平成19年11月1日
この所、「霊現象が現れて悩んでいる」と言って訪れる方が急に増えました。そこで、私が体験したことをお話いたします。
(1)聞こえる
一口には言い切れませんが、まず、胸の中に想いのようなものが湧いてきます。なお、集中してお経を唱えていると、耳から少し離れた所からささやくような声が聞こえてきます。それは、苦しい・悲しい・憎らしい・怒っている・助けてください・・・など様々です。
【例1】 M家の次男が転勤になりました。それからは、家に帰ると暴力をふるうようになり、今では勤めにも行かず、困っているという相談です。
唱えていると、耳元で声が聞こえ始めました。「私はこの家の何代か前の者である。家族との折り合いが悪く家出したが、家に帰ることも出来ずに客死した。私の居たことを知って欲しい。この家は士族の出で、見識が高く、不祥事として外に洩らされることもなく、供養一つしてもらえない。名前は○○という。」と聞こえました。M家の人にその旨を伝えたところ、早速役場に行って調べたのですが解りません。次に、菩提寺へ行って過去帳を調べてもらったら、何代か前の所に名前だけ載っていたので供養することができました。
【例2】 「今日は」と声がしたので「はい」と言って玄関に出たのですが、誰もいません。空耳だったかと思っていると10分程たってから声の主が訪れました。
「先生」と呼ばれたり「誰々」と名前が聞こえたり、就寝中に目を覚まされる事もあります。
この様なときは、必ず何等かの「証明する出来事」が起こります。
「ラップ現象」と言われる事も起こりますが、私はあまり気に
かけないことにしています。「聞こえる」ということは様々な形で
現れますが、私の場合はこの2種類に分けられます。そして、
これらは人間とは限りません。動物や草木の場合もあるのです。
(2)見える
これも一口には言い切れないので3つの例をあげます。
【例1】 私がH寺の方々と、寒修行で夜の撃鼓行脚に同行した時の事です。A家ではお店を営んでいますが、つい最近、娘さんが変死しました。残ったお祖父さんと男の人一人で店を続けているのですが、とても大変だという話を聞いていました。
A家の前に立ちました。お店は照明を落とし、薄暗くなっていました。紅葉模様の柄の着物を着た女の人が、軒先まで、私を出迎えてくれました。「良かったなあ、女の人が来てくれたんだ」と思いました。
H寺に帰ってから「Aさんの家は良かったね。女の人が来てくれて」と言いますと、同行の人達は「女の人なんか居なかったよ」と言うのです。私が、紫地に紅葉模様の柄の着物を着た女の人が居た事を話しますと「それは、やっぱり亡くなった○○さんだ」ということになりました。考えてみると、薄暗い逆光の中で着物の柄まで見えるというのはおかしいですね。
【例2】 Sさんが初めて尋ねて来ました。家を建てたいとのことです。お経を唱えていると、若い顔の地蔵尊の姿が写真のネガのように見えてきました。その顔を描いて「お宅に、このような地蔵尊が祀ってありますか」と聞くと「潰れ屋敷を買ったので、地先祖の霊として祀ってある」とのことでした。長い間そのままにしてあるというので、法味を言上することを勧め、月に一度くらいはお参りをするように話しました。
このように、写真のネガのように見えることは多々あります。
【例3】 車に乗せてもらい、法事に行ったときのことです。何故かあぶなくて仕方がありません。用水路に沿って走っていると、自転車のハンドルを持って立っている女の人がいます。思わず「危ない!人がいるよ!」と叫んでしまいました。ところが、同乗している人達は「誰もいなかったよ」と言うのです。そこは、橋があり、橋のそばに十字路があって二重の十字路になっていました。後日、交通事故があり、主婦が亡くなった所だと解りました。
(3)憑依について
これは種々の問題を含んでいるので、簡単にお話しすることは大変に難しいことです。誤解を受けやすいので、ひとつだけ例をあげます。
【例1】 夜遅く床に着き、眠りに入ったかどうかの時です。私の体が不意に宙に浮いて、前転したかのように感じました。「あ、何これ」と思っていると、私の体が子猫になったのだと解りました。
翌朝、家人に「あの捨て猫、どうしたの」と聞くと「ああ、あれはみんな死んだので川に流した」
と言います。「一匹だけ、川の面に浮いてから沈んだのがいたでしょう」と聞くと「どうしてそれが解るのだ」「ゆうべ私の所に来たから」と言いました。
病気の子猫が数匹、捨てられていて、牛乳などをやったりしていましたが、死んだので川に流したそうです。
このような場合は解りやすいので良いのですが、憑依には色々あります。注意することが大切なのです。
何故、私があえてこの様なことを書いたかというと、今の人々の心には常に不安があり、その為に神秘な力を求める気持ちが起こります。その心が、心霊現象などの種々の形となって現れていることが多いのです。
霊現象については、決して否定しません。霊魂は目で見ることは出来ませんが存在します。丁度、電波が私たちの目には見えないけれど空間に満ちているように。
テレビには数多くのチャンネルがあり、自分の見たいチャンネルに合わせることにより、見たい番組を見ることが出来ます。しかし、霊現象についてはテレビのように簡単ではありません。有用な霊現象を体験するのは難しく、それなりの修行を積まなくてはなりません。多くの場合は表面的な疑似霊現象や、害のある霊現象につながってしまいます。これらは「霊現象を欲する心」に忍び込んでくるのです。「霊現象を欲する心」をなくせば、つながることはありません。
霊感や霊能力があると言われる方々がいます。それらの方々は真実を極めるために、それなりの修行を必ずしている方々です。