命を考える(U)
正確な事は解りませんが、敗戦後の事であることは確かです。日本は米国の統治下におれ、何でも「米国の真
似をする事が良い事である」と言う考えが、日本中に広まりました。
戦前の日本では、数え年を使っていました。戦後は満年齢になっています。
物質主義とでも言いましょうか、姿、形が在って目に見え、手に取れる物以外は「零」とするいう考え方には賛
成できません。
人の命が宿され、その誕生までの間を、どう捉えるべきなのでしょうか。この世に生まれ出るにも、母体の中で
小さな命は成長を続けているのです。
日本は一時「堕胎天国」と言われ、外国からも中絶のために来日する人が多かったそうです来日の理由として
、「キリスト教では中絶は罪である、と言う考えが浸透しており、中絶は許さないからである」と聞きました。
日本はどうなのでしょう。
「満年齢が良い・数え年が良い」という考え方以前に、生命に対する考え方が、おかしな方に向かっている様に
思えてなりません。
水子霊の供養に見える方に、私はこう言います。
「人が、オギャーと声を上げてこの世に産まれてきた時は、命ある者として丁寧に扱い、供養ます。その子を亡
き者にしたら『殺人罪』になり、司直の手にゆだねられます。でも、水子も普に産まれた子も、命については同じな
のです。罪は償い、懺悔しなければならないのです。そて、自分でなく、赤ちゃんの立場になって考えることが大
事なのです。」
すると、多くの若い方が「ハッ」としたような顔になります。
また、今の方は男女2人で見えます。それは素晴らしい事と考え「赤ちゃんが喜びますよ」とって私も喜びます。
寺院の位牌堂に「四生六道法界萬霊」と書いてある大きな位牌を御覧になった事はありまんか。「四生六道」と
は「迷いの世界に在る、あらゆる生き物を4つに分けた」考え方です。
【四生】(1)湿生:湿気の中から生まれたもの(ぼうふら、カビ)
(2)卵生:卵から生まれるもの(魚鳥類)
(3)胎生:母胎から生まれるもの(人間、獣類)
(4)化生:忽然と生まれたもの(天人、地獄の衆生)
佛教では、このように大自然に於いて生かされている事を知り、何時でもそれらに感謝し、回向・供養する事を
教えているのです。