今から十数年前のお話です。それは、大変に暑い日でした。                 
 K家では家族5人、遠くから来た親戚のA子さんと子供2人、又親戚のY家の家族3人が車に分乗して菩提寺さんへお盆のお墓参りに行きました。墓参りをすませて皆が車に乗り走り出すと突然一番小さいMちゃん(当時2歳)が「お水が飲みたい」と泣き出したのです。あまりに泣くので車を止め冷たいジュースを買って持たせたのですが口に入れず、ただ「お水、お水」と泣くのです。菩提寺からK家まで車で15分近くかかります。その間Mちゃんは泣き通しでした。家についてコップのお水を飲んだMちゃんはようやく泣きやみました。
 それがあまりに異様に感じられたので、大人達が集まり、お墓にお参りした時の様子を話し合いました。誰がお花、誰が線香の用意を等話し合ってゐる内に「私、お水を供えたのだけれどコップをきれいにあらわなかったわ。そしてお水も新しい水でなく汲置きの使いかけの桶のお水を供えたけれど私悪かったかしら」と言いだした人がいました。大人達は何となく解ったような気がしました。今の世において形なきものを信じ愛おしむことは難しいのかも知れませんが、形なき魂の在ること、そして形式だけの心なき行為は決して受け入れられないことを小さな子供を通じて教えられたのであろうと思いました。
 三歳前後の幼い子供達の中には、このようなことが、まま起こります。お墓参りに行ったら亡くなったお祖父ちゃんが一緒に歩いて来たとか、「この人誰」と子供が言うので気味が悪くて心配だと相談に見える親御さんがあります。どうぞそのまま聞いてあげてください。子供は嘘を言ってゐるのではないのです。世の中の垢にまみれていない子供の魂(心)には大人に見えない魂の姿が映るだけのことなのです。
 お盆の起源については皆さんご存知と思いますが、ご先祖様から受け継がれた日本の美風もだんだん失われていくように思われます。子供達と一緒にお盆のいわれの話をしたり、ホオズキ提灯、キュウリの馬、ナスの牛等をつくり精霊棚にお供えできたらきっと心の優しい子供達が育っていくと私は思います。



「(朝は)盆にゃぼた餅 昼間はうどん 夜はこめの飯 トウナス汁よ」歌い継がれてお供え致しました。

蓮の葉の上に水の子と
いってナス、米等を供える。

みそはぎの水向け
どんぶり

キュウリの馬

早く家に帰れるように

ナスの牛

ゆっくりお寺に帰る
ように

老尼のお話の部屋
妙心寺教会

きれいなコップのお水がほしい