「寒修行」によせて

 今年の「寒修行」も残りわずかとなりました。一月六日の「寒の入り」から「節分会」
までを「寒中」と言って、その期間中を「寒修行」又は「寒稽古」と言い「剣道、柔道」等
の上達を願って特に精進致します。
 私の教会の「寒修行」は朝と夜は「唱題修行(しょうだいしゅぎょう)と行脚(あんぎゃ)」
昼は「行脚」を中心に行われます。今から七十年以上も前になりますが、私の「寒行」
の昔話をお聞きください。
 私の家は、「日蓮宗」の結社として法華経の布教を致し、皆さんの相談相手となって
暮してをりました。毎年寒に入りますと私は母に言われて菩提寺の寒行に参加しまし
た。小学校に入るか入らないかの年が私の寒行の始めであると記憶してをります。菩
提寺では夜になると何人かの人が集まりお上人の後をついて太鼓を叩き街中の檀家
や有縁のお家を毎夜廻り回向(えこう)を致します。その中の一人が私でした。
 まだ太鼓を叩いて歩くことの出来ない私は「結社」の名前の入った提灯を持って駆け
足で大人の後をついて廻りました。お上人が「回向」になると止まるので追いつき、又
後を追いかける、そんな事の繰り返しでした。初めは小さかったので全部を廻ることが
出来ず、家の近くになった時帰りました。時間にして一時間半位ではなかったかと思い
ます。今不思議に思うのですが、その時「何のために」とか、「どうして?」と言うことを考
えたことがなかったように思います。小さかったので何の考えも浮かばなかったのでしょ
うか・・・・・・。
 ただ今でも寒行と言うと思い出すことがあります。その一つは夜廻りながら自動車が
通らないか、早く来ないかと何時でも心の中で待ってゐるのです。自動車が通ると温か
い風が来て体が暖かくなるからです。今、報道などで自動車の排ガスによる環境破壊
等が問題になってゐるのを耳にすると時代の流れを感じてなりません。又提灯を持つ
手が冷たくて手袋が焦げないように提灯の中にそっと入れて暖めたのを思い出します。
嬉しかったのは檀家の方で二軒ありましたが褒めて下さってご褒美にお菓子を時々い
ただいたことです。以上は夜の外回りの寒行の思い出です。
 朝も「寒行」はありました。これ又私にとって難儀なことでした。
 昔は、朝五時半になると街のサイレンが鳴りそれを合図に家に信者さんが集まり、唱
題行をいたします。姉さんは皆さんが来る前に幾つかの大きい火鉢に炭を起こして入
れます。そうして十何名が集まり朝の修行になるのです。毎朝起こされるのですが寒く
て布団から離れられず、なんで家ばっかり早く起きなくてはならないのかとよく思いまし
た。でも母は、「佛飯」(釈尊、日蓮大聖人の御教えを弘めていただく布施によって生活
をすること)をいただいてゐるのだからとそれを怠けることは許しませんでした。
 このように寒行は続けられましたが戦争が始まっていつの間にか途絶えました。そし
て終戦後、街の人の要望で母が先頭に立って外回りの寒行が復活しました。今でも太
鼓を叩いて廻ってゐるのを見たことがあり懐かしいと話される方に幾人かお逢いします。
現在の私の教会は街中ではありませんが夜は近所の行脚を続けてをります。
 昔を思いますと寒行の在り方一つをとっても様変わりしてをります。世相によって同じ
事は出来なくてもよいと私は思います。ただ願うのはその奥に流れる人の生き方の源
(みなもと)ともいうべき精進という心を忘れずに世の人が生きて下さるように祈ってをり
ます。                                               合掌     

妙心寺教会
老尼のお話の部屋