神社や佛閣に詣でると「お賽銭箱」・「浄財」と書かれた頑丈な箱が目につきます。
先日、テレビの報道で、ある有名な神社の「元日・初詣」の賽銭を数えるのに、銀行から出張してきた人が3日ほどかけて数えるというのを見ました。
(1) お金は穢(ケガ)れたものであるから、お正月に寺社にお詣りをし、
金を投げてケガレを捨て身を清める。
「投げる」ということは「捨てる」という意味を含むので、それが様式
化して現在に至っています。
(2) 「賽」の字には「報い奉る(むくいたてまつる)」という意味をもち、「
賽銭」とは神佛に感謝してお金を供える行為。昔はお金でなく珍し
い物や大切な物が供えられました。中でも大切なお米は、きれいに
洗って供えられたので、「お洗米」「散米」と呼ばれました。
(3)そのうち、貨幣が出来て「散米」よりも手軽なことからお金を使うようになり「賽銭」になったとのことです。
9世紀頃には中国で「賽銭」を供える風習が一般化し、日本では室町時代に定着したそうです。
(4)その後、貨幣経済が発展し、現在に至ってをります。そのせいか、本来は感謝するために寺社に詣って
いたのが、いつのまにか『御利益をいただくために「賽銭」を供える』という商取引のように考える人が多く
なりました。
正しい行いで得たお金を、自分以外の人のためになる使い方をしたお金。
寺社にある「浄財」は建物の修理や景観の維持など参拝する方が心の安らぎを得ることのできますように使
われるものです。
神・佛から与えられた恵み。
他人のためになる善行の結果として得られたもののことです。功徳を積んだ結果として「ご利益」はいただけるのです。
資料:民間信仰を読み解く・やさしい佛教入門
以上のように日常の生活の中には、時代が変わると本来の目的を失ってしまうものが多々あります。物事の原点を見直してみましょう。掌を合わせると、不思議に邪(よこしま)な考えは浮かびません。
掌を合わせましょう。 「人に向かって」 「食卓に向かって」 「山や川、動植物に対しても」
人として尊い生命を授かった感謝の原点を見いだすことが出来ると信じています。