妙心寺教会
守護神(千手観音)
老尼のお話の部屋
平成22年4月1日
上皇の勅願により、平清盛が供進しました。しかし、建長元年(1249)洛中大火の飛び火によって焼失し、後嵯
峨天皇の勅願により文永3年(1266)に再建されました。その後、大仏師「湛慶」が中心になって、中尊(中心の
座像)千体仏が全て復元されたのです。

 また、観世音菩薩の従者で、信者を守護する二十八部衆の像も、堂内に祀られています。
 三十三間堂という数は、観音の「三十三変身」に由来しています。
 千手を表すのに、普通は合掌のほかに四十手を用います。これは、「一手よく二十五有界の衆生を救う(有界
とは衆生が輪廻する迷いの世界)」ことから、四十手に二十五を乗じて、千手にしたものといわれています。実際
に千手のある尊像は、奈良の唐招提寺、大阪の葛井(ふじい)寺に祀られてあるそうです。

 また、三十三間堂は「通し矢」で知られています。お堂の西外の広縁から、北側に大幣束を立て、南から北へ
一昼夜射通す競技で、天下の武芸者の栄誉をかけた行事でした。
 現在は全日本弓道連盟と共催で、通し矢に因んだ「大的大会」が正月に行われ、全国から2000人にものぼる
射手が技を競うそうです。

 私は、西側の「通し矢」が行われたという庭が好きです。現在は整備が進んで、昔のたたずまいがなくなったの
は残念です。でも、京都へ行くと必ず寄るのは三十三間堂なのです。
【守護神とは、一般には国家や地域社会、個人を守る神・諸尊等を言います。】
観世音菩薩は、はじめは男女の性を超越した姿として造立されました。7世紀以後から、女性的菩薩像の造
立が盛んになり、日本では天武天皇(686)のときに、変化観音として初めて造立されたといわれています。
 千手観音の本誓(過去世において発起した誓願)は、諸々の
衆生の苦悩を救うことなので、それを形として表現したといわれ
ます。像には千本の手があり、その掌の一つずつに目がついて
います。千は無量を意味し、千の慈眼で衆生を見つめ、千の慈
手で衆生を救うとされています。

 この観音は最も強い力を持つとされ、「蓮華王(観音の王様)」
と名づけられました。  

 千手観音で有名なのは、京都三十三間堂(蓮華王院)に祀られ
た1001体の尊像です。三十三間堂は、長寛2年(1164)後白河
【千手観音】