今から三十数年前のお話です。
群馬県長野原から梨木へ出て、草津温泉へ向う路があります。丁度その頃は、紅葉が見頃でつづら折りの山道のトンネルを何度か抜けるのですが、紅葉の中に飛び込んでしまうのではないかと息をのむ美しさでした。その路を通り抜け温泉街へ近づく手前の左側に「栗生 楽泉園」というハンセン病の療養所があります。広大で閑静な敷地には色々の施設があり、また一戸建ての家も沢山建っております。
そこでは11月3日を中心に文化祭が行われました。私は、T上人にご一緒させていただき何回か伺いました。
門を入り少し歩くと中庭があります。その広場には園の皆さんが丹精された人の頭程もあると思われる菊の花が咲き揃った鉢が何十となく並びその美しさに目をみはる思いでした。また別館には「油絵、書道、写真、俳句、短歌、手芸品」等の作品が展示されてをり、それらからは今生きてゐる証のような心が感じられ身の引き締まる思いがしました。
この園の中に「妙法会」という集まりがあります。T上人は、その会員の方達と共に「唱題、回向供養、話し相手」等をなさっておられました。
11月3日は、会員が「集会所」(お堂のようになってをります)に集まり亡くなった方の回向供養を行う日になってをりました。そのご縁で私は「楽泉園妙法会員之霊」として今も御回向を続けさせていただいてゐるのです。
或る時のことです。御宝前に向って二十代と思われる男の方がじっと座ってゐました。新しい方のようです。少し間があって年配の男の方がその前に座り、
「あんたは一番若い。俺達は先に死ぬよ、するとあんた一人になるんだ。あんた解ってゐるかい。一人になってもこの会を守り続けられるかい。いいかい、俺等は先に死ぬんだよ」薄暗い堂の中にその声は静かに響きました。
近年ハンセン病の報道が種々されました。それらを見聞きするたびにこの日の事が思い出されます。長い年月が流れて今日此の頃、皆さん如何お暮らしでしょうか。私はあの日御宝前でお約束しました通り命ある限り御回向を続けて参ります。
法要が終わりますと皆さんと一緒に会食を致し、その後会のお世話役をしてゐらしたMさんご夫婦のお宅におよばれし、何とも奇麗な太巻きの手巻き寿司、甘く煮込んだ大きな花豆のあの味も初めて知りました。私の人生の中では忘れられぬ思い出の11月3日なのです。