「年の始めのためしとて
終わりなき世のめでたさを
松竹たてて門毎に
祝う今日こそ めでたけれ」
小学校唱歌
「もういくつねるとお正月
お正月には凧あげて
独楽を回してあそびましょ
早く来い来いお正月」
小学校唱歌
私が小学校の時は、元旦は晴れ着を着て袴をつけ学校に行き、新年の歌をうたい、
「おめでとう」と言いかわし、紅白の大福をいただける楽しい朝が始まりでした。
家庭では一家の主人が神棚、佛壇に初水をお供えし、家族揃って新年の挨拶。終わ
ると待望の「お年玉」をそれぞれにもらい、おせち料理、お雑煮等を食べました。
暮れにお母さんが作る料理の香りが家中に流れたました。臼と杵をかついだ小父さん
が声を上げて街並を歩き、呼びとめられて餅をつきます。近所の人も焚き火を囲んで集
まります。できたての柔らかい「あんころ餅」「カラミ餅」を歓声をあげて食べた思い出、
羽根つき、かるた、双六、百人一首、・・・・・・次々と思い出が溢れてきます。
街にでました。スーパーでは、つい昨日まで飾られていたクリスマスの用品がすっかり
取り払われ、そして正月用品が一杯ならんでいます。作り物の門松が大小並び「鏡餅」
「若松」「花」食料品売り場は「お節料理」が人手を使わずにすむように一杯並んでいます。
ただ着飾って歩く「初詣」、暴走族がうなりを上げて走る「初日の出見物」と、元旦に神仏
を尊び、家族和合の風習が変わってきています。
新年を迎えてもう一度、源を尋ね、この日本の美風を後世に伝えることを考えたいもので
す。
「お年玉」
年神(歳神)様にお供えした鏡餅を参拝者に分け与えたのが起源だそうです。
鏡餅とは鏡をかたどったもの、鏡は「魂」を映すもの、「魂(たましい)」は「玉(たま)」
ともいわれたことから、年神様の魂すなわち年玉と言うようになったのだそうです。
昔の人々は、こうして神様のたましいをいただいて自分たちも神様のような心に少し
でも近づくようにと願ったのですね。
古歌にいわく、
正月は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし