【 「一周忌」 都弔王(本地:大勢至菩薩) 】
亡者は、大王の御前に畏まって申します。
「これまで参り来た道すがらの苦しみは、忍び難いものでした。今では、私の罪業も無くなったでありましょう。もし、少しでも残っているとしたら、大王様のお慈悲を以て、お許しください。」
大王は
「今までにおいて、お前の罪が無くなったとすれば、ここまで来ないはずである。今、ここにいるということは、その罪業の償いが終わっていないからである。ここにお前の業がつきたかどうか、はっきりわかる『光明箱』がある。この『光明箱』を開いてみよ。」
と仰られ、亡者の前に箱を並べました。
亡者は、もし開いたらどのようなことが起きるのであろうかと思い、怖さに震えながら、一つの箱を開けました。
すると、中から猛火が出てきて、亡者の体にまとわり付きます。それを見た獄卒達は、
「どうした。どうした。」
と声をあげ、亡者を打ち叩くのでした。
【大勢至菩薩】
【大勢至菩薩】
あまりなじみのない菩薩様です。インドの名は「マハストハーマ プラープタ」と言います。「大勢至」という名は、智慧の光明がさかんで、一切を照らし、迷いから離れさせる力が大きいので名付けられたといわれます。
大勢至菩薩の智慧は、強い意志で人々を迷いから離れさせる事に使われます。観音菩薩の願行と同じく観音は「慈悲」を、勢至は「智力」を象徴し、共にあって信仰されています。
大王は
「今までの王の所で、地獄に落ちるべきお前であるが、裟婆に
残る妻子が孝養の心強く、追善をよくなしたので、ここまで来ら
れたのである。お前は自分の悪業を知らぬけしからぬ者であ
るが、今1周忌の追善があったので、地獄へ落とさず、次の第
三年の王の所へ旅立つべし。」
と仰られ、第三周忌、五道輪転王へ送られるのでした。
第三周忌の旅に赴く道の途中の苦しみも、忍び難い事であり
ます。
ですから、裟婆に残る私たちは、同じように王の御前での裁き
を受けることなく「即身成佛」出来ますよう信心をなし、亡き者の回
向をすることが大切なのです。