妙心寺教会
老尼のお話の部屋

平成19年6月1日

六波羅蜜のお話

六波羅密とは梵語で菩薩(悟りを求める人)が涅槃(悟り)の彼岸に至るために修行する六種の行のことです。

1 布施(ふせ) 施す
2 持戒(じかい) 守る
忍辱(にんにく) 耐える
精進(しょうじん) 頑張る
禅定(ぜんじょう) 保つ
智慧(ちえ) 覚る
 【布施】(檀波羅密:だんはらみつ)
 布施には種々あります。財施(財産を施す)、身施(給仕・奉仕)、和顔施(いつもおだやかに笑い人の心をなごませる)、牀座施(座席を譲る)、無畏施(恐怖や不安を取り除き安心を与える)、法施(法を説き与える)など心がければ様々の形で行うことができます。要は実行することです。

私の母の「心蓮院日祥大法尼」は次のような布施を行じていました。

@第二次大戦中のことです。各家庭では食料が無く、皆飢えてゐました。母は家の者に申しつけ、道ばたの草むらを沢山耕させました。そこに麦を蒔き、刈り入れたのです。収穫は2俵にな ったそうです。母は何も申しませんでしたが、その麦は町の出征兵士の留守宅に全て配られたということを人伝えに聞きました。

A戦時中は本山も食料が乏しかったようです。母は米を背負って数知れず本山に参詣しました。 ですから、私の家の食事はジャガイモやサツマイモ、たまにカボチャを細かく刻んで少量の米や麦と一緒に炊き込んだものでした。
  また、行田は足袋の産地でしたので足袋の箱を背負っては本山に参詣し、奉納しておりました。当時のお上人方とお話しさせていただくと、「あの行田の渡辺さんの娘さんかい」と、日祥尼が奉納した足袋の思い出を語ってくださり、母の布施が生きていることを感じて、それが私を励ましてくれます。

B昭和41年1月に埼玉県で本山から行脚布教隊を招聘し、行脚をいたしました。私の家にも泊まることになっていました。母は何故かお上人方の白衣を20着以上も作ってをりました。その布教隊が家にたどり着いた日は朝からの雨で、お上人方はずぶ濡れになっていました。まるで、このことを予期していたかのように20着以上作った白衣は、すぐに着替えとして使われ、時を得て使われた白衣には、一同感歎いたしました。

 このような話はまだまだ沢山あります。これらの話は母が報恩感謝し、真に信じたことを素直に行じたことだと私は思ってをります。