妙心寺教会
老尼のお話の部屋

六波羅蜜のお話〔W〕

平成19年8月1日

六波羅密とは梵語で菩薩(悟りを求める人)が涅槃(悟り)の彼岸に至るために修行する六種の行のことです。

【精進】(田比梨那波羅密:びりやはらみつ) 頑張る

  勇敢な心を持って善を修し、悪を断ずる為にたゆまず
佛道(六波羅密)を実践し、懈怠(なまけ)の心を滅し、常
に努力を惜しまないことを言います。

私の母(心蓮院日祥大法尼)は17歳の時、法華経のお題目を唱えることにより、医師も見放した脱疽という足の病を、足を切ることなく治癒しました。その御恩返しとして「法華経のお題目」を弘めることに一生をつくしました。

母の生家は貧しく、7歳のときから子守奉公に出され学校に通うことが出来ませんでした。しかし、御恩返しとして唱えたお題目の功徳は口伝てに伝わり、母のもとを訪ねる人は多くなり、最後には200軒以上の人々が「お題目」を唱えるようになり、母の信者さんになってくれました。
 私は母が42歳の時に生まれました。私が小学校の高学年になった時、母は私に「御首題帳(厚手の和紙で出来たスタンプ帳)」を渡し、それに平仮名で(平仮名だけは独学で覚えていました)お経を書き写すよう命じました。私がお経を書き写した「御首題帳」を、50歳も半ば過ぎた母はどんなときでも肌身離さず持って、読んでいました。

 乗り物に乗れば「あー有り難い、腰掛けられて、座れたときが一番楽だ」と言って読み始めます。寝るときも必ず枕元で読み、眠りにつくまで読みふけっていました。そして、墨で書いた字が薄れ、折り目がすり切れるころには、お経の心を理解し、御遺文を暗誦出来るようになっていたのです。すると、次の「御首題帳」に新たなお経や御遺文を書かせ、臨終の時まで手元に置き、常に読んでいました。

 私は母に「平仮名だけでお経の意味が解るのか」と聞いたことがあります。母は「お前、有り難いね。何回も何回も読んでいると自然にその意味が解ってくるんだよ」と言いました。
 母が御遺文を拝読すると、聞く人はうなづき、涙を流しました。私の耳には今でもその声が残ってをります。

 日祥大法尼は臨終の寸前、口を動かしました。
 「お題目を唱えているんだね。」と私が聞くと、はっきり
うなづいて80歳の生涯を閉じました。
 私も80歳になった今、母の足下にも及ばず申し訳な
いと常に思ってをります。しかし、「お題目」に対する母の
信念だけは受け継いだと感じられる今日この頃でござい
ます。

心蓮院日祥大法尼