【 「二七日」 初江王(本地:釈迦牟尼佛) 】
このお話は「十王裁断経」または「佛説地蔵発心因縁十王経」と呼ばれる教典を原典として日蓮大聖人が著述されたといわれる「十王讃歎鈔」を拝読し、要約したものです。
上からは大きな石が落ちてきて、罪人に当たり、体は粉々に砕け散ります。
死んだかと思うと、また生き返り、死ぬことは出来ません。
この様な苦しみを七日七夜受けて、向こう岸に着きます。岸には「引路牛頭」や「催行鬼」という
鬼がいて、陸に追い立てられます。着ている物を「懸衣翁」、「懸衣媼」という鬼にはぎ取られ、
「衣領樹」という木に掛けられます。この鬼は俗に「鬼婆」と言われ、罪人の衣服をはぎ取り、裸の
罪人に辱めをさせます。
ようやく初江王の前に出ました。
初江王は罪人の生前の善根を尋ねます。
「忘れました」などと言って逃れようとしても、全ての善根と全ての罪は、両脇の二神が調べつくし
ています。
「きっと娑婆にいる妻子が追善供養をしてくれます。それまでここに置いて下さい。」
と罪人が頼むと、大王は慈悲深い方なのでそれを許します。
しかし、妻子達は財産争いをして罪業を重ねるばかりで、罪人の苦しみは深くなる一方です。
初江王は「今は力及ばす業因感果(因果応報)の道理である」と話し、罪人を地獄へ落とします。
追善供養をすれば、大王は歓喜し、罪人も喜ぶこと限りないのです。
妙法を唱え、追善を成せば成仏することも出来るのです。
初江王の御前で善悪の軽重が定まらないときは、次の王(宗帝王)の所に行きます。
「初七日」において善悪の軽重が定まらない時は、
「二七日」(初江王)の所に参ります。
この王へ詣る道には一本の大河があります。
そして、この河を渡るのには三つの場所があります。
その為、この河を「三途の河」と言うのです。
上の渡しを「浅水瀬」といい、水は膝までしかありません。
罪の軽い者が渡ります。
中の渡しを「橋瀬」といい金銀七宝で出来ています。
善人のみが渡れます。
下の渡しを「強深瀬」といいます。
ここは、罪人が渡ります。
大河の流れは速く、大波が押し寄せます。その波の
中には毒蛇がいて、罪人を一呑みにしようと待っています。