のお話の部屋
【守護神とは、一般には国家や地域社会、個人を守る神・諸尊等を言います。】
 江戸時代には、稲荷信仰が一般庶民に流行し、「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」というはやし言葉が残
っています。
 その位、一般家庭にも稲荷信仰が浸透しました。
 日本の「三大稲荷」として信仰されている各稲荷を簡単に説明しましょう。
(1)京都 伏見稲荷

 起源は「山城風土記」にあり、秦氏の祖先伊呂具の秦公(はたのきみ)は、富裕に驕って餅を的にしました。するとその餅が白い鳥と化して、山頂に飛び去ったのです。
その場所に稲が生ったので、神名になったと言われています。
秦公(はたのきみ)は、過去の行いを悔いて、その木を屋敷に植え替え祀ったのが始まりと言われています。
 この「稲生り」が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が充てられたそうです。
仏教に入り、毘盧舎那仏(ビルシャナブツ)の教化を受け、善神となったのです。
 真言密教では別号「白晨狐王菩薩」と言われ、稲荷の神使がキツネである所から、
荼吉尼天=狐=稲荷となり、荼吉尼天は稲荷の神体として崇められるようになったのです。

☆最上稲荷と初午については8月に掲載致します。
(2)愛知県 豊川稲荷 妙厳寺

 由来は寒厳義尹禅師(1429から97)が、康元年間に支那から日本に帰国途中、海上に白狐にまたがった霊神が現れ
「我はこれ口乇枳尼天なり。いまこそ禅師を護るとともに、師の教化に浴した者を守って、常に安穏にして、快楽ならしめよう。」
と告げたので、禅師は帰国後その像を刻んで「豊川口乇枳尼天」と名付け、妙厳寺の山門守護の神として祀りました。
  口乇枳尼天(だぎにてん:荼吉尼天)は、もとはインドのヒンズー教の女神カーリーの侍女で、人肉を食べる夜叉の1種であったと言われています。
【稲荷大明神】
【荼吉尼天】