【 「六七日」 変成王(本地:弥勒菩薩) 】
この王の所へ参るには、一つの難所を越えなければなり
ません。
難所の名は、「鉄丸所(てつがんしょ)」と言います。
ここは、広大な河原です。
そこには大きな丸い石が一杯です。ゴロゴロと動き、一所
に止まっていません。常に動き、互いに打ち合って、その音
は雷の様です。当たった所からは光が出て、稲妻の様です。
亡者は、恐ろしくて、前に進むことが出来ません。しかし、
獄卒が後から追いたてるので、走り入るのです。
するとこの石に当たって、五体を砕かれて死にます。死ぬ
と活きかえさせられます。活きかえれば、また五体を砕かれ
て死にます。
このような苦しみの七日七夜を経て、ようやく、変成王の御
前に出るのです。
亡者は王の前に出ると、
「これまでの苦しみについては、もう何も申しません。願うことは、特別の計らいで、もう一度娑婆へ帰してください。今度こそは、功徳・善根を積みます。もし、そう出来なければ、その時こそ、どんな罰でも受けます。」と申します。
大王は、
「功徳をなすと言うが、それはこの後の事、今は過ぎた事の善悪を考えるべきである。その上、特別に計らってくれとは、なんと言う事だ。このような考えをなすという事は、罪を知らないからである。これより、「三辻」を行きて、それを知るが良い。」
と獄卒を呼びます。
亡者はもう口を閉じて、何も言うことも出来ず、身を縮めています。
とその時、孝子の追善の善根が現れました。大王は大いに喜び、さっそくに、亡者は善処に定められました。
「孝養を致す家には、梵天・帝釈等が住み給う」という経文があります。
また孝養に三種あり。衣食を施すを下品(げぼん)とし、父母の意に違わざるを中品(ちゅうぼん)とし、功徳を回向するを上品(じょうぼん)とする。存生の父母だに、なお功徳を回向するを上品とする。いわんや、亡き親に於いてをや。
ただ、善根を修し亡者の得脱を祈ることが大切なのです。
ここで、亡者の生処が定まらないときは、次の七七日の王(泰山王)の所に送られます。
【弥勒菩薩】