妙心寺教会
命を考える(T)

平成20年2月1日

老尼のお話の部屋

 今月の24日は「魚鳥畜類供養会」が行われます。
 目に見えないほどの大きさの精子と卵子の結合に
よって人の体は誕生します。また、人体は毎日何万も
の細胞が死滅し、何万もの細胞が生まれることを繰り
返しているのだそうです。

 では、その体は何によって維持されているのでしょ
うか。それは毎日食する食物によってなのです。昨日
口にした食物が此の身のどこにあるかは解りませんが、
それが血となり肉となって人の体が保たれている事に
間違いはありません。

私達が命を保つためには、数知れぬ生命を頂いているという事を知ってもらうために、この「魚鳥畜類供養会」を行ってをります。せめて1年に1度は手を合わせ感謝の心を捧げるべきだと思い、境内に慰霊の碑を建立いたしました。

 また、養鶏・養豚やそれらを売買することを生業(なりわい)としてゐる方にも感謝の念を持っていただきたいのです。

 「ペット」についても同じ事が言えます。最近、「ペット」に対する考え方が違うのではないかと思うことを目にします。例えば「ペット」が亡くなったとき、「家族なんです」といって立派な葬儀をすることで「事たれり」と済ませてしまいます。また、衣服を着せたり、有名なペットフードを与えたりすることが「可愛がっている」と思っている人もいます。猫が犬のように大きくなり、太って動けなくなっている姿を見ると、その中に人間の欲望の凄まじさを感じて怖くなります。飼い主とペットの間にはもっと自然な関係があると思います。

 現代では、犬や猫等は人間から食べ物を与えられなければ、生きていけません。時代が変われば変わるほど「本当はどうあるべきか」を考え、求めて生きていくべきだと思っています。

 私の所で唱えている「食法(じきほう)」をご覧ください。

 「我ら今、安んじてこの飯食(はんじき)を受く、これ皆本佛の慈悲なり。願わくはこれによって心身を養い、信行を成就し、佛恩、国恩、同胞の恩に報ぜん。合掌」