平成20年5月1日

妙心寺教会
生きるということ
老尼のお話の部屋

3月26日の新聞に、仏文学者の鹿島茂氏がこう書いていました。
 資本主義の本質とは「より多くの商品を消費者に買って貰うことである」。
言い換えれば、「必要でない物」も買ってもらわなければ、物は売れなくなってしまうのです。
そこで資本主義が考え出したのは、自己実現としての消費です。
物を買うことで、自分の価値を認めさせようとするのです。
テレビや新聞・雑誌の広告で「物を買う、物を持つこと
が幸せの根源である」と流し続けるのです。

 私が初めて法衣と袈裟をつけたときに、師匠にこう言われました。
 「お前、衣紋掛けになるなよ」
法衣と袈裟をつけいるだけの「外見だけで中身のない僧侶」になってはいけないという戒めです。
 
  「けがれなき 人の心ぞ 神守る 洗い浄めよ おのが心を」

「大いなる 心の蔵の 鍵はずし 無尽の宝 我がものとせよ」

  「霊(たま)磨く 為に衣食の 方便(てだて)あり 霊磨かずば 生きる価値なし」

大元上人の御詠です。

たとえば、セレブ・芸能人などは高価な品物を持ったり、
身につけたりしています。人はそれを見て羨望の心を
持ちます。そして、それと同じ物や同じ様な物を買い
あさることによって、小さな満足感を得るのです。
物を買うこと、物が買えることが幸福だと思っているのです。

人が此の世に生を受けるということは、尊いことです。生まれてきたからには、必ず何等かの役目を持っているのです。まず、その役目を探すことから始めましょう。そして、自分という存在を見つめ、本当の幸福をつかむ努力を続けることが、「人として生まれてきた理由」ではないかと考えます。