平成19年5月1日
今から30年程前のお話です。
当時、家の近くでは上越新幹線の工事が行われ、日
夜その騒音に悩まされていました。また、バブルの始
まりの頃でもあり、近所でもいろいろな噂話が囁かれ
てをりました。
土地の買い上げで大金を手にしたAさんの家では、旦
那が女遊びに呆け、奥さんは不倫に走り、別れ話が出
ている。高級車が並ぶBさんの家では、息子の家庭内
暴力で大変だとか・・・。
そんなある日、風采のあがらない中年の男性が一升瓶を持ってふらりとあらわれました。当時、家主であった主人は大変酒好きでした。そして、その人とどういうわけか気が合ったらしく、二人で酒を飲みながら長々と半日くらい話し込んでいく日が続きました。私は、昼間から酒を飲んで喋ってゐるのが嫌でしたのであまり近づきませんでした。主人の話によると「新幹線の工事に出稼ぎに来ている」人なのだそうです。
そのうちに、名前も知らないのに義兄弟の契りを交わしたというのでびっくりしてしまいました。
そんな日が半月ほど続いたある日のことです。家主である主人に頼んで、道場として使わせてもらっている一間に座っていた私に、その人が声を掛けてきました。
「奥さん、ローソクは芯に火が着かないと燃えないんだよなあ。芯が燃えなければその火は消えてしまう。芯が燃えることが大事なんだよなあ。」
その日を最後に、その人は姿を見せなくなりました。
今でも思い出します。その言葉。「芯が燃えなければ火を保つことは出来ない。」
心に懈怠が生じたとき、あの言葉がよみがえるのです。芯が燃えなければ蝋(ろう)も溶けない。芯が燃えてこそ、蝋(ろう)も溶け、一緒になって灯火をともすことが出来るのだと教えられたことを。
合掌