この九月二十八日は、十五夜でした。朝早く十五夜花を届けてくださった方があり、嬉しくて薄(ススキ)を採り団子を作り、果物、野菜、菓子等、野のもの山のもの、里のもの等をテーブルに並べ、ロウソクを灯しお線香を供え、月の出を待ちました。
ほんの一瞬雲間から月を拝めただけですが、孫が「なんて拝めばいいの」というので「お月様有難う、と言えればいいのよ」と答え、手を合わせた姿を見て嬉しく思いました。
私の子どもの頃は十五夜はとても楽しい日でした。昼間から友達と一緒に薄を採りに行き十五夜花と一緒に瓶にさし、母の用意してくれたご馳走をテーブルにならべロウソクを灯し月の出を待つのです。そしてこの夜は、近所の家の供え物を黙って貰っても叱られないことになってをり、いかにそおっと手に入れるかに心をわくわくさせました。今のように有り余るようなおやつはない時代でしたから・・・・・・。
農耕民族である私達の先祖は山(木)に川(水) に燈火(火)等のそれぞれに魂が宿ってゐると感謝しそれらを神としてあがめ畏敬の念を以って祈ったことが日本の信仰の始まりと聞いてをります。
月を眺めて幾千万の人々が様々な思いを抱いたことでしょう。それらが詩歌として伝えられています。あの歌、この歌一杯あります。時に口ずさんでみませんか。きっと枯れ心、「心」がうるおされるのでは、と私は思うのですが・・・・・・。
月の思い出
ある晩修行が終わった人を送り出して師匠と庭に出ました。空には皓々と月
が輝いてをりました。師匠が「この月は日蓮大聖人も御覧になってゐたのだな
あ-。七百年前と変わらず今ここにある。大聖人をお偲びして私たちも自我偈
一巻読誦しよう」とおっしゃり二人して月に向かって唱えました。すると私は何
故か大聖人と共に今ここにあるような思いが溢れて涙が止まらないのでした。
合掌
月みれば 千々に物こそ 悲しけれ
我が身一つの 秋にはあらねど
(百人一首より)