平成22年1月1日
守護神(八幡大菩薩)
【僧形八幡神】
【守護神とは、一般には国家や地域社会、個人を守る神・諸尊等を言います。】
八幡大菩薩は、一般に「八幡様」と呼ばれ、各地に祭祀され、親しまれています。
(1)八幡様の主神
八幡神の総本社は、大分県宇佐市にあります。主神は仲哀天皇と神功天皇の子、「応神天皇」と言われてい
ます。
「扶桑略記」には、次のようなお話が載っていて、起源とされています。
宇佐郡小倉山の麓に、容貌奇異な鍛冶の翁がいた。この土地の神主である「大神比義」は、この翁が金色の
鷹や鳩に変身するのを見て驚き、三年間師事した。そしてある日、「もし翁が神ならば、姿を現してください」と祈
った。すると、笹の葉の上に三才の童子が立って現れ、「我は十五代の応神天皇であり、護国霊験威身神大自
在王菩薩」と名乗った。この事により、八幡神は応神天皇とされた。
(2)仏教との習合
天正十二年(740)、聖武天皇が難波に行幸された際、丈六の盧舎那仏を拝し、大仏の建立を発願された。そ
の時、宇佐八幡神が神託を下し「天神、地祇を率い誘いて、大仏造立を必ず成就せしめるであろうと」言われ事
により、天皇は大仏造立を決意された、と伝えられています。
八幡神が大仏造立を助成されたことから、「神」は「仏」を尊び護る、という観念が生み出されました。わが国の
神社の中で、いちばん早く仏教と結びついたのが八幡神です。大仏が完成した後、京都に迎えられ、一品(いっ
ぽん)という最高位を授けられ、「八幡大菩薩」の称号が与えられました。
平安遷都に際しては、王城鎮護のため、「石清水八幡」として、京都の西南に祀られました。宮と寺が一体に
なり「神仏習合様式」が生まれたのです。
(3)武家の守護神
平安後期、後三年の役(1083〜87)の後、源氏の頭領、
源義家は石清水八幡宮の社前で元服し、八幡太郎義家と名
乗りました。以後、源氏一門の守護神として尊敬されました。
また源頼朝が、鎌倉に幕府を開いた際、鶴岡八幡宮を造営し
たので、源氏の守護神だけでなく、武家の守護神として広く世
に伝わりました。
(4)僧形八幡神
八幡神の中に「僧形八幡神」と呼ばれる僧侶の形をした像が
あります。これは「本地垂迹思想」に基づいた像で、薬師寺や東
大寺にあります。
(5)八幡様と鳩
「平家物語」に「鳩は八幡大菩薩の第一の使者なり」と書かれてあります。
また、宇佐八幡を石清水八幡へ勧請した際、白い鳩が道案内をしたといわれ、勧請の時、境内の巨岩から鳩が
飛び立ったので、八幡神をその場所に祭祀したという伝説も残っています。
【参考文献】
神と仏の原郷 (榊品一郎 著) あらすじでわかる日本の仏教(速見侑 著)