【 「五七日」 閻魔王(本地:地蔵菩薩) 】
閻魔王の王宮は測り知れない地下にあります。
王宮の大きさは縦横60由旬(1由旬は200km)です。
王宮は七重の鉄の垣で囲われ、四方に鉄の門があります。
門の左右に「檀荼幢(だんだどう)」があり、上にいる
「同人頭(どうじんず)」が人間の振る舞いの善悪を全て
記して大王に奏でます。
また「光明院」という別院があり、院内には九面の鏡が
八方に掛けられ、その中心には「浄頗梨鏡(じょうはりきょう)」
という鏡があります。
亡者は恐れおののきながら大王の御前に出ます。
【 閻魔王】
【地蔵菩薩】
亡者はあまりの悲しさに
「只今、王様の仰せの事については、幾つか覚えもありますが、全部は覚えがありません。倶生神の筆に誤りがあったのではないでしょうか。」
と震えながら申します。
大王はたちまち顔色を変え、怒り百雷の声で
「お前はまだその様な事を言うのか。自業自得の報いであるのだ。疑うならば『浄頗梨鏡』でお前の行いを見せてやろう。」
と亡者を鏡の前に立たせます。
すると、一つ一つの鏡に亡者の生前の罪業が残らず映し出されるのでした。
そこで、獄卒の鬼は亡者を引きすえ、鉄の棒で打ち叩きます。
始めのうちは、亡者は声を出して泣き叫びますが、次第に息も出来ずになり、こなごなに打ち砕かれます。しかし、鬼が「活、活。」と言って撫でると生き返るのです。
これが何度となく繰り返されるのです。
亡者は犯した罪を悔やみ、涙を流します。
そして、娑婆にいる家族達が我が菩提を弔ってくれるよう心に願うのです。
また、知人や奉公人の中には先に亡くなった人もいた。その中には自分と同じ苦しみを受けている人もいることだろう。何で弔ってあげなかったのか。情けないことだ、と悔いるのです。
「一死一生交情を知る」と言いますが、生きている間の友情のみならず、亡き後に弔う心が大切なのです。
また、「化(け)の功徳、己に帰す」とも言います。亡者を弔うことは自分の為でもあるのです。
亡者の浮沈は追善の有無にあります。
この理を知って、自身も信心の心を起こし、六親(6親等)の回向をする事が大切です。
中でも、閻魔大王の御前で亡者が大苦を受ける「五七日」は特に追善供養が大事なのです。
この日、善根を為すと、それがことごとく鏡に映り、それを見た大王を始め諸々の冥官(みょうかん)も随喜し、亡者も喜ぶこと限りないのです。
このように、種々の作善(さぜん)の功徳を見て、大王はその浅深を分別(ふんべつ)し、或いは成佛、或いは人間、或いは天上へと送ります。
そして、定まらないときは亡者は次の王(変成王)の所に送られるのです。
大王は亡者に向かって
「汝はここに来ること昔より数知れず。娑婆世界にて佛道修行を為し、再び此処に来ることのないようにとあれ程言い含めたのに、また来るとは何事ぞ。受け難き人身を受け、幸いに佛法流布の国に生まれたのに、佛道修行する人を横目で見て、心のままに振る舞ったので、またも此処の悪所に来たのである。娑婆に居たときは慳貪(けんどん:物惜しみ)にして貯めた財産も冥途の旅に役立ったか?大事に育てた子達もお前の苦に変わる追善をしているか?」
と言われます。
亡者はただ泣くばかりです。
大王は重ねて
「お前は一生の間になした罪業も知らぬ。今、
倶生神(ぐしょうじん)の記した鉄札を読み聞か
せよう。」と仰います。
そして「汝は懺悔の心もなく、今更此処で後悔
しても何もならない。」と鉄札を読み上げ、
「この様な罪業であれば、汝を地獄に落とす。」
と言われました。