平成21年1月1日
妙心寺教会
知っておきたい死後の忌日([)
老尼のお話の部屋

【 「七七日」 泰山王(本地:薬師如来) 】

 この王の所へ参る道には「闇鉄所(あんてつしょ)」と名付けられた難所があります。
500里という遠い道を通ります。夜と昼の境もなく、真っ暗闇です。道幅は細く、左右は皆、鉄の巖です。亡者は身を細めて通ります。巌は、剣のようで、少しでも触れば身体は裂かれるのです。このような苦を受けて、7日7夜を経て、泰山王の御前に参ります。
 亡者は、今度はどのようなことを言われるかと、おずおずと御前に畏まります。
 大王は、亡者に向かい
「お前は、後生ということを知らず、よその事と思っていたあわれな者だ。人間に生を受けることは、『盲亀の浮木に値(あ)えるが如し』と釈尊は説いておられる。稀に人間として生まれ、得難き佛法に値(あ)う事が出来たのに、佛道修行をなさず、夢のごとく、一生を暮らして、今、この有り様である。お前は仏道について何かしたことがあるか。正直に申してみよ。」
 亡者は、
「お話の通り、娑婆におります時は、短い命だから、思うままにこの世を過ごそうとのみ考え、佛道修行をなさず、説法所など近くにありましたが、一度も聴きに行ったこともありません。また、このように不格好なので、恥ずかしく、そのような場所には、出た事もありません。」
 大王は、
「お前が見るように、この庭は天竺、震旦、日本等の無量の亡者がおり、十方の冥衆、冥官の集まり給う処である。お前が恥じるべき事は、この場に居るという事ではないか。娑婆に於いて、不格好だからといって、説法の聴聞もせずに、今、この群衆の目の前で、獄卒に打たれて泣いている。これ以上、恥ずかしいことはないであろう。」と申されました。
 亡者はその言葉を聞いて肝に銘じ、ただ泣くばかりでした。

【薬師如来】

  【盲亀の浮木に値(あ)えるが如し】
「盲目の亀が百年に一度、水面に浮かび、波に漂う浮木の穴に出会うのは容易な事ではない様に、人間に生まれるということは大変な事である。」という経文の一文。涅槃経、法華経に出典あり、「人間として生まれ、佛(釈尊)に値(あ)う事の難しさ」の譬喩。

こうして泰山王の御前で、一切の亡者の生処が定められます。
王の前には六つの鳥居があります。
地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上の六道へ行く門です。
この庭は、一切の亡者が浮かばれる所なのです。
 もし、後の追善が懇(ねんご)ろにあれば、悪所を転じ善処
に生まれます。
ですから、四十九日の追善は懇ろに営む事が大事なのです。
未だ生処が定まらぬ者は、次の百ヶ日の王(平等王)の所に
送られます。