先日、孫に「ライブ」に来ないかと誘われて行きました。
孫のグループは4人でした。他のグループも、皆20歳前後の若者です。
彼等は一番はじめでした。グループ4人が体中で精一杯歌い、弾き、叩いています。上手・下手は私には解りません。
ボーカルの歌詞は外国語です。聴き取ることは出来ません。ですが、4人が心を合わせて一生懸命なのが解ります。
それが私の心に響いてきます。いつの間にか手を叩き、体がリズムをとっていました。胸がジーンとして涙が流れまし
た。「感動」です。その純粋さに心をうたれ、嬉しかったからです。
巷では「今の若者は・・・」と一口に評されてゐますが、それを吹き飛ばす美しい姿でした。私は若者に対して、その
着衣、髪、言葉だけを時折見るたびにあまり良い印象は持っていませんでした。それは、表に見える一面しか見てい
なかったせいだと思います。
30年程前、息子も友達と組んでドラムを叩き、ギターを弾いて歌いました。そのころの私はその音響(オト)が体に
当たり、ただうるさいと思うだけで、その心を知ろうともしなかったのです。今回、一緒に行った息子達は音が大きい
のできっと体にこたえるのではないかと心配しました。ところが、そのようなことは少しもないのです。身体が音を包
み込むような感じになり、何の抵抗もなく音が身体の中に入り、融け込むのです。そして、それがエネルギーに変わ
るのがわかりました。
私達は、嫌だとか自分に合わないものは受け入れることがむつかしく、先入観を持って物事に対しやすいものです。
そのような心を持って事に当たると、より反感が強くなり、かえってその心が自分自身をしめつけて窮地に追い込ん
でしまうのではないでしょうか。このたび心と身体の関係をはっきりと感じ、体験できたことは私にとって大変有意義
なことでした。
現在、騒がれてゐる自殺や殺人事件なども「思いこむ心」をもう少しゆるやかに大きくできたなら、きっと救われる道が見つかるのではないかと今、私は考えてゐます。
平成18年12月1日