結婚

 十一月十五日、紀宮様の御婚儀が行われ私達はお慶び申し上げました。報道関係もその二、三日間はこの話題のみで過ぎたように思われます。私はそれらを見聞きしながら日本の結婚の歴史を少し調べてみました。(ホームページに掲載された文章を参考にまとめてみました)

                  日本の結婚の歴史

(1) 古代〜平安時代
  ・古代では恋愛は極めておおらかで結婚との境目は明確でなく男女関係は対等でした。
  ・平安時代には夫が妻の実家に通う【通い婚】を経て同居するが、妻は夫を待つだけで夫がこなければ即離婚。夫が愛人をつくってもどうにもならない。源氏物語の世界です。

(2) 鎌倉〜戦国時代
  【家父長制】が成立し、それに伴い女性の地位が低くなりました。
  ・鎌倉時代になると妻が夫の家に【嫁入り】するようになり、妻は夫の所有物と考えられ、また女性は 夫を自分で選べず武家の中では【政略結婚】がおこなわれました。

(3) 江戸時代
  ・江戸幕府の政策は家を基とすることにあり、それによって秩序を守ることにつとめたため女は【生まれれば親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う】という三従が強いられました。また【嫁して三年子なきは去る】といわれ子のない妻は夫に妾をすすめ妾の子を自分の子として育てたり、【三下り半】と言われる離縁状が妻に渡され離婚が成立するようになりました。

(4) 明治時代
  ・明治時代になると身分の差や外国人ということに関係なく結婚の自由が認められました。しかし政府が作った一夫一婦制【法律婚】は権利は夫に多く、義務は女性に多く課せられ、夫の同意がなければ大きい買い物や借金も出来ず、女性の意志では結婚や離婚も決めることが出来ませんでした。

(5) 現代
  ・1945年終戦となり民主主義国家として憲法第24条に結婚は当人が決めるべきもので夫婦は平等とさだめられました。戦前の家制度が未だ残って居ますが現在では
【シングル婚】や婚姻届を出さない【事実婚】等新しい形も起きています。















           【結婚式】について


  ・日本の伝統と思われてゐる神前結婚式は江戸時代まではなく、挙式と披露宴を含めて一般には各家庭に於いて佛壇の前
【佛前結婚式】、床の間の前等で行われました。 
  ・神前結婚式
  前述のように明治になって新しく作られたものだそうです。それは大正天皇が皇太子時代現在の神前結婚式の形式で挙式したことによると言われてをりますが、明らかにされていません。明治以降欧米の文明に追いつきアメリカのような物質の恵まれた国にしようと考え、政府は教育制度や国家神道によって文明開化を効率よく推進しようとし様々な政策を行いました。その中から神前結婚式が誕生したものと言えます。
  ・チャペルウェディング(礼拝堂)
 日本には明治以降数多くのミッション系の教育機関がつくられ教会の数も増えました。日本人の多くはキリスト教を宗教と受け入れるのではなく、チャペル結婚式だけが増えています。これに対応してブライダル産業は街の教会より豪華なチャペルを作りブームを加熱させています。
  ・ブライダル産業
 明治時代のエリート達は、地方から東京に集まった人が多く故郷で婚礼を行うことが難しくなりました。そこでヨーロッパ形式のパーティを参考として都市ホテルを利用して披露宴を行いました。今と違って都市ホテルを利用できるのは一部のエリート達です。昭和四十年代から国民の生活も豊かになり、エリート文化を自分達にもと考え神前結婚式と披露宴とのセットか゛理想的なスタイルとして誕生したのがやがて現在の様式を生みそれが一つの産業となりました。
 ほんの一通りの事ですが、私はもう一度婚礼の意義を確かめ振り返る事が今の日本では必要なのではないかと考えてしまいます。

                


           

         





※参考・引用文献(ホームページ) 綾部良一著「婚礼事典-文化としての婚礼」

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